第8話 実家を追われて
金津由家は丸一日、大混乱だったらしい。力の根源である式神を失ったわけだから、その衝撃は推して知るべしである。
らしい、というのは烏京が家中のことに関われなかったからだ。
「貴様とは親子の縁を切る!」
と言い放ったのは父の雄鷹。
父にしてみれば息子がもう一人いるので跡取りの心配もなく、こちらとしても望むところだったので絶縁の手続きは滞りなく進み、驚くほど短時間で烏京は荷物をまとめると本邸を出ていったのだった。
そして現在。
烏京は一人、古びた屋敷の庭を歩いていた。
場所は帝都の郊外にある住宅街に建つ和式建築。金津由家が所有していた別邸の一つで、絶縁に際して財産分与を要求したら権利書を投げて寄越してきた物である。かつて愛人を囲っていた家だ、というのは後々に知った。
長らく使っていなかったと聞いたが、一応の管理は行っていたらしく最低限の手入れさえすれば住むには支障なさそうだ。
「結界までついてるのか。思いのほか、いい家を寄越したな」
外塀に刻まれた防護の術式を発見。
見分ついでに補修や強化を施しながら、庭をぐるりと一周して表門まで戻ってきたところで、烏京は区切りをつけると踵を返した。
飛び石を踏んで玄関の引き戸を開けると、中では何やら口論が起こっているようだ。詰め寄る幾人もの男女に、和風人形のような少女が応対している。
「何の騒ぎだ」
「……あっ、烏京様」
声をかけると、包帯を巻いた顔で兎木子が振り返った。
戦いの後、彼女は金津由お抱えの医師の下へと担ぎ込まれた。退魔士は危険な仕事なので、医術に通じる者を手元に置いていたのが幸いした。
怪我と妖気当たりを起こしたことで高熱を出していたが、早い段階で処置できたおかげで、一晩も眠ると元気に歩いて飲み食いできるまでに回復していた。
「問題でもあったか?」
「いえ、そういうわけじゃないんですが……この人たちが帰ってくれなくて」
兎木子は困ったように、周りの大人を示して言った。
作業着の男やたすきをかけた女中などは、金津由家の使用人たちである。兎木子に詰め寄っていた彼らは、今度は烏京へと向き直ると勢いよく頭を下げた。
「坊っちゃんにもお願いいたします。わしらをここに置いてやってくだされ!」
「私らも、ご一緒させてください!」
「と、こんな感じで」
肩を竦める兎木子。
「……随分と、慕われてるな」
「なにを他人事みたいに。皆様、烏京様について来たがってるんですよ」
「……心当たりがないんだが」
烏京は困惑気味に頭を掻いた。
愛想の悪さは自覚しているところで、家にいる時はもっぱら武術と退魔術の鍛錬一辺倒だったから、情が湧くほども関係性を築いてこなかったのである。外面のいい兎木子ならばまだわかるのだが、ここまで懇願されるほど好かれているというのは正直意外だった。
とはいえ、いくらありがたいといっても、ない袖は振れない。
「悪いが、お前たちは本家に帰ってくれ。知っての通り、俺は勘当された身だ。これまでみたいに使用人を雇えるほどの余裕はない」
「無給でも構いませんので!」
「……構わないわけがないだろう」
「そうですよ。お金は大事です」
横から、兎木子の加勢。
少女は烏京に乗っかる形で、半ば意固地になって食い下がる使用人たちを諭した。
「小林さん。あなたは去年、お子さんが生まれたばかりでしょう」
「うっ……」
「小谷さん。あなたはお父様が病気になられたそうじゃないですか」
「それは……」
「小島さんは、夢のためにお金を貯めていると言っていましたよね」
「あ……」
烏京は聞いたこともない話――というか個々人の名前を憶えているかすら怪しい――だが、指摘を受けた者は冷水をかけられたように黙り込んでいく。
「ね? どうか聞き分けてください」
「うぅ……兎木子さまぁぁぁ!」
「なんてお可哀想な」
「せめて連絡先だけでも!」
散々別れを惜しんだ末に、使用人たちは名残惜しそうにしながらも大人しく去っていった。
そして、玄関には烏京と兎木子だけが残される。
「やっぱり、慕われてるのはそっちじゃないのか?」
「そりゃまあ、嫁入りしてからも味方になってもらえるようにと、普段から気を使ってましたから? でも、烏京様のためを思っているのも本当なんですよ」
「……どうだかな」
関心なさげに返して、烏京は何となくそのまま閉じた戸を眺めていた。静寂の下りた玄関に立ち尽くし、やがて居心地が悪くなってきた頃になって、探るように口を開く。
「……で、お前はどうする?」
「どうする、とは?」
「出ていってもいいんだぞ。俺には名家の後ろ盾も、最強の式神もいない。もうお前の望む権力はなくなった」
使用人は生け贄など裏の事情を知る立場ではなかったのだからいいとして、兎木子は最大の被害者である。追放された烏京に愛想を尽かす理由ならばいくらでもあるはずだったが、訊ねられた兎木子は静かにほほ笑みを浮かべて包帯を解いてみせた。
「こんな顔で、他のどこへ行けと言うのです?」
露わになった左頬には、イサナメにつけられた傷が刻まれていた。
横に一文字。紫に変色し、ミミズが群れるようなケロイド状に腫れ上がった傷だ。
医者に診てもらったところ、骨角で裂かれると同時にナメクジの溶解毒で焼かれたらしい。おかげで化膿したり出血が増えたりすることはなく、早期の回復が実現したわけだが、代償として傷口は醜く歪んだ形で固まってしまった。金と時間をかければ改善できるだろうが、完全に消すことは困難だと言われている。
「この顔では、良い条件の結婚なんて無理な話です。玉毬の家も帰ってこいとは言ってきませんし、今から他の生き方を探すよりも、烏京様に責任を取っていただく方がまだ楽だと思うんですけど」
「……すまない」
直視するのが辛くて、烏京は目を逸らしてしまった。
しかし、その反応が兎木子はお気に召さなかったのか、視線の先へと回り込んでくる。可愛らしく頬を膨らませた上目遣いで、こちらを見上げて。
「謝らないでくださいと、昨日も言いましたよ。烏京様を責めたいわけでもありません。ぜんぶ覚悟してのことです。逆の立場だったら、わたしだって同じようにしていたかもしれないんですから」
「それは……」
「それに、です。あれだけがんばったのに、壁を作るような言い方をされるのは……少し寂しいです」
「……む」
ここで悲しそうな表情をされると、烏京も弱い。
決まり悪そうに左右へと目を泳がせ、頭を掻きむしって、観念したように深々と息を吐いた。
「わかった、もう言わん。これで最後だ」
そして、おもむろに襟を正すと、兎木子の前に片膝を着いた。物語の騎士が姫君を前にしてするように。誠心誠意、心からの誓いを込めて。
「兎木子、感謝する。今回のことで、俺はお前に計り知れない借りができた。何を置いてでも必ず、生涯を懸けて返していく」
「……。はい、期待していますね」
こういう時、即座に臆面なく受け取ることのできるのは大した度量だと思う。
顔を上げると、兎木子は先ほどまでの憂いはどこへやらで、ニコニコと楽しげだ。嫌というわけではないのだが、どうにも手の平の上に乗せられている気分にさせられる。
自分だけ深刻でいるのも馬鹿らしくなってきて、烏京は肩の力を抜いて立ち上がった。
「まあ、なんだ。俺の方がもらうことも多いだろうが、よろしく頼む」
「ええ、こちらこそ」
「大変、よろしゅうございますねぇ」
「おっ」「きゃ!?」
二人の間から第三者の声がした。
ギョッと飛び退く烏京と兎木子。果たしていつからそこにいたのか、二人きりだったはずの玄関には幼児のように体が小さく縮んだ老婆の姿があった。
「お、お鶴さん……いたんですか」
「婆様、妖怪みたいな現れ方はやめてくれ」
心臓に悪い、との抗議をお鶴は悠然と受け流し、小脇に抱えた風呂敷包みを示して言った。
「坊ちゃま。ワタクシだけは残らせていただきますよ。もう隠居した婆ですので、お賃金なんて無粋な話はいたしません」
「いや、婆様にそこまで世話を焼かせるのは……」
「そう、申し訳ないです」
「おやおや、もしや婆がいるとお邪魔ですか? 籍をお入れになった以上とやかくは申しませんが、良家の男女がいきなり一つ屋根の下で二人暮らしというのはいかがなものかと」
「……二人暮らし」
「……あ」
パチクリ、と。
烏京と兎木子は瞬きをして、顔を見合わせる。
「そういや、二人きりになるのか」
「……っ!? う、うう烏京様!」
考えてなかったな、と呟いたら、兎木子は発火したみたいに顔を赤らめて、慌てふためきながら詰め寄ってきた。
「ああ、あのですね。失念していましたが、わたし力仕事はできませんし、家事も得意というほどじゃないですし、人手は必要だと思うんです!」
「む……一理あるな。ここは婆様に甘えさせてもらうか」
「はい! それがいいかと。…………あぁ不覚不覚不覚わたしったら何でこんな当たり前のことに気づかなかったのかしら皆を帰したらどうなるか考えもせずにもしもこのままよよよよよ夜になってたら」
なにをブツブツ言ってるのかよく聞こえないが、頭を抱えてよほど動揺しているようだ。
ひとまずそっとしておくことにすると、お鶴がさりげなく袖を引いてささやきかけた。
「坊ちゃま。兎木子さまはまだ十六です。詳しい事情は存じませんが、急なご入籍で戸惑うことも多いでしょう。是非とも、節度を守ったお付き合いをないますように」
「言われなくても。ついこの間まで学生だった子どもに無体はしない」
仏頂面で返して、烏京は腰の軍刀を撫でた。
今後の暮らし。
兎木子への恩返し。
考えることは数あれど、今の烏京はあまりにも無力だ。お鶴などの助力に頼ってばかりもいられない。早急に、烏京自身が新たな力を得たいところだ。
まず第一に為すべきこと。
それは、イサナメに代わる式神の獲得である。
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