第10話 兎木子は行動する

 翌日の昼下がり。


 烏京が陸軍本部へと出勤するのを送り出した後、兎木子は身なりを整えて帝都東京の街へと繰り出した。

 頬の傷を隠すために貼ったテープのせいで表情を動かすたびに違和感がしたが、カバーメイクが上手くできたおかげで人目は気にならない。袴にブーツと言う古ながらの女学生スタイルで、テープに触れないようにと普段は下ろしている髪を結い上げる。


「ん-、髪形がまとまらない……。これだから冬は」

「兎木子さま。路線バスの時間が近づいておりますが」

「……わかりました。もう行きましょう」


 自家用車が使えないので、公共交通機関に頼って出発。

 付き添いとしてお鶴を従え、向かったのは東京でも特に大きな繁華街の一つ雷獣町らいじゅうちょうだ。


 戦後七十九年。

 超常存在『妖魔』の跋扈する魔境へと日ノ本の国が変じた起源が、かつての世界大戦。敵国の新型爆弾によって古の封印が破壊されたことに因るのだと、もう祖父母世代ですら直には知らない時代である。

 焼け野原となった日ノ本が現代の、世界有数の経済レベルにまで発展できたのは、退魔士の間で受け継がれてきた妖魔の力を利用する術のおかげだ。


 画期的発明である、妖魔の骸を封入した発電機。


 大空襲によって壊滅した東京の更地に建造した大規模発電所第一号が安価かつ安定したベース電源として戦災復興の下支えとなったことは、尋常小学校で誰もが教わる歴史だった。

 そして、発電所周辺に集まってきた飲食店や娯楽場や闇市やヤクザ事務所なんかによって生まれたコミュニティが、後々に雷獣町という繁華街になったのだと伝わっている。


 長い年月を経た現在。

 世界初となった妖力発電所は改修や増設で姿を変えつつも同じ場所で稼働し続けており、発電所を取り巻く雷獣町もアングラな雰囲気を残しつつ享楽の一等地として栄えてきた。


「ワタクシの若い頃に比べればはるかに安全になりましたが、それでも良家の婦女が訪れる場所ではございませんねぇ」


 お鶴はご当地キャラクターのイラストが描かれたアーチをくぐると、空気の変化を感じ取ったように首を傾げながら言った。


 雷獣町のメインストリートは、昼間でも目がチカチカして仕方ない原色のネオン看板が軒を連ねている。CMを見ない日はない有名牛丼チェーン店と、合法なのか定かでない詠唱装置を販売する魔具店が隣り合い、その間でホストらしい客引きがチラシを配る。ペットショップと焼き肉店が通りを挟んで向かい合って、賭博場と質屋と金貸しと労働者募集のポスターが仲良く並んでいたりもする。

 一癖も二癖もありそうな、知らずに近寄りたくはない絵面だ。

 きっと夜になれば、これの何倍もやかましくなるのだろう。


「あまり深入りはなさいませんように。なにかあってからでは遅うございますからね、せっかく烏京坊ちゃんの奥さまになられたばかりなのです」

「奥さ……っ!?」


 まだ実感のない呼称に鼻白んだりしつつ。

 兎木子は桜柄カバーの携帯端末を開くと、事前に調べてきた情報と街の様子とを見比べてどう動いたものか思案した。


 街を行き来する人々は、それなりに多い。

 電信柱の陰では、くたびれたスーツ姿の大人が強面相手にヘコヘコ頭を下げながら紙幣の詰まった封筒を差し出していたり。兎木子よりも若そうな少年少女がけたたましく騒ぎながら通り過ぎていったり。優男を侍らせた毛皮コートの婦人だとか、派手な娘と腕を組んだ金ネックレスの男だとか。

 これまた癖のありそうな雰囲気である。


 とりあえず、立ち止まったままなのは目立つから歩き出すとして。

 右手にそびえる妖力発電所の鉄塔を仰ぎ、時折り軟派男に声をかけられたり肩で風を切る強面とぶつかりかけたりするのを、お鶴に助けてもらいながら黙々と進んでいくと、ほどなくして目当ての人物を見つけることができた。


「お鶴さん、あれ」

「はい。間違いありません」


 隣に確認を求めると、お鶴は明確に首を縦に振る。

 七、八軒ばかり前方のレストランから出てきた男女。その片方、丸眼鏡をかけた痩せぎすの男性は、烏京の上司である増田留夫に他ならなかった。


「花江さまと結婚の挨拶をしに本邸へいらした時からいくらかお年を召されていますが、あれは増田さまにございます」


 増田は若い女と腕を組み、だらしなく目尻を下げて会話している。

 兎木子と同じか少し年上くらいの女だ。明るく脱色した巻き髪。舶来ブランドのバッグ。冬にも負けないミニスカートで、上から大きめのコートを羽織っていた。ずいぶんと親しげだが、もちろん妻の花江でもない。


「浮気、でしょうか」

「あれだけでは、何とも申せませんねぇ」


 とりあえず、携帯端末のカメラを起動。

 新機種のズーム機能は優秀であるが、外観以上のものを映すまでには至らない。女と一緒にいたからといって、その関係性が後ろめたいのかどうかまでは判別できなかった。接吻でもしてくれたら言い逃れできない画を撮れるのだが。


「おや、こちらに来るようでございますな」


 お鶴が呟くと、本当に増田たちは兎木子の方へと体を向けた。

 今、鉢合わせするのは避けたい。

 兎木子はとっさに、目の前で「営業中の札」を下げていたガラス戸を開くと中へと身を滑り込ませた。

 頭上に掲げられた『一夜紋鏡』という屋号。

 もしも事前に気づいていたら、この店だけは選ばなかっただろう。

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