第5話 あらがえぬ定め

 十年毎に一人、家中の女を生け贄に差し出すべし。


 それが金津由家に伝わる式神イサナメと交わされた契約であった。

 そも退魔士とは、妖魔を式神として使役し、妖力を操って術を行使する技法の遣い手であり、退魔士としての性能は式神によって七割方が決定されると言われるほどだ。

 その点イサナメは現代で確認されている中でも最高位の妖魔である。伝承によれば先人が数多くの犠牲を出しながら封印した大妖魔を、先代当主――つまり烏京の祖父が式神として従えることに成功したそうだ。

 以来、金津由の術士は戦後帝国軍の一翼を担う退魔武官として数々の武功を上げてきたのである、と。


 当然ながら、一族郎党でも限られた者しか知らない秘密だった。

 金津由家は化け物を飼っているなどと陰口めいた評判が立ったりもしていたが、文明開化以前でもあるまいに生け贄などという血生臭い風習が現代の東京にて行われているとは、誰も想像すらしていないだろう。


 この事実を、烏京が知って受け入れたのは十才の時だった。

 苦い必要悪だと割り切って飲み下し、鍛錬にいそしんで、軍人となった今では自らがイサナメの使役者となって武威を振るっている。

 そしてニ十才を迎えた今年の冬。


「父上、兎木子が生け贄に決まったとは本当か!?」


 書斎の扉を、烏京は蹴り破った。

 帰宅したばかりなので、戦闘用の黒狩衣だ。怒気を露わに上がり込んできた長男には目をくれず、父は衝撃で倒れたペン立てを起こす。


 金津由家現当主、金津由雄鷹ゆたか


 刻まれたシワや目つきには濁った疲労の色が強く、厚い胸板がいかにも武人らしい男だ。親子と言われれば面影があるものの、あまり烏京とは似ていない。ちなみに、陸軍での階級は少将で烏京より四つ上。年齢および職歴では二十年近くの差がある。


「声が大きい。誰かに聞かれたらどうする」

「十六の子どもだぞ!」

「もう学校は卒業しているだろう」


 ダンッ、とマホガニー製の机を殴りつける烏京に対して、父は昏い上目遣いを返す。

 親子の視線が衝突して、火花が散った。


「あの子とは婚約しているだけだ。まだ家族にはなっていない」

「ついさっき役所に婚姻届を提出してきたところだ。……『白羽の矢』が選んだ時点で、もうどうにもならんことはお前だってわかっているだろう」

「そっ……れは、」


 言い返そうとして、しかし烏京は冷水を浴びたようにうなだれてしまった。


 生け贄の選定には、特別な白い矢羽をつけた矢が用いられる。呪術的な作法に則って放たれた矢は物理法則を無視して飛翔し、もっとも相応しい対象に命中するとされていた。

 白羽の矢が立つことはそれ自体が儀式の一環であり、恣意的に生け贄を変更できないことは、烏京もよく知るところだった。


「……玉毬家は、納得してるのか」

「婚姻届けに同意のサインをした。我が家に差し出した以上は、実の娘だろうと家中の決まりに口出しはさせん」


 父は淡白に言いきって、話は終わりとでも言うように追い払う仕草をした。


「見苦しいマネはよせ。お前だって、式神を失いたくはないだろう」


 指摘されて、思わず左手が腰に差した軍刀を握る。

 妖魔を封じ込めて式神として操るための封魔具も兼ねた軍刀。父が前線に立たなくなってから譲られたイサナメの妖力が宿っていたのだが、今は完全に失われていた。

 再び式神として扱いたければ、生贄を差し出すより他に選択肢はない。


「……クソったれが!」


 烏京は吐き捨てることしかできず、無念のうちに書斎を後にしたのだった。


 そして一階へと下り、もう一つ階段を下った先の部屋。限られた人間以外は立ち入りを禁じられている地下室に入ると、深々と頭を下げた。


「……すまない、兎木子」


 地下室、というよりも地下牢と呼ぶべき光景だった。

 外光は届かず、明かりは天井の古い蛍光灯だけ。

 ジメジメとしてカビ臭く、よどんだ冷気が充満している。

 出入り口は一つ。極太の木材に不気味な呪文をびっしり刻み込んだものを組んだ格子によって、手前と奥とを完全に分断しており、他は土壁と畳敷きだけで特筆すべき物は何も置いていない殺風景な部屋だ。


 牢の中にいるのは兎木子だ。白装束に身を包み、畳の上に座り込んでいた兎木子は、無様な烏京に力なくほほ笑み返す。


「謝らないでください。生け贄のことを聞いた上で、それでも婚約を望んだのはわたしです」


 兎木子はまるで己の運命を受け入れているように振る舞いながら、さりげなく目元を拭う。蛍光灯の光がおぼろげでわかりづらいが、よくよく見れば泣き腫らしたような赤みが認められた。

 当然だろう。

 今年で十六才。ようやく女学校を卒業したところで、結婚だってまだ早いと思っていたのだ。いきなり死を突きつけられて平気なはずがないことくらい、烏京にだって理解できる。

 ……理解は、できる。

 できるのに、やはり烏京は助けてやるとも生きろとも言ってやれなかった。


『私が死ぬ代わりに、あなたはたくさんの人を救いなさい』


 胸の奥に刺さって抜けることのない言葉がある。


 十年前。前回の生け贄に選ばれたのは、烏京の母親だった。母は幼い烏京にそう言い遺して、粛々とお役目に殉じたのだ。

 託された遺言を果たすべく、烏京は武術を磨き、退魔術を学び、軍人になって積極的に任務へと身を投じてきた。


 事実として、烏京の働きによって死なずに済んだ命は数えきれない。


 イサナメとの契約を破棄すれば、今後妖魔の災厄に見舞われた際に多くの犠牲を許すことになるのではないか。そう考えてしまうのだ。人を救えなくなったら、これまで捧げた生け贄の意味がなくなってしまうのではないか、と。

 結局、烏京が兎木子にできることは、ただ謝罪することだけ。

 しかし、兎木子自身がそれを否定した。


「お見合いの席で、わたしが夢を明かしたのを覚えていますか」


 懐かしむような目で、兎木子は語りかける。


「他人にあんなことを話すなんて初めてだったんですよ。馬鹿にされることもなく真剣に聞いてもらえて、本当に嬉しかった。この人とならきっと上手くやれると思えて……だから、後悔はしてないんです」


 彼女の言葉に嘘がないのがむしろ余計に哀しくて、烏京は返す言葉もなく、


「それに、わたしはまだ全部を諦めたわけじゃありませんから」

「……?」


 どういうことか。

 意味ありげな台詞に顔を上げると、兎木子はいつもの不敵ながら大和撫子然とした微笑を浮かべていた。


「ねえ、烏京様。一つ、もしもの話をしてもよろしいでしょうか」

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