第2話 妖魔退治

「だから反対したのだ。一ヶ所に結集して迎え撃てば、多少の犠牲を払おうとも必ずや倒しきれたものを。いたずらに戦力を分散させおって。……もう見ておれん! 各小隊に連絡しろ、『天網』は中断して総員攻撃態勢を取れ!」

「し、しかし金津由大尉の指揮では、詠唱の護衛にのみ集中せよ、とのことですが」

「無視しろ! 単身で前線に出るような馬鹿だ、どうせすぐ死ぬ。手柄を一人占めできると思っとるのか知らんが、あんな若僧の道連れになるのは御免だ!」


   *


『――だとか何とか、今頃は怒鳴り散らしているんじゃァないのかい?』


 一人、崖を下りていく烏京の耳元で、何者かが囁いた。

 粘っこく不安を煽るような声だ。

 烏京は顔をしかめたものの、指揮官の様子からしてあり得ないとは言いがたい。

 単独で前線を請け負ったのは、これ以上の死者を出さないためと、他に戦闘員がいたところで邪魔になるからなのだが、とても意図が通じていたようには見えなかった。


「人の気も知らないで……。さっさと始めるか。勝手に動いて死なれても困るし、俺の手柄にケチがついてもつまらん」


 再び嘆息して、腰の軍刀に左手をかけた。

 鯉口を切る。

 右手を柄に、小指から順に締めるようにして握る。

 黒鞘より音もなく滑り出たる刃は、斜陽を映した茜色。長さは二尺三寸五分。鍔元には封魔印の彫金。反りは浅く、身幅の広い剛刀である。


 日ノ本帝国戦後六十年式封魔刀。銘は、『雷国三代』。


「解封――従え、『勇那女イサナメ』!」


 鏡のような刀身に瞳を映して呪を唱えれば、魂の揺らぎが刃に伝わり、鋼鉄の内に封入した理外の力を解放した。

 ピシリ、と軍刀の表面に幻の亀裂が生じて、ドロドロと粘液のような妖気が溢れ出る。

 妖気の漏出は止まることがなく、烏京を包み込みながら強大な影を形作っていった。濃密な妖気に呼応して大地は震え、足元の小石や枯れ枝が踊り出し、天が怯えるように乱気流が吹き荒れる。


 疾ッ!


 地を踏み抜いて、烏京は瞬発した。

 火の点いた砲弾のごとく飛び出した体躯は一歩目にて斜面を離れる。重力加速度に乗って落ちていく先にあるのは、猛り狂った夜刀の群れ。夕日が山の端に隠れて濃くなった闇の中に、光る蛇眼が数えきれないほどうごめいている。


 軍刀を諸手上段の構え。

 まとう妖気を刃金に集約、圧縮して一気に――ぶん廻す!


 自らを旋盤と化したような回転斬りが、先頭の夜刀が掲げた鎌首を断ち落とした。

 凄まじい剣圧は嵐を巻き起こし、余波だけで周りの大蛇を薙ぎ倒す。落下の勢いを使い果たした烏京は、落ちた蛇頭よりも遅れて着地。残った回転力を靴底の摩擦で止めると、軍刀を弓矢のごとく引き絞った構えで静止する。


 妖気操作、伸延。


 右片手一本による刺突は間合いを超えて伸び、正面の夜刀の喉を捉えた。

 隙間なく規則正しく敷き詰められた蛇鱗の中にただ一枚、紛れていた逆さ向きの鱗を貫かれた夜刀は大きな体を痙攣させて、そのまま絶命する。


『キシャ――ッ!』

『シャォォォォ!』


 一瞬だけ生じた空白は、しかし後から押し寄せる大蛇によって上書きされる。二体ばかり倒したところで怯みもしなければ怒りもせずに、焼け石に水ほどの効果もなかった。


「まあ、そうだろうな」


 今のは挨拶代わりで、ここからが本番である。

 軍刀に集中させた妖気を全身に広げ直すと、こちらから突っ込んでいった。同族の死骸を踏み越えてまさに喰らいかかろうとしていた夜刀へと真正面から。

 激突の寸前、ヌラリと躱して脇をすり抜けると、蛇群の海へと滑り込む。


 見渡す限り、聞こえる限り蛇、蛇、蛇、蛇、蛇。

 匂いも肌触りも蛇に埋め尽くされた空間を、妖気をまとった烏京は潰れることもなくなめらかに駆け抜ける。


 斬るでもない。


 ただ密集した大蛇の間隙を縫うようにしながら、軽く撫でてやるだけだ。夜刀の喉元にある逆さ向きの鱗――逆鱗を。


『シギャァァァアァァァァァアア!!?』

『シギャァァァアァァァァァアア!!?』

『シギャァァァアァァァァァアア!!?』

『シギャァァァアァァァァァアア!!?』


 立て続けに、夜刀が絶叫した。

 逆鱗とは竜種にとって致命の急所。破壊されれば死に至るそれは触れられただけでも激痛を発し、竜は理性を失って七転八倒に暴れ回るとされている。夜刀もまた例外ではなく、烏京の手が触れた個体はたちまち暴走状態へと陥ったのだ。


 激昂するに任せてのたうち回り、やたらめたらに角を叩きつけて尾をうねらせる。すると巻き込まれた同族が反射で噛みつき返し、のけ反ってまた別の仲間を角で刺して……と混乱は次から次へ将棋倒しよろしく伝播していった。


『あっはは! 雑魚どもが、ちょっとは踊れるようになってきたじゃァないのさ』

「黙っていろ」


 蛇の大海を泳ぎながら、飛んでくる角や牙や竜尾を躱しつつ。

 聞こえてくる愉しげな声をピシャリと叱って、烏京は手近な夜刀の尾先に乗った。狂乱する蛇が思いっきり尾を振るうと、先端へと伝わる遠心力を借りて大跳躍。


「さて、と。具合はどんなものか……」


 上空から見下ろしてみれば、夜刀の群れの八割方にパニックが及んでいた。

 蛇の密度が高い中心部にいくほど酷い。混乱はさらなる混乱を生み、結界の発生源を襲おうとしていたことも忘れて仲間同士で相争っている。


 ただし、残りの二割。


 群れの外周にいた個体には混乱が届いておらず、山林の木々を薙ぎ倒して各小隊の配置地点に向かって進軍を続けていた。


 ――第一小隊のいる地点が一番遠い。

 ――第五小隊は早くも銃火器による迎撃を初めている。

 ――次いで接近されているのは、第四小隊か。


 状況を見渡した烏京は、妖気を左の手の平に集中させる。照準は、第二小隊方面の夜刀。


 ……発射。


 集まった妖気は水滴のように表面張力でふるふるとしながら、手の平から離れた瞬間ものすごい勢いで大気をぶち破り、着弾すると爆ぜて四方に飛沫を撒き散らした。

 ジュワッ――と、妖気に触れた蛇鱗が煙を吹いて脆くも崩れる。

 逆鱗ではないので死にこそしないが、溶解性の粘液に触れた大蛇は悲鳴を上げて横倒しになり、後続の夜刀と絡まって団子になってしまう。


 烏京はなおも溶解弾を撃ちまくり、その反動をもらって第五小隊方面へと飛翔。自らも弾丸の速度で飛来しながら、再度軍刀に妖気をまとわせて延伸する斬撃で斬り刻んだ。


 蛇の冷たい血が飛び散る。


 頑強な竜蛇の鱗を裂く、長大な斬撃。夜刀たちは、降ってきた烏京を脅威と定めたようだ。

 鎌首を第五小隊からこちらの方へと巡らせて、噛みつき角突きしてくるのを、烏京はスルスルリと避けると鬼さんこちらとばからに背を向けた。

 斬られた夜刀はいきり立って追いかけてきて、釣られるように周りの十や二十も追い駆けてくる。何体か引きつけられずに残してしまったが、あれくらいなら小隊の武装だけでも対処できるだろう。


 蛇群の流れを誘導して、烏京は斜面の急な山中を滑るように移動。第四小隊方面まで来たら、別の夜刀が小隊を襲おうとしているのに遭遇したので、同じく適当に斬りつけて標的を自分に変えさせ、さらに走り続ける。

 追っ手の数はみるみる増えていき、気が変わらないよう肩越しに攻撃して挑発しながら、烏京はひたすら逃げてが来るのを待っていた。


 ピピ……ガガッ


 突如、懐から電子音。

 事前に渡されていた軍用無線機だ。『天網』の術式詠唱が完成した合図である。


『なんだ、もうお終いかい? つまらないねェ』


 白けた声が聞こえたが、烏京は無視して封魔の呪を唱えた。呪文に乗せて霊波を軍刀に流し込むと、刀身に浮かんでいた幻の亀裂が塞がって妖力の放出がせき止められる。

 納刀し、供給が途絶えて霧散していく妖力の残滓を、烏京は両脚に集中させて一気に加速した。

 夜刀の群れを置き去りにして斜面を駆け上がると、そこには即席で敷かれた小隊の陣がある。

 顔ぶれと位置関係からして、第三小隊か。


 跳躍。


 残った妖力ありったけを使って小隊を飛び越えながら、鋭く命じた。


「やれ!」


 隊員の一人が、すばやく無線機を握って怒鳴りつけた。直後に術師たちが詠唱装置のトリガーを引く。


 ――広域殲滅型退魔結界『天網』、発動。


 一帯を覆い尽くしていた不可視の結界が、黄昏の闇を切り払った。

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