兎木子の刃

第9話 出足はつまづくもの

「妖魔捕獲許可証? 駄目に決まってるデショウ」


 上司にかけ合おうとしたら、一も二もなく切り捨てられた。

 丸眼鏡をかけた痩せぎすの男性上司は、差し出した申請書類を読みもしないで放り捨てる。


「式神の制御に失敗して逃げられた、と聞きマシたよ? そんなヘマをするヤツに、おいそれと許可を出せるもんデスか。腕を磨いてから出直してきナサい」

「……審査を受ける資格までは消失していないものと承知していますが」

「むやみに判子を押せない、と言ってるんデス。あなたが審査に堕ちたら、申請に同意したワシの立場までなくなるデショウが。……話は終わりデス。これから外回りに行かねばならないので、あなもさっさと出ていってクダサイ」


 シッシと犬みたいに追い払われて、現在は寒風吹きすさぶ陸軍本部の非常階段で手すりにもたれかかっているところだった。


 確実に、金津由家の手回しであろう。


 丸一日、引っ越しのために休んだだけで、噂か軍内に広められていた。すべては烏京の落ち度で、式神を失った結果実家からも追い出されたといったストーリーが定着してしまっていたのだ。資料を整理するだけの閑職へと異動させられて、新たな上司にあてがわれたのは父の息がかかった下っ端。完全に後手に回ってしまった形だ。


「よっ、烏京。珍しく黄昏てるじゃないか」

「……恋太郎れんたろうか。なんの用だ?」


 困り果てていると、上の階から馴れ馴れしい声が降ってきた。


 相良さがら恋太郎。年は二十三。階級は退魔科中尉。

 異国の血が入ってるらしい赤毛と、タレ眼がちで右に泣きぼくろのあるのが目を惹く甘めの美男子で、広報科でもないのに機関誌の表紙を何度も飾っている。ラフに着崩した軍服は、黒狩衣と並ぶ官製品だ。

 顔がいいのに比例して舌が回る人当たりの良い男で、飛び入隊した烏京とは同期に当たる。

 多くの友人に恵まれ、また多くの異性と浮名を流してきた恋太郎が、なにを気に入ったのか烏京には事あるごとに絡んできて、今では朋友のように言葉を交わす間柄になっていた。


「なんの用だ、とは薄情だね。親友が窮地にあると知って、力になれやしないかと会いに来てやったってのに。それとも、笑ってやった方がよかったかな?」

「……お前なら、本当に笑いかねんな」

「ひっどいなぁ。そんな風に思われていたなんて、ボクは心臓が張り裂けそうだよ」


 恋太郎は大袈裟に胸を押さえて悶えるフリをする。

 嘘と断じるほどではないが、冗談に付き合う気分でもないので無視すると、恋太郎も何事もなかったように軍服のポケットから煙草を取り出して、ちょっと風向きを確かめてから烏京の隣に並んだ。

 呪文の刻印されたライターの蓋を開けて詠唱すると、バチバチッと静電気が鳴って巻紙の先端に火を灯す。美味そうに吸って吐き出すと、紫の煙は烏京と逆の方角へと流れていった。


「で、島流しをくらったんだって?」

「特務は実力主義だからな。式神を失くした以上、外されるのは遅かれ早かれだ。それよりも、流された先の方がキツイ」

「補給部隊だっけか。何やらされてるのさ」

「民間市場における魔具流通の監視」

「うわぁ……」


 恋太郎は悲惨なものを目撃したみたいに顔をしかめた。


「下っ端の仕事じゃないか。無駄に手間なのに、手柄にはならないやつ」


 弁護しておくと、流通監視が無駄というわけではない。

 おおよそ軍が必要とするような物資というのは、足りなくなれば国家の安泰を揺るがす事態に陥りかねず、また用途次第では大きな被害を出しかねない物も多い。だから陸軍独自でも、日ごろから流通データを集めて分析しておくのは大切な職務なのだ。

 ……とはいえ、だ。


「毎日毎日、パソコンとにらめっこさせられることになると思うと、なかなかこたえるな」

「若手のホープで最強格の戦力にやらせる仕事とは思えないね」


 陰鬱そうな顔をする烏京に、恋太郎は苦笑しながら煙を吐き出すと、長くなっていた灰を弾いて散らした。


「同情はするけど、しばらくは大人しく従っておくことをお勧めするよ。キミは若いのに出世しすぎたから、あちこちで妬みを買ってるんだ。ここぞとばかりに難癖をつけて、軍から追い出そうとするヤツがいないとも限らない」

「忠告痛み入るが、俺もやられっぱなしでいるつもりはないぞ」

「だとしても、だぜ。今は我慢して、状況が変わるのを待つべき時だ。ボクも動いてみるからさ。キミは他人に任せることを覚えなよ」

「むう。……って、煙を寄せるな」


 指に煙草を挟んだまま手をこちらに向けたので、烏京は険しい顔をさらに渋くして払いのけた。


 恋太郎の進言もあり、その日は物資の種別ごとに流通状況の推移データをまとめることに費やして。

 帰宅した烏京は、職場でのことを兎木子に明かした。


「――そんなわけだ。しばらくは、出世どころじゃない」

「なるほど。ままなりませんね」


 兎木子は残念そうにして、湯気の立つ湯呑みに口をつけた。


 二人は畳敷きの居間でちゃぶ台を挟み、夕飯の後の一服をしているところだった。

 家事全般を引き受けたお鶴は、台所で洗い物をしている。ちなみに居間は長年の埃が積もって染みついていたが、初日に金津由の使用人たちが徹底的に掃除して古くなっていた畳やらエアコンやら全部を換えてくれたので、新築も同然の清潔さであった。


「あまりに居づらいようでしたら、いっそ転職するのも手では?」

「できれば、それは避けたいがな」


 軍人という地位を捨てるのは、最後の手段にしたかった。

 実家を出るのに抵抗はなかったが、それとこれとでは心情的にも実利的にも色々と違う。


「退魔士として多くの人を救え、と。それが母上の遺言だ。そのために俺は腕を磨いてきて、才能にも恵まれたらしい。戦場から降りることは、俺のすべてを否定するようなものだからな」

「軍人の他に、選択肢はありませんか」

「なんせ、扱うのが『暴力』だ。公に振るえるのは軍か警察か。民間の場合でも許認可権でお上に首根っこを押さえられてるから、どこへ行っても圧力からは逃げられん。扱える権限が一番大きいぶん、軍に残る方がいくらかマシだろう」

「なるほどなるほど。……わたしのために出世していただくなら、たしかに道は一つしかないかもしれないですね」

「あったとしても、俺は知らん」


 いったん話を区切り、猪口をあおった。

 芳醇な香りと酒精の熱とを味わい、唇を湿らせてから、さらに続ける。


「陸軍で出世するなら、何を置いても式神を手に入れるのが第一だ。式神の質自体が評価になるし、武功を立てるにしても式神なしじゃ現場に出ることもままならないからな。……で、金津由の手先を上に乗せられて、身動きが取れずにて困ってるということになってる」

「なるほど、なるほどなるほど」

「せめて、直属の上司が話の通じる相手なら、まだ楽なんだがな」


 手酌で清酒を注ぎながら、烏京はボヤく。

 上下関係の厳しい軍隊では、思い通りにいかなくても逆らうわけにはいかない。恋太郎が裏から手を回すと言っていたが、果たしていつまで待てばいいのやら……と鬱屈していたら、「ところで」と兎木子が訊ねた。


「新しい上司というのは、金津由の関係者なんですか?」

「ああ。増田ますだ留夫とめお少佐。本家に来たのは一度あるかないかで、俺も面識がないからわからなくても無理はないが……父上の従妹の花江叔母は知ってるな? あれの結婚相手だ」

「花江叔母様の! そうですか。それはそれは……ふひひ」

「?」


 何が面白かったのか。ほくそ笑んだ兎木子は、しかしすぐにすまし顔を取り繕うと、こう言った。


「もしかしたら、わたしも烏京様のお力になれるかもしれません」


 まだあどけなさの残る少女なのに、年上の恋太郎と同質の頼もしさを烏京は感じたのだった。

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