第20話 三つの約束

 まさか私の初めての助手が、氷魔術師の御令嬢になるだなんて。


 昨日までは、まるで想像もしていなかった展開だ。


 流石は異世界。何が起きても不思議じゃない。



「私の方から、助手にしてくださいとお願いするつもりでしたのに。先手を打たれてしまいましたわね」


「当然、これだけは譲れないよ。お願いされてばかりだと落ち着かないからね。私からも頼らせてもらえると、嬉しいな」


 平静を装って答えるも、ニヤケ顔が抑えきれない。



 可愛い助手ができた幸せをひとしきり噛み締めたところで、私は彼女にたずねた。


「そういえばだけど、旅に出るって話、フリント様たちには……」


「まだ話していません。アマノガワ様の合意を得られなければ、計画は白紙に戻すつもりでしたので」


 このお嬢様、意外と「当たって砕けろ」なところがある。


「明日の朝、お兄様に私の覚悟を伝えますわ。こんなに大きなワガママは初めてなので、聞き入れていただけるか分かりませんが……」


 カトリーヌは、手のひらを合わせてお願いのポーズをする。


 計算された演技などではなく、自然と小首をかしげるものだから恐るべしだ。


「差し支えなければ、その場に居合わせていただけますか? 私の後ろに立っていてくださるだけで結構です。私の意思は、私の口から伝えますので」


「勿論そうさせてもらうよ。もうこの話は、他人事じゃないからね」


「ありがとうございます! 心強いですわ」



 天使の頼みを断れる人間がいるとしたら、それは悪魔か何かだろう。


 そんなことを思いながら、私は彼女とおやすみの挨拶を交わし、深い眠りに就いたのだった。




 翌日の朝。私たちはフリントの自室にて、直談判に臨んでいた。



「――なるほど。お前たちの主張は、理解した」


 フリントは、カトリーヌの申し出を聞き終えると、思い詰めたように天井を仰いだ。


 彼の腰かけている木椅子の背もたれが、苦しそうににギィと軋む。


「出立の許可をいただけますでしょうか、お兄様……?」


「そうくな、今検討している」


 兄と妹の間に、張り詰めた沈黙が流れてゆく。


 私とネイサン執事は、その様子を少し後ろから見守り続ける。



 1分ほどの沈黙の後、フリントはおもむろに口を開いた。


「手がかりから呪術師を捜索する探偵と、魔跡を照合し本人特定をする助手――か。呪いを追うのに最適な二人組であることは認めよう」


「――っ! でしたら……」


「だが、ケイ。お前が僕の家族であるという一点が、快諾を妨げているのだよ」


 彼は眉一つ動かさず、そう言ってのけた。


「呪術師は、人に危害を加えることをいとわぬ悪党だ。接触するとなれば、当然命の危険を伴うことになる。それを承知の上で、お前たちを送り出す訳にはいかない」


 フリントの意見が正論であるのは疑いようもない。


 しかし、その正しさだけでは事態が好転しないことも事実だ。


「自分の身は自分で守れるようにと、日々魔術の鍛錬を行ってきましたわ。今こそ修行の成果を発揮する時ではありませんの?」


「それも分かっているさ。氷魔術の腕前なら、僕よりもお前の方が優れている」


「あ、ありがとう、ございます」


 フリントからの評価は、カトリーヌにとって意外なものだったらしい。


「だが、僕とお前の魔術をもってしても、ロゼッタを止めることはできなかった。違うか?」


「それは…………」


「いかに氷魔術を極めても、規格外の呪術や驚異的な身体能力の前では、敗北を喫することがある。実戦とはそういうものだ」



 教科書的な知識だけでは埋められない、死線をくぐってきた経験の差。


 特に命を懸けた駆け引きでは、それが如実に現れるだろう。


 冒険者としての素養。それが、今の私たちには圧倒的に不足している。


「ですが……危険を避けてこの家に居続ける限り、実戦経験を得ることは叶いませんわ! どうすれば冒険の許可をいただけるのですか、お兄様?」


 フリントは、眉間を指で強く押さえて俯いた。



 しばらくの間、呼吸を忘れるような沈黙が広がって。


 そして長い溜め息の後、ようやく彼は口を開いた。



「可愛い子には、旅をさせよ――か。母上の言葉は、この日のためだったのだな」


 その台詞は誰かに向けてではなく、彼が自身に言い聞かせたモノだ。


 それでも、悩んだ末に下した決断の色が、確かに滲み出ている。



「……では、こうしよう。今から3つ条件を伝える。これらを全て守ると誓うなら、お前たちの旅を認めよう」


「分かりましたわ。聞かせてください!」



「まず、護衛について。ネプテーヌの街より西に赴く場合は、必ず護衛を雇うのだ」


 戦闘経験が豊富な護衛を付けるというのは、至極真っ当な提案に聞こえる。


「魔王が倒され、世界が平和を取り戻したとはいえ、いまだ王都近辺は危険が多い。最近は、革命軍の動きも活発になっていると聞く。そういった地域を旅するならば護衛は不可欠だろう」


「護衛というのは、傭兵の方……ですの?」


「傭兵でも、他の冒険者でも構わない。ギルドでなら信頼できる者を雇えるはずだ」


「承知しましたわ。それには私も賛成です」



 フリントは小さく頷くと、次の条件を提示した。


「2つ目は、連絡手段についてだ。お前には『音霊器フォニカ』を携帯してもらう。毎日とは言わないが、数日に一度は近況を報告してくれ」


「分かりました。後で使い方を教えていただけます?」


「勿論だ。といっても、魔素を消費して十数秒の音声を送るだけの魔道具だからな。ケイならすぐに使いこなせるはずだ」


「だと良いのですが……」


「ただし、音霊器フォニカは2つで1組。片方が壊れたら換えは効かないゆえ、丁重に扱うのだぞ」


「その心配は要りませんわ、お兄様」


 確かに彼女が物を乱暴に扱う姿は、まるで想像ができない。


「そして最後の条件。これが最も重要なのだが――」



 フリントの碧い瞳が、キラリと光を跳ね返す。



「戦闘は避け、己の身の安全を最優先したまえ。お前たちの旅の目的は、戦いに勝利することではない。呪術師の居場所を掴んだら、奴に対抗しうる戦力を雇って後は任せるように」



 ――犯人との直接対決はするな、という警告か。



 仰る通り、我々は戦いのプロではない。


 専門外のことは適任の者を頼るのが、賢い立ち回りだ。


 流石はフロスト家。最善のためならお金を惜しまないとは懐が広い。



「無事に帰ってくること、それを一番に考えろ。よいな?」


「……約束します。必ず帰ってきますわ、この家に」



 兄妹の間で交わされた、3つの約束。


 その全てが、相手を心配する気持ちの現れだった。



「本来であれば、僕が率先して解呪のために動きたいところなのだが……。この家を空けるワケにもいかなくてな」


 フリントは椅子から立ち上がると、カトリーヌの肩に手を乗せた。


「父上の代理として、僕にはフロスト家を守る責務がある。ジェイドが王都にいる以上――自由に動けるのはケイ、お前だけだ」


 召喚師の長男という立場の難しさは、私には計り知れない。


 きっと彼は多くの重圧の中で、努力を積み重ねてきたのだろう。



 ――妹の未来が、何にも縛られないことを願いながら。



「こんな役回りを押し付けて、本当に申し訳ない」



「お兄様……。お気になさらないでください。これは私が望んだことなのですから」



 私とネイサン執事は口を固く閉じたまま、二人のやり取りを見守り続けることしかできなかった。

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