第13話 女は怖い
この日も烏京は、上から命じられるままパソコンに向かい合っていた。
物品ごとに市場の価格や流通量の変化に関する情報を調べて、打ち込んでいく。慣れないタイピングは無駄に精神力を消耗するし、座りっぱなしなので首や肩や腰が痛くなってきた。
「せめて肉体労働なら、まだ気楽なんだがな」
目頭を揉みながら、独りごちる。
誰か代わってくれないか、とさえ思うが、残念ながら部屋には他に一人もいない。
孤立するような仕事を押しつけられたというのもあるが、不始末をして金津由から睨まれているという烏京は忌避されているのだ。
元から仲間づくりに無関心だったので、こういう時に味方をしてくれるのが恋太郎くらいしかいないのは自業自得と言えるだろう。
人付き合いの悪さを悔やんでも仕方なく、今は恋太郎から言われた通り目立たず従順にパソコン仕事に集中する。
そうしていたら突如として、静かだった部屋のドアを乱暴に押し開けられて、増田が転がり込んできた。
「増田少佐。今日は休暇とお聞きしていましたが」
「ヒィ、ハァハァ……。さ、探しマシたよ」
よほど急いだのか、増田は肩で息をしながら烏京の前までやって来ると、手汗の滲んだ書類を突きつけた。
妖魔捕縛の許可証である。
内容に不備はない。
よもや幻狐にでも化かされているのかと疑ったが、増田をどんなに注視しても嘘やごまかしの色が見えてこないから、偽物ではないらしい。
同意のサインどころか、申請手続きまで代わりに済ませてくれたというのか。驚いて言葉のない烏京に、増田は妙に気味の悪い愛想笑いを浮かべて腰を低めた。
「コレがお望みなのデショウ。確かに、お渡ししマシたからね? これ以上のことはできマセんからね?」
「は、はあ。……ありがとう、ございます」
「イエイエ。このことは、なるだけ内密にお願いしマスよ。あぁ、しかし奥サマにはキチンとお伝えクダサイね」
「兎木子に?」
なにをビクビクしているのか、えらく焦燥した様子で去っていく増田に、烏京は首をひねるばかりだった。
口振りからして、兎木子が関わっているのだろうか?
新居に戻った烏京は問いただし、事のあらましを聞かされて頭を抱えることとなった。
「お前……脅迫なんてやらかしてきたのか」
「やめてくださいよ、人聞きの悪い」
兎木子はスネたように頬を膨らませる。
「たまたま外出先であの方にお会いしたので、烏京様のことをなにとぞよろしくと誠心誠意お願いしただけです。……それ以外だと、花江叔母様にはなにもしゃべらないと約束したくらいしかありませんよ」
「……それを脅迫というんじゃないのか」
増田は当主の従姉妹と結婚したことで、金津由家の手先となった。
おかげで出世できたのだが、この経緯があるため細君には頭が上がらないのだ。もしも浮気がバレて妻に愛想を尽かされたら、それが金津由本家の耳に入りでもしたら、派閥から爪弾きにされて家庭だけでなく職場での立場も失ってしまうことになる。
ちなみに烏京はそういった事に疎かったので、諸々の事情についても兎木子の話を聞いて初めて知った。
「婆様がついていながら、なにをやらせてるんだ」
「ホッホッホッ。本当に危うくなったら、お止めするつもりだったのでございますがね」
「ごめんなさい。どうしても烏京様のお力になりたかったから」
いじましいことを言っているようだが、同じ口でもって「土下座させた店長と並んで土下座するさまは痛快でした」と愉快そうにしているのだから手に負えない。
「実際、役に立ったでしょう?」
「む。……助かったのは、事実だが」
苦虫を噛み潰したような顔をしながら、烏京は捕獲許可証を取り出して眺めた。
妖魔を捕らえて、式神として使役することがおおやけに認められた証書。後ろ盾を失った退魔士としての人生をやり直すための、第一歩目がようやく進んだのは、まぎれもなく兎木子のおかげだ。
「それでは、お夕飯の支度をしてまいります」
話が一段落ついたと見て、お鶴は席を立った。
小柄な背中が台所へと消えて、居間に残された二人。
遠くから聞こえる、小気味よい包丁の音。
会話が絶えて急な静寂が訪れる中、ふと烏京は訊いておかねばならないことを思いだした。
結果オーライだとしても万事上手くいったのであればとやかく言うつもりはないが、ここまでの話で一つ不可解な点があったのだ。
「そういえば、兎木子。お前、どうして雷獣町になんか行った?」
「はい?」
「まるで最初から、少佐があそこで浮気してるとわかってたみたいだぞ」
「ああ、そのことでしたら簡単です。花江叔母様に教えていただいてたんですよ」
「…………。…………は?」
あんぐり、と。
烏京は大口開けて呆気に取られるが、兎木子はわけないことのようにとんでもない事実を明かした。
「いつだったかしら。本邸へ遊びにいらした時に、『夫が他の女と遊び歩いている』とお悩みをこぼされたんです。何曜日の何時ごろにどこそこへ、といった具合で規則正しくお出かけしていたらしいので、聞いた通りの場所へ行ってみたら大当たり」
「……。とっくに浮気はバレていた、と」
「ここぞという時に備えて、気づいていないフリをして通すつもりだとおっしゃっていました」
「お前……それを知ってて内緒にするなんて約束したのか」
「わたしはしゃべりませんよ? 花江叔母様が勝手にご存じなだけのことですから、なにも問題はありません」
「…………」
増田に対して同情の念が湧くかといえば、別にそれほどでもないが、いけしゃあしゃあと胸を張る兎木子にはなんとも言いがたい気持ちにさせられる。
釈然としないものをどう表したものか、烏京は散々言葉を持て余した末、ため息まじりに呟くしかできなかった。
「……女ってのは恐ろしいな」
「ふひひ」
兎木子は八重歯を見せて笑い、そして座を改めると正面を向いて訊ねた。
「それで、烏京様。これで出世はできそうですか?」
「ああ、任せろ。後は腕っぷしにものを言わせればいいだけだ」
許可証を四つ折りにたたんで仕舞い直し、烏京は自信に満ちた態度で答える。
妖魔の捕獲というのは大きな危険をともなう仕事で、無事に成功する保証なんてどこにもないのだが、仕損じる心配など微塵も匂わせない。
「刀さえ抜いていいなら、俺に負けはないからな」
傲慢とも取れる台詞は、しかし紛れもない事実だ。
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