富士山

増田朋美

富士山

その日杉ちゃんが、蘭の家に、いつも通りに買い物に行こうと誘いに行くと、蘭は、旅行カバンを持って、出かけようとしているところだった。一体どこへ行くんだと杉ちゃんがいうと、

「ああ小学校時代の友達とね、富士山五合目まで出かけようと言うことになったんだ。何でも、ジャンボタクシー貸し切りにしてくれたようだから、いかないわけにはいかないでしょ。一泊だけだから、明日には帰って来る。」

と蘭は答えた。

「はあ、誰と何人でいくんだよ?」

杉ちゃんはすぐ言う。

「えーと、四人で行くんだけど、みんな小学校時代よりあったことがなくて、知っている子というか、交流があったのはそのうちの一人だけなんだ。ほら、富樫って覚えてない?前に、家に客として来ていたことがあって、彼女が今回の旅行の主催なんだよ。」

蘭が説明すると、

「富樫さん?ああ、あの、何かちょっと内気な感じの女性だよね?そういえば蘭に背中を預けたんだよな。その彼女が、蘭と、他の仲間を従えて旅行に行くのか。」

杉ちゃんはすぐ答えた。

「そうだよ。富樫美津江さん。背中を預かった後でも、たまにラインとかしていたんだけど、一週間ほど前にはがきが来てね。他に、鈴木由美さんという女性と、勝又紀子という女性と一緒に、富士山五合目に行きませんかと書いてあったんだ。」

蘭は、すぐ説明した。

「はあ、じゃあ、男性はお前さん一人だけか。富士山五合目ってさ、大丈夫なのかい、車椅子で。」

杉ちゃんが心配そうに言うと、

「まあ五合目って言っても、実際に富士登山をするわけじゃないし、ただ五合目のレストランに行って、食事して、富士宮市内のホテルに泊まって帰ってくるだけだよ。じゃあ、行ってくるからね。男一人は肩身が狭いけど、行ってくるよ。」

と、蘭は答えた。

「そうなんだ。蘭が呼ばれたのは、人数調整のためだろう。奇数だと何かしらまずいからねえ。ほら、レストランの椅子に座るときだってそうだろう?」

杉ちゃんがいうと、

「人数調整か。それもあるかもな。よし、行ってくるよ。じゃあ、買い物は杉ちゃんなんとかしてね。明日には帰って来るから。よろしくね。」

と、蘭は、車椅子を動かして、待ち合わせ場所である、ショッピングモールに向かった。車椅子でも、5分くらいで行けるところだ。蘭は指定された待ち合わせ場所である、ペットショップ付近入口に行くと、

「伊能さーん!こちらです!」

と女性の声がしたので、蘭はそちらのほうへ行ってみるとすでに三人の女性が、待っていた。三人とも富士山五合目に行くということで、さほど着飾った感じではなくて、トレーニングウェアを身に着けている人もいた。

「ああ、皆さんもう来ていたんですか。えーと確か、あなたが、鈴木由美さんで。」

蘭がトレーニングウェアを着ている女性にいうと、

「そうよ。まあ和彫りにまつわる仕事してるからって、何でも着物と袴で来ることは無いと思うけど。」

と、鈴木由美さんは言った。

「いやあ、もう着物の方が洋服よりずっと楽なのでね。」

蘭は照れ笑いした。そして、もう一人の、Tシャツとジーンズの女性を見て、

「あなたは勝又紀子さんですね?」

というと、

「正解正解。それにしてもよくわかったわねえ、あたしたちのこと。」

勝又紀子さんは答えた。

「ええ、鈴木さんも、勝又さんもあんまり変わってないものですから。」

蘭がそう言うと、

「じゃあ、あたしはどうなんですか。伊能さん。」

と、今回の旅行を主催した、富樫美津江さんが蘭に聞いてきた。

「それとも彫たつ先生と呼ぶべきだったかしら?」

そういった富樫さんは、やはりカジュアルな服装をしていたけれど、なんだか、能面の小面みたいな顔をしていて、目が小さくて、鼻が低く、頬がプクッとしている顔であった。確か、オカメとか呼ばれていて、すごくうじうじした感じの女性だった記憶があるが、今の富樫さんは、そんな雰囲気はとても見られない。他の女性たちは、それを、蘭が背中に観音様を彫ったからだと言っていたが、それだけが理由になるのかよくわからなかった。

「もうすぐ、ジャンボタクシーが迎えに来てくれるわ。それに乗って、富士山五合目を目指しましょう。」

と。富樫さんが言った通り、蘭たちの前に一台のジャンボタクシーが止まった。ちゃんと車椅子マークもついている。まず初めに運転手に手伝ってもらって、蘭を後部座席に座らせた。そしてセカンドシートに勝又さんと、鈴木さんが座る。そして運転手の隣の助手席に、主催者である、富樫美津江さんが座って、いざ出発と言ってタクシーは、富士宮の富士山五合目にむかって走り始めた。」

「本当に、皆さん僕が知っているころとお変わりないですね。何か女の人は、なにか秘訣があるのですか?」

と、蘭は、他の女性たちに聞くと、

「もう、伊能さんだってあんまり変わってないじゃないですか。それに、今はドイツの世界大会だって出たんでしょ。羨ましいなあ。自分の手で、自分の人生を切り開いていけるって、何か幸せだなあ。あたしなんてただの会社員ですよ。仕事はやってるかもしれないけど、でも、会社の言いなりになるしかなくて、つまんない人生よ。」

と、鈴木由美さんが言った。

「じゃあ、勝又さんは?今何をしていらっしゃるんですか?」

蘭が聞くと、

「ええ。富士駅の近くで、自作の竹細工を販売する仕事をしています。根っからの職人。ちょっと恥ずかしいかなあ?」

勝又紀子さんは答えた。

「そうなんだ。紀子さん今職人?あたしが知ってるときは、大学を出て、すぐに銀行に入ったって聞いたけど?」

鈴木由美さんがいうと、

「銀行はやめちゃった。だってつまんないんだもん。それよりも自分の作ったものを人に評価してもらうことのほうが、ずっと良いわよ。だからあたしは、竹細工の講師になる道を選んだ。」

勝又紀子さんは言った。

「そうなんですか。でも、体を壊すことなく、元気に生活しているんだったら、それで良いじゃないですか。まあ今の時代、すぐに転職するとかそういうことは日常茶飯事ですよ。気にしないで、楽しく生きてください。」

と、勝又さんの話を聞いて蘭は言った。

「そうなると、伊能さんは、大学出てからずっと彫師の仕事をしてるんでしょ?あたしたちと違って、一度も違う職業についてないんでしょ、すごいじゃない。あたしなんてさあ、銀行辞めたときは、もうどうしてそんな親を裏切るような真似をするんだってずっとグチグチ言われっぱなし。まあ、幸い、竹細工の師範免許を貰ったら、許してもらえたけどね。」

勝又さんはそういうと、

「そうかあ。あたしも会社に面倒見てもらっているような人生は、やめたほうが良いかなあ。何か自分で人生を切り開いているって、憧れだったんだけど、あたしは会社に入って、ずっとそのまま。年取ったOLよ。」

鈴木由美さんが言った。

「良いじゃない。ふたりとも嫌なところばかり並べないでさ。きっと、仕事についていられれば良いことあるわよ。だから自分の人生嫌だ嫌だなんて言っちゃだめよ。」

不意に助手席に座っていた富樫美津江さんが言った。それを聞いて、二人の女性は話すのをやめた。

「ま、良いじゃないですか。誰でも人生一長一短ありますよ。それに正解は無いのだから、面白いんじゃないですか?誰でも隣の芝生は青いって思ってしまうことはあると思います。会社に守ってもらっていても、自分で人生を切り開いていても、なにか苦労しているんだと思いますよ。」

蘭はそう言って彼女たちの話すのをなだめた。こういうとき女性だけだと、いつまでも話が終わらない事態に陥ってしまうが、男性がいると、適宜に終わらせてくれるものでもある。

「はい、お客さんつきましたよ。富士山五合目です。」

しばらく山道を走ってタクシーは止まった。今度は運転手でなく、二人の女性たちが、蘭を外へ出してくれた。標高の高いところなので、大変寒いところだった。レストハウスを探してみたが、近くを通りかかった登山者の話によると、火災にあって、なくなってしまったのだという。蘭たちは仕方なく、仮説で営業している売店でパンとコーヒーを買い、それを食べたり飲んだりした。それでも、五合目から見る景色は素晴らしかった。駿河湾も、富士市の町並みも見下ろすことができる。

「さすが富士山だわあ。頂上までいかなくても、こんなきれいな景色見せてくれるんだもん。」

「やっぱり日本一の山よねえ。」

勝又さんと、鈴木さんは、そう言い合っている。

「ああなんか、日本一の富士の山に来ることができたんだから、あたしたちも幸せよね。昔はさ、ここまで来るのは大変だったんだから。それは、嬉しいことだと思わなくちゃ。」

と、富樫美津江さんが言った。その様子がなんとも言えない感慨深い顔だったので、

「富樫さん、なにかあったんですか?」

と蘭は彼女に聞いてみる。

「いいえ、まあここに来て言うのも変だけど、あたし、ずっと体が思わしくなくて、何回も入院してたりしてたんだ。」

富樫美津江さんが答えた。

「そうですか。長期入院が必要だったというと、悪性腫瘍ができたとか、白血病みたいなそういうのですか?」

蘭はそう聞いてみるが、

「それだったら、よほどマシよ。」

とだけ美津江さんは答えて、それ以上蘭の質問には答えてくれなかった。

「じゃあそろそろ帰ろっか。もう寒くてしょうがないわよ。まあレストハウスは潰れちゃったけどそれだって、いい思い出よね。」

美津江さんがそう言ったので、蘭を含めた三人はジャンボタクシーに戻った。そして、宿泊予定のホテルに向かい、蘭を三人でおろしてくれて、ホテルにチェックインし、あとは豪華な夕食を食べて、オフロに入って、のんびりと過ごすだけであった。その時も、もう蘭くらいの年になると、過去にあったことばかり語ってしまうことになるのだ。みんな小学校でこんなことがあったね、あんなことがあったねと話してばかりだ。そして、その時のクラスメイトたちが今どうしているかを、ずっと喋っていた。女というのは、話し出すと止まらないものだ。酒が入るとさらに止まらなくなる。蘭は、彼女たちの話についていけなくて、別の部屋で宿泊させてもらったくらいだ。

その次の日は、朝ご飯をホテルの食堂で食べて、四人は又ジャンボタクシーに乗って富士へ戻ってきた。そして又ショッピングモールへ送り届けておもらい、又会おうねと言って、それぞれの場所へ戻っていった。

蘭が急いで自宅へ帰って、洗濯物を洗濯機に入れたりしていると、

「おーい蘭。今日は帰ってきたんだな。それなら約束通り買い物に行こう!」

とインターフォンが五回鳴って、杉ちゃんが入ってきた。

「もう帰ってきたときくらいゆっくりさせてよ。」

と蘭がいうと、

「で、どうだった、富士山頂は?」

杉ちゃんはどんどん蘭の家に入ってきた。

「富士山頂には行ってないよ。行ったのは富士山五合目でストップだから。」

蘭がそう言うと、

「まあ確かにそうだよな。それで、女三羽烏と一緒に、楽しく旅行はできたのか?」

杉ちゃんはすぐに言った。

「まあね、もうあのときは良かったとか、あいつはどこで何してるとか、そういう話ばっかりで何も面白くなんかなかったよ。」

蘭は答える、

「まあ女ってのはそういうもんだな。まあでも美人の女性三人に囲まれて、人数調整のためであっても、楽しかったんじゃないのか?」

と、杉ちゃんはそういうのであるが、蘭は大きなため息をついた。

それと同時に、蘭の家のインターフォンが鳴った。あれ?誰だろうと杉ちゃんがいうと、蘭は、車椅子を動かして、急いで、玄関先に行った。すると、一人の老年の女性と男性が玄関先に立っている。

「あの、どちら様でしょうか?」

と蘭がいうと、

「ああ、あの富樫美津江の父の正一と、母の麻理恵です。」

と、男性のほうがそういった。

「富樫美津江さんのお父様とお母様ですか?」

蘭は思わずそう言ってしまう。

「あの、失礼ですが、僕に何の用があると、、、。」

「ええ。昨日、午後15時頃、美津江がなくなったのですが。」

と、美津江さんのお父さんが言った。

「ちょっとまってください。そのときは僕は確かに彼女と、鈴木由美さん、そして勝又紀子さんと一緒に富士山五合目に行っていましたが?」

蘭はそう言ってしまうのであったが、美津江さんのお父さんやお母さんの悲しい表情は変わらなかった。

「それでは、、、。昨日現れたあの三人の女性たちは、、、。」

蘭は思わずそう言ってしまったが、美津江さんのご両親の顔を見て、美津江さんがなくなったのは事実だということを知ってしまった。お母さんの手には小さな位牌が握られていたので否定することはできなかった。

「もしかしたら、鈴木由美さんも、勝又紀子さんも、みんな?」

と蘭は口に出して言ってしまう。

「ええ、勝又紀子さんは、10年前に自殺したんです。そして、7年前に、鈴木由美さんも自殺で亡くなりました。美津江は、二人の分まで頑張るんだって言ってましたけど、結局それも叶いませんでした。美津江は、長らく統合失調症と診断されていまして、本当に生きているのも辛かったのだと思います。紀子さんや、由美さんが自殺してしまって、もう生きる気力もなくなってしまっていたようで、美津江は魂の抜け殻のような日々を過ごしていました。」

と、美津江さんのお母さんである、麻理恵さんが言った。

「そうなんだね。じゃあ蘭を旅行に誘ったのは、幽霊だったのか。まあ、そんなもの存在しないっていう人もいるかも知れないけどさ。でも、それは間違いだと思う。みんななにか思ってるから。それだけが残っていくもんだからな。人間がなくなるって言うのはよ。」

杉ちゃんは、でかい声でそういうことを言った。

「で、今回は何をお願いしに来たんだよ。」

「ええ、ですから、美津江がなくなったのは、小学校時代のいじめが原因だったということらしいのです。あの子は、病気になってからも学校のことを一切言わなかったので、いまとなっては誰が犯人なのかはっきりしませんが、何でも、美津江の日記が出てきまして、その中に伊能蘭という名前がありましたので、それでなにか知っていらっしゃるかなと思い、こさせて貰ったのです。」

「つまり、慰謝料でもよこせとかそういうことですか?」

蘭は、思わず聞いてしまった。

「いえ、そういうことではありません。美津江が学校で何があったのか、それを知りたいんです。あなたは、なにか知っているんですか?」

美津江さんの父親の表情は厳しかった。それはたしかにそうだろう。愛する娘が自ら命を絶ってしまうほど辛いものは無いだろうから。

「それともあなたが、美津江や、由美さんや、紀子さんになにか悪さをしでかしたというのですか!許せませんよ!」

と美津江さんのお母さんが言った。蘭はこれでははっきり言わなければならないなと思い、いきり立ってこういった。

「確かに、美津江さんと僕は同じクラスでしたが、由美さんや、紀子さんに関しては部活は同じでしたが、クラスが違います。ただ、美津江さんは、進路希望調査で悪いことを書いてしまったために、担任の先生から厳しい制裁を受けて、クラスのみんなの前で自殺の練習をさせられたりしていたことは確かです。僕は美津江さんの近くの席にいたため、それを目撃してしまっただけのことです。決して、彼女になにか言ったとか、いい含めたとか、そんなことはしていません。それに、彼女に自殺の練習をさせたのは僕ではなくて、担任の先生だったので!その先生が、他のクラスの生徒さんにも、そういうことを言っていたのでしょう。そういう人でしたから。」

「そうなんですか、では、音楽学校を目指して、学校を早退したりすることが、そんなに悪いことだったのでしょうか?」

と、美津江さんのお母さんは言った。蘭は、本当のことを言おうか迷ったが、覚悟を決めてこういった。

「悪いとかいいとか、そんなことはわかりません。ただ、担任の先生が、音楽を快く思っていなかったので、それで彼女が授業を怠けていると勘違いしたのではないでしょうか!それか、音楽学校は偏差値が低いので偏差値が低い学校へ行くなと怒鳴っていたとか!」

美津江さんのお母さんは卒倒しそうになった。それをお父さんが急いで止めた。

「それでは、あの子をいじめていたのはあなたでは無いということですか?」

お父さんがそうきくと、

「ええ、あの女性をいじめていたのは担任教師です。最もすでに故人となってしまいましたが、あの教師は、私立学校進学者と、公立学校進学者で生徒に順位をつけるなど、相当な悪事をしていましたから。」

蘭は、正直に答えた。

「つまりヴィランズは蘭ではなくてその担任教師ということになるな。それにしても、死んでからわかったんじゃ遅すぎるぜ。生きているうちにわかってあげて、本当に辛かったんだねって、抱きしめてあげなくちゃ。」

杉ちゃんにそう言われて、美津江さんの両親はがっくりと肩を落とした。不思議なもので、幸せになれる家族と、そうでない家族というのは、決まっているような気もしてしまうのだ。幸せな家族はそのままだし、不幸になってしまう家族はとことん不幸になってしまうのが今の世の中なのである。

「失礼いたしました。そういうことでは、なかったんですね。押しかけてしまって申し訳ありません。ご迷惑をおかけしました。」

二人は、静かに頭を下げて蘭の家から帰っていった。蘭は、それより、彼女たちの供養をしてやってほしいといいたかったが、それはやめておいた。それではなんだかあの彼女が可哀想だという気がした。

帰っていく老夫婦を眺めた先に富士山があった。いつも見守ってくれる富士山。霊峰富士と呼ばれる富士山。その富士山は、人間をどう見ているのだろうか。もう、役に立たないから、捨ててしまえとでも思ってしまっているのではないだろうか。そんなことしないで、まだまだ見守っていてほしいと蘭は思うのであった。



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富士山 増田朋美 @masubuchi4996

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