第21話 旅立ち

「それから、アマノガワ殿」


 唐突に、フリントから声をかけられる。


「ケイからの依頼を引き受けてくれたそうだな」


「は、はい! 《魔素喰らい》を生み出した呪術師を、必ずや見つけ出してみせます」


 人探しの経験は不足気味ではあるものの、これもれっきとした探偵のお仕事だ。


 これも乗り掛かった舟、何かの縁というもの。しっかりと解決に導きたい。



 引きこもり体質ゆえ、太陽の下をどれだけ歩けるか不安ではあるけれども。


 この際、そんな弱音を吐いてはいられないよね……!



「ケイはこう見えて、強情な性格なのだ。一度心に決めたことは最後まで諦めないだろう。そのせいで時折、周りが見えなくなることがある」


「ちょっと、お兄様ったら……!」


 頬を膨らませるカトリーヌ。まるでハムスターである。


「だからこそ、冷静な目と聡明な脳を持った者が、彼女の傍には必要なのだ」



 今までは、それが兄フリントの役割であり。


 これからは、私が果たすべき役割ということか。



 フリントに感じていた苦手意識の正体は、同族嫌悪というヤツだったのかもしれないな――。



「これはフロスト家としての依頼だ。アマノガワ殿よ、カトリーヌ・フロストの付き人として、旅の手助けをお願いできるだろうか」



「もちろんです。この天野川遊理に、お任せください!」


 胸を張って答えた私に、フリントは柔らかい声音で呟いた。



「――妹のことを、頼んだぞ」



 それは彼が初めて見せる、寂しそうな笑顔だった。




 それから丸一日かけて、私たちは旅の準備を完了させた。


 買い出しに行くまでもなく、必需品が屋敷に揃っていたのには驚かされたけれど。


 あのアルビオン様のことだから、いつか訪れる娘の旅立ちまで想定していたとしても不自然ではない。




 あっという間に、異世界2日目の夜が来て。


 フロスト家での最後の晩餐は、なんとも豪勢なご馳走が振る舞われた。




 そして、次の日の朝。



「持ち物は……これで全部ですわね」



 出発前の最終チェックを済ませた私たちは、各々の荷物を身に着けて、ついに建物の外へと踏み出した。


 フリントたちも見送りのために、門まで付いてきてくれるらしい。



 私は腰の「魔法の鞄」を見つめながら、思わず感嘆の息を漏らす。


「いやぁ、こんなにコンパクトに収まるとは思わなかったよ」


 見た目は普通の小さな鞄だが、内側には特殊な空間拡張術式が施されており、大型トランク並みの容量を実現している魔道具なのだそうだ。


 おまけに反重力術式によって、運搬も楽々行える優れモノである。


 私たちの身軽な装いからは、今から旅に出かけるだなんて信じられない。



「ふふっ。それくらいで驚いているようですと、これから心臓が保ちませんわよ」



 意気揚々と歩くカトリーヌの後に続いて、私は屋敷の門をくぐった。



 その一瞬で、視界が開ける。



「わぁ…………!」




 ――この光景を私は、一生忘れないと思う。



 高台から一望する、フロンタムの美しい街並み。


 坂道に沿ってカラフルな家が立ち並んでいる。


 遠くの方は半島のようになっており、さらにその奥には、碧い海と蒼い空が果てしなく広がっていた。


 水平線を滑る雲の群れに、時間を忘れて魅入ってしまう。



 ここが、世界の最先端フロンティア


 何もかも、新鮮に感じられる。



 日本の建築様式や自然環境とは、まるで違う。


 強いて言えば地中海あたりの雰囲気に近いが、細かく見ると様々な点で異なっている。


 私の知らない、独自の文化体系が育まれてきたことは疑いようがない。



 そうか――だから、「異世界」なんだ。



 理解を超えた不可思議な光景を前にして、胸が早鐘を打ち始める。



 召喚されてからの丸2日間、お屋敷にこもりきりだった私にとって。 


 それが、初めて向き合う異世界『ガラシア』の景色だった。



「いい眺めでしょう?」


「うん…………良すぎて、ちょっとビックリしてる」


「私、ここから観える街が、一番好きですのよ」


 カトリーヌは、どこか誇らしげに微笑んだ。


「旅立ちの日が、天気に恵まれて良かったですわ。アマノガワ様にも……見てほしかったから」



 頬を撫でる風が、潮の匂いを運んでくる。


 湿気が気にならない爽やかな肌触り。


 深呼吸をすると、身体の内側からも生まれ変わったような感覚がする。



 ひょっとして私は今、死後の世界で永遠に醒めない夢でも観ているんじゃないか――。


 そんな気の迷いを、この街の風は綺麗に拭い去ってくれた。



 この五感で知覚した世界は、天野川遊理にとっての真実ほんとうだから。



 だから…………もう、大丈夫。



 私は、ちゃんと歩いていける。




「短い間でしたが、お世話になりました」



 フリントとネイサンに、私は誠心誠意を込めてお辞儀をした。


 私に続いて、カトリーヌも別れの挨拶をする。


「……では、行って参ります」



「お嬢様、アマノガワ様、どうか御達者で」 


「二人にとって、良き旅路になることを願っている」



 そう告げた兄に、抱擁ハグをするカトリーヌ。


「お父様のことを、よろしく頼みますわね」


「……あぁ。勿論だとも。僕たちに任せたまえ」


 フリントは、照れくさそうに眉をひそめるのだった。



 召喚師の眠る寝室の方角を一瞥してから、カトリーヌは私に声をかけた。



「さあ――行きましょう」


「はい、お嬢様」



 付き人らしく、最大限の上品さで会釈を返してみる。


 悲しいことに表情筋が引き攣る感覚が残った。



 このぎこちなさが、いつの日か大切な思い出に変わることを願いながら。


 希望の風に背中を押され、軽い足取りで。



 探偵:天野川遊理は、最初の一歩を踏み出した。



 さあ――ここから、私たちの冒険が始まる。


 真実を求めて手がかりを追う、異世界探索げんちちょうさの幕開けだ。



 その道中、どんな謎や危険が潜んでいるのか。


 そして旅の果てに、一体何処へと辿り着くのか。


 何一つとして、予想も確証もありはしない。



 それでも囁くのだ、私の中の探偵が。



 たとえ、この先にどんな運命が待ち受けていたとしても。


 優秀な助手カトリーヌと一緒なら、きっと乗り越えられる。



 ――そう、信じているから。






 …………だが、しかし。


 探偵の予感は、当てにならないものだ。




 運命の悪戯が引き合わせた、探偵少女と助手令嬢。



 奇妙な因果で結ばれたふたりは、まだ知らなかった。



 この旅路が、王国を揺るがす陰謀の渦へと続いていることを。



 そして旅の終着点はてで、世界の命運が彼女たちの選択に委ねられるということを。




 運命の歯車は、全てを巻き込んで、大きく動き始めていた。





 第1章「召喚師密室呪刻事件」 〈了〉

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探偵少女の異世界事件簿【第1章完結】 風名拾 @Funaju

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