第20話 ★これからも共に~徐晃と曹洪
登場人物
カッコ内はあざな(成人してから姓名のほかにつける呼び名)です。
曹洪(子廉)
徐晃(公明)
曹馥(飛将)曹洪の息子
曹震(暁雲)曹洪の養子、曹馥の親友で義兄、もと曹操の隠し子で間者
徐蓋(伯世)徐晃の一人息子
徐覇 徐蓋の息子
会話にのみ登場する人物
張郃(儁乂)
許褚(仲康)
曹操(孟徳)
郭嘉(奉孝)
夏侯淵(妙才)
公明の従卒が俺のもとへひそかに訪ねて来たのは、太和元年(二二七)があとふた月で暮れようとしている時だった。
四十がらみのその男は、ここ洛陽の政庁の廊下の行き止まりで、俺を前にして声を落とした。
「曹将軍に我が主君より言伝てがございますが、申し上げてもよろしゅうございますか」
「許す。申せ」
「では、申し上げます。今晩、お目にかかりたいと。案内はそれがしが承っております」
「何ゆえ公明は姿を見せぬままなのだ。儁乂どのも仲康も心配している。何があったのだ」
従卒がさらに声を落とす。
「恐れながら、その件については申し上げることができかねます」
口止めされているようだ。俺はそれ以上ただすことをやめた。
「承知した」
「では、それがしと共においでくださいませ」
「訪れる前に、息子たちに一言断りたい」
「それがしはどちらでお待ちいたせばよろしいでしょうか」
「俺と来い」
従卒を連れて虎豹騎の詰め所に戻る。馥と暁雲を見つけて近づいた。
暁雲は俺の背後に無言で直立する従卒を見ると、切れ長の目と通った鼻筋の端整な顔を引き締めた。これは俺も、暁雲の実父である孟徳兄――曹操も持つ、曹氏の男の顔だ。
「父上、彼は徐公明将軍の従卒ですが、徐将軍の身の上に何か起こったのですか」
もと間者の暁雲は、曹魏の主だった将軍づきの従卒の顔や姓名まで記憶している。
曹馥も気遣わしげに、黒目がちの甘い顔だちを曇らせる。
「このところ、お姿がお見えになりませんよね。ぼくたちにもそのことについては、はっきりした話が下りてきていませんし」
「だから俺のもとへ従卒をよこした。今晩会ってくる」
「では、俺と馥はいかがいたしましょうか」
暁雲が尋ねる。俺は従卒を振り返った。
「息子たちも同行させたいが、かまわないか」
従卒は眉目を動かさずに小さな声で答える。
「我が主君は曹子廉将軍にお会いしたいと望んでおります。ご子息がたについては、その場で主君の判断をあおぎます」
俺は馥と暁雲に体を寄せ、小声で告げた。
「公明が許せば中へ入れ」
「はい」
二人も小声で答える。
従卒が声を強めた。
「では、参りましょう」
借り住まいに着くとまず従卒だけが公明のもとへ向かった。三十数え終わらないうちに戻ってきて、従卒は告げる。
「曹将軍、ご子息がた、どうぞ中へお入りくださいませ」
従卒について狭い部屋へ入ると、公明がいた。寝床に横たわり、青白い顔を俺たちに向ける。
俺も、馥も、暁雲も、足が止まる。
その顔からはかつて合戦場を共にした時のような生気がまったく感じられなかった。鋭い両目はくぼみ、もともと高い鼻梁が余計に高く見える。面長の顔は肉がそげ、弱々しくほほえんだ唇は震えていた。
従卒が公明の枕元にひざまずく。ふたみこと交わし、俺たちを振り返った。
「こちらへ」
俺たちも枕元に膝をついた。
公明の笑みが先ほどよりも増す。
「子廉」
将兵に命をくだすあの力強い声は、今は耳を口もとに近寄せなければ聞き取れぬほど小さい。俺は公明の顔に顔を寄せる。
「公明」
公明が従卒に目配せする。従卒は静かな口調で語り始めた。
「先月から病にて臥せっておられました。医師が通っておりましたが、もう、手の施しようがないと申しましたゆえ、治療をやめております。ご子息は任地での勤めに目処が立ち次第こちらへ向かうと仰せです」
公明は言葉を発するのもやっとだ。だから俺は従卒に尋ねた。
「では、その間、おまえが看病するのか」
「はい。なれど我が主君は、曹将軍、ご子息がお着きになるまでのあいだ、あなた様と共に過ごしたいと望んでおります」
そうだろう。公明ならばそう、望むだろう。
従卒から目を公明に戻した俺に、馥が耳打ちした。
「父上、どうぞお心のままになさってください」
暁雲も俺に、低いがはっきりとした声でうながす。
「留守は俺たちにお任せください。取り急ぎ必要なものを用意して、のちほどお届けします」
俺は馥と暁雲、そして従卒にうなずいた。
「ご子息が到着するまでのあいだ、ここで寝泊まりする」
三人は拳を手のひらで包む拱手の礼をして、頭を垂れた。
もう一度公明に顔を近づけ、俺は伝えた。
「せがれが来るまで、俺がいる」
公明が目を細め、従卒にまたその目を向ける。従卒、馥、暁雲は俺と公明に再び拱手の礼をして退出した。
二人きりになると、公明は嬉しそうに笑い、俺に、骨が目立つようになった手を差し出す。
俺も笑い返し、その手を両手で包んだ。
すでに格子窓の外は暗い。月明かりも差さない。
公明の口が動いた。
「子廉」
「どうした、公明」
俺が包んでいた手を持ち上げ、その指で俺の唇に触れた。
「眠る前に」
その一言を聞いて、俺は唇を公明のそれに触れさせる。
唇を離し、しばらく目と目を合わせたあと、公明はまぶたを閉じた。
厠へ行く時には肩を貸した。動くのはその時だけだった。
水を求める時には口移しで与えた。飲み込む力も弱くなっている。
夜着を取り替える時も従卒ではなく俺が手伝った。夜、眠る前には必ず互いに口づけをした。
従卒はそんな俺たちを黙って見守っていた。
公明によると、病状を知っているのは帝とその側近だけだという。同僚には伏せて欲しいと公明が望んだからだ。
「心配をかけたくない」
俺の胸に抱かれながら弱々しい声で公明は言った。
「蜀がまた、攻めてきているというのに」
「知っているのか、公明」
「何の助けにもなれず、申し訳なく思っている」
今日の公明は口数が多い。一抹の不安が胸をよぎり、俺は言った。
「今まで俺たちは懸命に戦ってきただろう」
「ああ。そうだ」
「おまえは曹魏の猛将だ」
「俺の……斧」
「あるぞ。ほら、壁際に」
公明が愛用していた大斧が、壁際に置かれた武具立てに支えられて立っている。
「おまえが……使ってくれ」
「俺が?」
「……また……おまえと……泉下で会えたなら……その時はもう遠慮はしない……思うことを……言う」
「公明……」
「もっと……正直に……」
扉が叩かれた。公明を抱いたまま俺は声を張る。
「誰か」
「徐伯世でございます。遅くなりまして申し訳ございません」
徐蓋あざな伯世、公明の一人息子だ。公明が俺の胸で顔を上向ける。
俺は言った。
「入られよ」
「はい」
伯世は六、七歳の男の子をつれて入ってきた。俺と目が合うや、伯世はその子の肩に手を置いて共にひざまずいて頭を下げ、その子にも頭を下げさせた。
「曹将軍、誠に、誠に、なんとお詫びすればよいか――」
「よい。友として当然のことをしたまでだ」
「ありがたきお言葉、痛み入りまする。これ、覇、おまえからもお礼申し上げるのだ」
「ありがとうございまする」
ひときわ高い声で覇と呼ばれた男の子が顔を上げて俺に言った。鋭い目と高い鼻が公明そっくりだ。
「おまえのせがれか、伯世?」
「はい。長男の徐覇でございます。ほんとうはこの子の下に二人ばかり息子がおりますが、なにぶん幼いもので、妻に預けて参りました」
徐覇は俺に顔と体を向けている。初めて会う俺というおとなを恐れるふうもない。気持ちの強さが目に現れている。
「伯世。徐覇。ここへ来い」
言って公明を寝かせ、俺は下がった。しかし公明の目が届くところにいる。伯世と徐覇が枕元に近寄る。公明がかすかにほほえんだ。
「父上っ、蓋です。覇もおります」
公明はもう、声を出すことができない。口を動かすだけだ。それでも伯世は父親が伝えようとすることを察したらしい。
「わかりました。以前からお伺いしている通りに取り計らいまする」
公明が徐覇に優しいまなざしを向けた。伯世がうながす。
「これ、覇、おじい様だぞ。おじい様にご挨拶するのだ」
徐覇は小さく声をかけた。
「おじいさま」
公明は何か言おうとしたが、やはり声にならない。そのうち、まぶたが下がり、閉じた。
徐覇が呼ぶ。
「おじいさま?」
「父上?」
「公明」
俺たちが呼びかけても、公明は目を開けることはなかった。俺は従卒を呼び、医師を呼びに行かせる。医師が公明のまぶたを開き、体に触れ、俺たちに告げた。
「亡くなられました」
医師が帰る。俺は従卒を走らせ、帝や儁乂どのたちに公明の死を知らせた。
馥と暁雲が駆けつけた。
伯世はすっくと立ち上がると、公明の大斧の前に歩いた。そしてそれを手に取り、俺の前に来て、力強い声と静かな表情で言った。
「将軍にさしあげるようにとの、父の遺言です」
伯世が、大斧を俺に差し出す。
公明の声が聞こえる。
――これからもおまえと戦う。
伯世と公明が重なって見えた。
元気な頃の公明が笑っている。
――使ってくれ。
俺は大斧を受け取った。
公明が明るい、かげりのない笑顔を見せ、消えた。そこに立っているのは、肩の荷が下りてほっとしている伯世だった。
「これは父が若い頃、長安の職人に頼んであつらえたものだそうです。父がまだ董卓に従っていた時分、いくさの最中に、使っていた槍の穂先が折れたのだそうです。そこで無人の民家に駆け込んでたまたま見つけた斧を柄に結わえつけたのだそうです」
「覚えている。その時に戦ったのが俺だ。孟徳兄が、長安に逃げる董卓を追撃した時だった」
「えっ」
「急ごしらえの武器なのに、使いこなしていた。威力もあった。正直、勝てるとは思わなかった」
「さようでございましたか」
「決着をつける前に俺は、孟徳兄を探しに行った。しかし公明のことは忘れなかった。忘れられなかった。こんなに有能な武将ならば共に同僚として戦いたいと願っていた。そのあと帝が李傕と郭汜に襲われた時に俺や奉孝、妙才が加勢した。そこで再会できた。嬉しかった。公明は主君の楊奉と決別し、俺たちのもとに来てくれた」
大斧の柄を俺は握りしめる。公明のぬくもりを感じる。俺の手に公明の手が添えられる。
「共に戦うぞ、公明。これからも」
俺の前に公明がいる。明るく笑って答えてくれる。
――当たり前だ、子廉。
俺は馥と暁雲に言った。
「俺が死んだら、一緒に埋めてくれ」
二人は目で、諾と伝えてくれた。
俺が見ている公明が俺にうなずき、消えた。
こちらの第19話もお読みいただくと背景がよくわかると思います。
我が名は曹飛将 - カクヨム https://kakuyomu.jp/works/16818093084499285834
きみと語る三国志 亜咲加奈 @zhulushu0318
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。きみと語る三国志の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
物書きの壁打ち/亜咲加奈
★78 エッセイ・ノンフィクション 連載中 27話
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます