第12話 薬~荀彧の妻・唐氏
夫は、なぜ、死んでしまったのでしょうか?
わたくしの夫荀彧が寿春で亡くなって、今年でちょうど十年になります。
黄初三年(222)の九月、陛下は呉の征討に出発なさいました。
目的地は、濡須と聞きました。
武祖さまの軍勢が濡須に到着なされた時、夫は病を得ました。そのため夫だけが寿春に残りました。そしてそこで亡くなったのでございます。
ですからわたくしにとっては、まるで夫が亡くなるまでをなぞるような行軍だと感じられたのでございます。
途中、陛下の軍勢がここ許昌の城門の前を通るという知らせが、わたくしたちのもとに届きました。
わたくしは自宅の自分の部屋で息をひそめておりました。
すると廊下から声が聞こえました。
息子の粲が、嫁の曹祥と話しております。
「行っておいで。父上や兄上たちがおいでになるのだろう」
曹祥はきっぱりと答えました。
「いいえ。わたくしはこちらに残ります」
わたくしは夫を思い出し、何をするにもおっくうになっていたのですけれど、思わず曹祥の言葉に耳をそばだてておりました。
曹祥は武祖さまの従弟曹子廉さまの娘です。夫が亡くなったあと決まった縁談でした。
わたくしたちは、親が決めた方に嫁ぐより他ありません。わたくしもそうでした。わたくしの父中常侍唐衡が亡くなったのは、夫が二歳の頃であったと聞いております。荀家に嫁ぐことを知らされたのはわたくしが娘になってからでした。
曹祥は粲に、諭すように続けます。
「義父上は武祖様が濡須へ到着なさってから亡くなったと伺っております。義母上はこのところ気落ちしてらっしゃるご様子です。帝の軍勢が目指すのは濡須。ちょうど義父上が亡くなられた時と同じです。義母上はもしかしたら義父上のことを思い出しておられるのかもしれません。それならばなおのこと、わたくしは行くわけには参りません。なぜなら」
曹祥は、しっかりとした声で言い収めました。
「わたくしは、曹氏の女なのですから。これ以上荀家にご心労をおかけするわけには参りません」
たしか、曹祥は、粲よりも五つ年上でした。
病弱で、子供を授かることができないかもしれないと、わたくしは曹祥の母君梁さまより伝えられておりました。
しかし今は元気に暮らしておりますし、先ほどのように、わたくしの心中にまで思いを致しているように感じます。
軍勢は許昌の前を進んだだけだと、見に行かせた下働きの者がわたくしに話しておりました。
わたくしはその日の晩、曹祥に声をかけました。
「実は、聞いていたのです。粲とあなたが話しているのを」
曹祥は黒目がちのきれいな目と形のよい唇を開きました。
「申し訳ございません、義母上。うるさいとお感じになられましたか」
「いいえ。むしろあなたに、ありがとうと伝えたくて」
曹祥は驚いたままでした。
「ほんとうは会いたかったでしょう」
「いいえ」
曹祥は背筋を伸ばし、胸を張りました。
「義父上の身の上を思えば、義母上のお心を思えば、そうするわけには参りません」
わたくしはその様子がとても健気だと思えましたし、ほんとうは父上や兄上たちの姿をひと目なりとも見たかっただろうと、ほんとうに申し訳なく思いました。
だから、わたくしも言おうと思って口にしたわけではないのですけれど、自然と言葉が出て参りました。
「夫もあなたと同じ気持ちであったことでしょうね」
曹祥が不意を突かれたようにびくりと体を揺らしました。
「夫はね、勤めで何があったのかなどと、家に帰ってから話しませんでしたよ。きっとあなたのおうちもそうだったのでしょうけれど」
「はい。父は何も語りませんでした。けれど兄たちはよく話してくれました」
「お父さまは軍の中でもだいじなお務めを任されることが多かったと聞いていますからね。でもね、夫はただ一度だけ、私の前で申しました」
「どのようなことをおっしゃったのですか」
「『私も一緒に行きたかったなあ――』と」
「一緒に……」
「夫は、許昌で留守を守ることが多かったでしょう? 確か建安十三年(208)、武祖さまが江東に出発なさる前の日の夜でした。空を見上げながら、そこの回廊で」
曹祥はわたくしを、じっと見ております。
「武祖さまは江東からお帰りになられてから、今度は西の方へ進発なさいましたでしょう。その時から夫は、勤めを休むようになりました。そんな日の昼間にはそこの庭で、これまでの書きものを燃やしたり、竹簡をばらばらにして燃えている火にくべたりしておりました」
わたくしは見たのです。火に向かって放り投げた紙の一枚に書かれていた言葉を。
「武祖さまからのお手紙でした。君が余にしてくれたことをほんとうに感謝していると」
武祖さまからの感謝の言葉は、あっという間に燃えて消えました。
「そのあとです。武祖さまが魏公になられるというお話を夫が聞いたのは」
めずらしく夫は怒りをあらわにしておりました。だからわたくしはよく覚えております。
「『あんな発議が出ることじたいおかしい。おそれ多いことだ』と申しておりました。わたくしに直接申したのではなく、一人言でしたけれど」
そして建安十七年(212)、武祖さまは再び孫権を討つための兵を挙げました。今、陛下が進まれたように、濡須へ向かわれました。
夫は許昌におりましたが、武祖さまに呼ばれたとわたくしに伝え、濡須をめざしました。
武祖さまからのお使いがわたくしのもとに訪れたのは、その年の暮れでした。
「荀令君、寿春にて薨去なさいました」
夫は尚書令という役職に長くついていたことから皆さまは「令君」とお呼びになります。
お使いは夫のなきがらも我が家につれてきてくれておりました。
夫の身の回りに置いてあったものもすべて、持ち帰ってくださいました。
そこには、小さな紙が、たくさんありました。
「薬の包み紙――」
曹祥が言ったので、わたくしはうなずきました。
「義母上。わたくしは病がちで、よく薬を飲んでおりました。その時にお医者様から言われたことを今も覚えています。薬は医師が飲むように決めた量を決めた回数で飲んで初めて効き目があるのだと。よくならないからといってたくさん一度に飲むのは、命にかかわると」
わたくしは不意に涙が出てしまいました。
「義母上」
曹祥がわたくしの体を支えます。
「もっと、話してくれたら――」
わたくしはそう言って、曹祥の胸に身を投げかけました。
たくさんの薬の包み紙。
夫は、なぜ、死んでしまったのでしょうか?
参考にした記述
『三国志』 荀彧荀攸賈詡傳
太祖軍至濡須、彧疾留壽春、以憂薨、時年五十。諡曰敬侯。明年、太祖遂為魏公矣。
『後漢書』 列傳 鄭孔荀列傳
會南征孫權,表請彧勞軍于譙(中略)
至濡須,彧病留壽春,操饋之食,發視,乃空器也,於是飲藥而卒。時年五十。帝哀惜之,祖日為之廢讌樂。謚曰敬侯。明年,操遂稱魏公云。
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