第12話 兎木子の秘めたる刃

 一歩踏み出す。

 ブーツが細かな破片を潰す。


 口元には微笑。

 肩は緩やかに落とし。

 ヘソの下に力を込めて。


 兎木子はハンカチを取り出し、鏡の破片を一つ拾って包んでから、口論の真っ只中へと踏み入った。

 怒鳴り散らす獲物が息継ぎをするタイミングを測りながら、死角へと回り込む。


「もしもし……」


 さながら、抜く手を見せぬ居合斬り。

 鯉口を切った直後には、放たれた言葉は獲物の喉元へ。


「――鏡を割ったのは、あなたですよね?」

「ッッ!? ……な、なんですかお宅はッッ!?」


 単刀直入。

 通り魔的に結論を突きつけられた店長は、声を上ずらせた。

 説明はしない。相手が浮足立っている間に、一気呵成で斬り崩しにかかる。


「衝撃が起こるような仕掛けを施してあったのでしょう。――たとえば、結界術とか」

「ここ、根拠のない言いがかりだッッ!」


 実はその通り。推測の域でしかないのだが、弾かれても動じずに刃を返す。

 へたり込む女に視線を向けながら、払い斬るように。


「そちらの女性が言うには、『持ち上げた後でバチッとした』んですよね。静電気なら、最初に触れた瞬間に起こるはずです」

「静電気とかいうのが、嘘だっただだけでしょうッッ!」


 躱されても、さらに一歩踏み込んで二の太刀を。


「向こうにある蓄音機が詠唱装置になってるんじゃないですか? ちょうど事件が起こる時に、変な音がしましたし」

「だったら調べてみればいいだろッッ! あんたの言う通りなら、機械を開ければすぐにわかるはずだッ!」


 反撃を受けて、火花が散る。

 こう攻めるのは読まれていたのだろうか。語勢に勢いがあるから、証拠は隠滅済なのかもしれない。


 手の内柔らかく分析して衝撃を受け流し、刃を食い合わせたまま鍔迫り合いへと持ち込んだ。

 だったら、攻め手を切り替えるのみ。


「調べるまでもありません。そこで拾った破片に、呪文の一部が刻まれていました」

「それこそ嘘だッッ!」


 押し込みに無理があったか。力任せに押し返されて、膝が崩れた。


「嘘じゃありませんよ。この破片には確かに呪文が」


 なんとか立て直そうと力を込めるが、


「あり得ないッッ。ちゃんと全部回収して――――」


 ……あ。


「一つ残らずポケットの中、ですか?」


 勢い余った相手の刀を巻くように。柔の呼吸で体を入れ替えてやれば、店主は仕掛けられた切っ先へと自分から突き刺さりに行った。


 自ら首級を差し出すこととなった店長は「いや……ちがう」とか「いまのは……」とか口籠っていたが、ニコニコとほほ笑む兎木子や冷たい目の増田と女に囲まれてまで言い逃れる余裕はなかったらしく、観念してその場に両手をついた。


 白状したところによると、急に現金が必要になったことで犯行に及んだそうだ。


 ずいぶん前から資金繰りがギリギリの自転車操業な状態だったところに、いきなり鏡の価格が予測を超えた高騰を見せた。

 それでも店を回さなければならないと無理して仕入れたら金庫が空っぽになって、今度は借金取りに払うためのお金がなくなってしまった。普通に商品を売りさばいただけではとても間に合わず、やむなく金払いのよさそうな客にイチャモンをつけて強請ろうとしたのだという。


 いかにも憐れっぽく言い訳していたが、結局のところは自業自得の一言に尽きるし、獲物にされた側はたまったものではない。


「まったく。さんざん贔屓にしてやったのに、恩を仇で返すとはゆるせマセンね」


 土下座して動かない店長を、増田は冷ややかに見下して吐き捨てると、兎木子に頭を下げた。


「助かりマシたよ、お嬢さん。危うくウチの子に無実の罪が着せられるところデシた」

「いいえ。大したことではありません。そんなことより、お連れ様の怪我は大丈夫でしょうか」

「おお、そうデシた」


 それとなく水を向けると、増田は女の方へと向き直る。


「まだ痛むかい、キミ?」

「うん、ちょっと」


 心配そうにお鶴の手拭いで縛った足を撫でる増田。

 兎木子がたまらず目を逸らすくらいに。若い娘に対するには馴れ馴れしすぎる手つきだが、女はむしろ甘えるような声を出した。


「せっかく綺麗な脚が、可哀そうに。痕が残らなければいいんデスがね。後で薬屋に寄りマショウ」

「ありがとう。パパ」

「…………」


 兎木子は小首を傾げる。

 静かに、何気ない足取りで、増田の背後へと回る。


「つかぬことをお訊きしますが、お連れの方は娘さんですか?」


 殺意を隠して、刀の柄に手をかけるイメージ。


「うん? それは、まあ、ね。そうだよ、親子だ」

「だーよね、パパ」

「まあ、そうだったんですか」


 曖昧に笑う増田に、もたれかかる女。

 ……取った。

 言質としては、十分だろう。


「親子ですか。それはそれは。――――花江叔母様には、お子様がいらっしゃらないと聞いていましたのに」

「…………。………………え?」


 その名を出した瞬間の増田の顔といったら、なかなかに見応えのあるものだった。

 鞘に収まったはずの刃が再び抜かれて、今度は自分の首根に当てられていることに、気づいたところでもう遅い。

 今しがたの発言は、携帯端末に録音済みだ。


「き、キミ……いったい、何者……?」

「申し遅れました。わたし、金津由烏京の妻で兎木子と申します。奥様にはいつもお世話になっております」


 背筋を伸ばし、指先を揃えてお辞儀。髪の揺れ方まで計算し尽くしたような角度と速度の、洗練したお辞儀を完璧に決めて、兎木子はチロと八重歯を覗かせる。

 おもしろいくらいに顔色を失う増田をよそに、兎木子は臆面なく妻と名乗れたことへの達成感と気恥ずかしさを噛みしめたのだった。

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