第7話 激怒の一太刀
イサナメは触角を巡らせた。
破れた結界を見、外で動揺している男たちを見、兎木子を背にして軍刀を構える烏京を見下ろして、そして言った。
『嘘、ってのはァなんのことだい? 結界の外からじゃ、何を話してたかなんて聞こえなかったろうに』
「聞こえなくても、嘘を吐いてるかどうかはわかるさ」
『……。……ああ。なァるほど、ね』
合点がいったように、イサナメは吐き捨てた。
『小娘の台詞を、示し合わせてたわけだ』
提案したのは、兎木子の方からだった。
生け贄の儀式にて妖魔と相対する際に、烏京の「人々を救う」という意志に協力する気が本当にあるのか確かめてみよう、と。
もしも嘘偽りがあったなら、烏京としても生け贄を差し出す理由が露と消える。兎木子が生き延びるための、唯一の可能性となるのだ。
そして臨場。
会話をするイサナメに嘘の気配がなかったことと兎木子のリアクションからおおよそを察して、こうして救助に動いたのである。
『にしても、呆れたねェ。アタシの妖力が消えた刀で、あの結界を斬るだなんて。ホントにいい腕をしているよ』
「……苦労はしたさ。おかげで、兎木子に怪我をさせた」
無傷で助けてやりたかったのに、と後悔が滲むが、悔やんでもいられない。
今は目の前の妖魔を斬ることが最優先だ。
闘気を練りながら、一歩踏み出す。ところが、いざ振るわんとした刃の前に、幾重もの黒装束が立ち塞がった。
剣を抜いた家来たちの壁の後ろで、父が怒鳴る。
「止まれ、烏京! 貴様、自分が何をしているのかわかっているのか!?」
「わかってるさ、父上。そいつは俺に味方する気がないと白状した。敵になるなら、迷わず斬れる」
「……ほ、本当、です。わたし、聞きました」
背後で、兎木子が身を起こしながら言った、
「生け贄の儀式は、妖魔の封印を解くためのものだって。封印が解けたら、金津由を裏切って災いを振りまくって」
血濡れた手で左頬を押さえながら伝える彼女に、嘘は見当たらない。
そんなことを言っていたのか。と、少なからずショックを受ける烏京だったが、同時に違和感も覚えた。
眼前の家来たち、そして父。
彼らの表情に、動揺がないのだ。
兎木子の話を信じていないのか、とも最初は思ったが、それにしたって無反応が過ぎるんじゃないか……とまで考えて、目を見開く。
「………………まさか、知ってたのか?」
誰も口を開かないのが、なによりの回答であった。
近い将来、イサナメは敵になる。それがわかっていて、邪悪な儀式を続けてきたというのか。
愕然とする烏京に、父は聞かん坊を諭すような声で語りかける。
「落ち着け。何も今日明日のことではない。封印なら、あと二十年は持つ」
――アト 20ネン ハ モツ。
くらり、と烏京はよろめいた。
膝の力が抜けそうになって、軍刀を杖にする。鋼鉄の切っ先が、固めた土床に突き刺さる。
――タッタ ノ 20ネン。
十年前、顔を青くしながらも毅然と逝った母が脳裏に浮かんだ。
すぐ後ろで、真っ赤な血を流している兎木子が見えた。
より以前の生け贄にされた女性たちや、将来生まれるだろう犠牲者たち。
数えきれない重みが双肩にのしかかり、腕を垂れてきた生温い液体が両手を穢すのを幻視する。嗚呼、俺の固めた覚悟なんてその程度の価値しかなかったのか。
ふ……
「ふざけるなぁぁぁぁアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!」
軍刀が、土くれを飛ばして閃いた。
怒れる剣風が巻き起こり、目にも留まらぬ打撃音が連続したかと思うと、父たちが吹っ飛ばされた。
わずかに残った理性で峰打ちにしたが、次々に壁に叩きつけられては鏡を割り蝋燭を蹴散らしながら横たわった彼らの生死は判別がつかない。
「イサナメぇぇぇぇぇ!!」
『馬鹿な坊やだ。何も考えずに親の言うことを聞いていればよかったのに』
激昂したまま邪魔者を排して斬りかかっていく烏京に、イサナメは嗜虐的な憐れみを浮かべながら骨角を伸ばして迎え撃つ。
『どんなに腕がよくても、式神のない退魔士がアタシに勝てるもんか!』
甲高い衝突音が大気を震わせた。
濃密な妖気を帯びた骨角と、軍刀が交差する。イサナメの攻撃的な意思を反映した妖気は、霊的鍛錬を重ねた刃金をピリピリと軋ませ、戦闘用黒狩衣の守護をも貫通して強酸のごとく肌や髪を焼く。
体のあちこちから煙を上げながらも、烏京の心は明鏡止水。むしろ痛みを手綱として荒れ狂う激情を縛り上げて制御すると、高まる魂の波動を軍刀へと込めた。
力強い霊波が、式神の抜けた空っぽの刀身を満たしていく。
――集中し、圧縮しろ。
――妖気に呑まれるな。
――喰らいつき、呑み干せ。
「退魔術、
不快音を響かせて、ぶった斬られた骨角が床に落ちた。
悲鳴を上げて仰け反る大ナメクジを冷徹に睨んで、烏京は振り抜いた軍刀を八相に構え直す。
その刀身には、粘質な妖力がたっぷりこびりついていた。
敵の持つ妖力に霊波でもって干渉し、強奪する高等技術。まさかイサナメのような最高位の妖魔を相手にして成功させるとは、おそるべき技巧と霊波出力である。
「明けても暮れても鍛錬してきた。貴様の妖力の質なら、嫌というほどよく知っている。喰らえないはずがあるか」
『ぐっ……』
狼狽えるイサナメに、烏京はにじり寄る。
そびえる大樹のように大きく構えた八相は微塵も揺るぎなく、喰らった妖力と蝋燭の反射が合わさって、地獄の業火をまとっているかのような迫力があった。
『ほ、本気でアタシを殺そうってかい? 誰のおかげで、この家が大きくなったと思ってるんだ!』
「たしかに、貴様の世話になったのは否定しない。……せめてもの礼だ。一太刀で終わらせてやる」
妖力操作、一点集約。
手に入れた妖力のありったけを、軍刀の切っ先三寸――物打ちと呼ばれる最も攻撃力を発揮する部位へと集める。超高密度に圧縮されたエネルギーとは対照的に、烏京の全身からは力が抜けていった。
臨界点まで高まった妖力が、
零地点まで脱力した筋力が、
――――弾ける。
「カッ!!!」
一瞬だった。
ゼロから100。下限値から上限値へと跳ね上がった筋肉の全てを、刀を振るうという一動作へと注力。渾身の太刀廻しは肉眼では光の筋にしか見えず、そして残光は解き放たれた妖力によって現実の斬撃となり、雷光のごとく駆け抜けた。
一拍遅れて、吹き荒れた剣風が残りの蝋燭を消していく。
二つ、三つばかりの火が耐え抜いて、もう一拍してやっと結果が追いついた。
ズヌリ
大ナメクジの巨体のど真ん中に線が生じて、土石流みたいに滑りながら左右へと崩れていく。
その背後には蓋の空いた土器があって、パキと小さな音を立てて同様に真っ二つになった。
「……終わった、か?」
烏京はしばし残心を取っていたが、倒れたイサナメの肉体が溶け出し、地下室に満ちていた妖気が急速に晴れていくのを感じて、ゆっくりと軍刀を下ろした。
まだ、完全に安心できたわけではない。
とりあえず土器の中身を検分して、それから……と考えをまとめていたら、トサッ。背後で軽い物が落ちる音。
見れば、兎木子が倒れ伏していた。
慌てて駆け寄れば、意識を失っているらしい。ちゃんと呼吸はしているものの、ひどい熱だ。
「まずは医者だな」
思考を中断。
烏京は即断して軍刀を鞘に収めると、兎木子を抱き上げて急ぎ出口へと向かった。
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