第19話 探偵助手:カトリーヌ・フロスト

 他人の感情を読み解くのは、あまり得意な方ではないけれど。


 これは私が部外者だからこそ答えることができる。



 アルビオン様が普段、どんな父親を演じていたのか、私には分からない。


 だが現場に残された痕跡は、彼の強い想いをありありと証明している。


 何たって彼は家族に危険が及ばぬよう、身を呈して呪いのナイフを手繰り寄せたのだから。



「父上は常に厳しく、そういった素振りは見せなかったが……」


「それも愛ゆえであったと、私は思いますぞ」


 この家の全てを見てきた老執事は、そう言って目を細めるのだった。


「フリント坊ちゃま、カトリーヌお嬢様。ご主人様からの遺言状メッセージ、受け取っていただけますかな?」


「……本当にいいのか? 呪いを刻まれたとはいえ、父上はご存命なのだぞ」


「えぇ、良いのです。意識が戻らぬような重体の際も、お渡しするよう頼まれておりましたから」


「…………分かった。中身を見させていただこう。ケイ、お前も一緒に頼む」


「勿論ですわ、お兄様!」



 封筒から手紙を取り出すと、フロスト家の兄妹は肩を並べて覗き込んだ。


 数枚に渡って綴られた父親の文字には、どんな想いが込められていたのだろうか。



 カトリーヌの眼の淵には、アクアマリンのような淡い粒が浮かび上がっていた。




 後で聞いた話によれば、遺言状にはネイサンに向けた伝言も記されていたそうだ。


 ……そして、ロゼッタに宛てた言葉も。



 ロゼッタが中身を確認した際に、狼狽うろたえたように見えたのは、それが原因だったのかもしれない。


 自分が刃を向けたアルビオン様に、家族の一員として認められていたと知った時、彼女は何を想ったのだろうか――。





 日が沈み、異世界での最初の夜が訪れた。



 お風呂を借りることができたのは、まさに幸運としか言いようがない。


 氷魔術に長けたフロスト家だからこそ、浴槽にも水を使う余裕があるのだそうだ。


 この世界では水道などのインフラが万全でないと聞いて、現代人の私は流石に身構えてしまった。


 引きこもり生活が成立していた我が家は、本当に文明の賜物だったんだな……。




 私は来客用の部屋に戻ると、巨大なベッドの上に倒れこんだ。体が程よく沈み込む。



 ――とても、長い一日だった。



 孤島に赴いて、パーティーに参加して、殺されて。


 異世界に召喚されたと思ったら、休む間もなく新たな事件に巻き込まれて。


 緊張が解けるにつれて、1ヶ月分ほどの疲れがどっと押し寄せてくる。



 しかし思考回路は、眠気を忘れたように冴え渡っていた。


 気がかりな謎が次々と、頭の中で明滅を繰り返す。



 ……あの時、ロゼッタは一言だけ口を滑らせていた。


 「手ぶらで帰ったら殺されかねない」――と。


 つまり、彼女をフロスト家に送り込み、召喚石の強奪を狙った第三者がいるということだ。


 それが個人か組織か、どういった存在なのかまではまだ分からない。


 だが、強奪計画が1年半も前から仕組まれていたのであれば、ただならぬ執念を感じさせる。


 召喚石を盗んで換金して終わり、とは到底思えないのだ。



 ――今回の事件は、始まりに過ぎない。



 ロゼッタが別れ際に残した言葉が、不吉にもリフレインする。


 何か大きな事件が起こる前触れだと、「探偵としての勘」が告げていた。




 ……残された謎と言えば、他にもある。


 アルビオン様が今日、いきなり召喚儀式を行った理由だ。


 こればかりは、早く呪いを解いて本人から聞き出すしかないな――。




 そんなことを考えていると、不意に扉がノックされた。



「はーい」


「アマノガワ様、今お時間を頂いてもよろしいでしょうか?」


 声の主はカトリーヌだった。


 私は軟体生物になりかけていた体を起こして、ベッドに座り直す。


「もちろん! 入ってきてもらって大丈夫」


「失礼いたしますわ」



 カトリーヌは部屋に入ると、傍の椅子をベッドの方に向けて、そこにふんわりと腰を下ろした。


 何か決意を固めたのだろう。全身から、覇気がビリビリと伝わってくる。



「あれから私、考えたのです。アマノガワ様は罪滅ぼしのために……自分自身を赦すために探偵をしていると、そう仰っていましたよね?」


 予想外の質問が飛んできて、その意味を噛み砕くのに少しの時間を要した。


「え…………あ、うん。確かに言ったよ」


「でも、アマノガワ様が、何か事件を起こした訳ではないのでしょう?」


「それは……勿論、そうだけど」


「でしたら、やっぱり責任も何も、ないのではなくて?」


 カトリーヌは、至極真剣な面持ちで訴える。


「私、思ったのです。アマノガワ様が、罪の意識を感じる道理は全くないと。だって貴女は、人助けをしているのですから……!」 



 初めて「探偵」の真似事をした時の記憶が蘇る。


 あの頃は、謎を解かなければいけない――なんて責任とは無縁で。


 ただ親友の笑顔を取り戻すために、必死に謎と向き合っていた。



「そっか…………」



 ――私は、人助けをしたかったんだ。



 事件に巻き込まれて困っている人を。


 不可解な謎に頭を悩ませている人を。


 己の無実を証明するために磨いた力で、助けたいと思った。



 義務感からでも、罪悪感からでもない。純粋な興味と正義の心。


 それが天野川遊理の、探偵としての原点だったんだ。



「……ありがとう、カトリーヌさん。忘れちゃいけない大切なこと、思い出せたよ」


 いつの間にか私は、不必要な後ろめたさを抱えてしまっていたらしい。


 探偵とは本来自由であり、他人に誇れる存在であったはずだ。



 改めて初心を気付かせてくれた、カトリーヌに恩を返すため。


 そして、探偵の素晴らしさを最初に教えてくれた、彼女かなめに報いるためにも。



 ――天野川遊理が、この異世界で何をするべきか。


 未来の景色が開けていくような感覚と共に、私はそれを理解した。



「何を思い出したんですの? 聞かせてください!」


「何って……私が、謎を放っておけない性格だってことを、ね」


 とっさに言葉を濁してしまう。


 困っている人を助けたい、だなんて。


 正義の味方みたいなことを宣言するのは、流石に私のキャラじゃない。


「本当に根っからの探偵さんなのですね」


「うん、天職なのは間違いないと思う」


 心の重圧が減ったお陰か、自然と頬が緩むのを感じた。



「それと、もうひとつ。実は……こちらが本題なのですが、アマノガワ様にお願いしたいことがありますの」


「いいよ、なんでも話してみて」


 カトリーヌは真剣な眼差しで、私の顔を見つめている。


 これから愛の告白でも始まるんじゃないか。


 そう思うほどの気迫を感じて、私は背筋を伸ばした。



「――私と一緒に、旅に出てほしいのです!」



 その申し出の内容に、意外と驚きはなかった。



「一応、依頼の目的について教えてくれる?」


「はい。お父様の呪いを解くには、元凶の呪術師を捕まえるほかありません。その捜索に、探偵として同行していただきたいのです」


 ナイフの出所を調べ、呪術師の居場所を突き止める。


 それはロゼッタの真意――残された謎を解くためにも、避けては通れない過程だ。


「どれほどの長旅になるか分かりません。非常に危険を伴う旅路になると思います。それでも……貴女の知恵を、私に貸していただけないでしょうか?」



 きっと彼女は、この冒険に自分の人生を懸けている。


 それほどに重大な決断を、熟考の末に下したのだろう。


 ――その覚悟と期待に本気で応えなければ、探偵失格だ。



「……正直に言うと、ついさっきまで迷ってたんだ。こっちの世界でも探偵を続けるかどうか」


「え! そうだったのですか⁉」


「だってこの世界は、これまで探偵がいなくても成り立っていた。探偵わたしは招かれざる客――異分子だと思っていたから」


 でも、それは勝手な思い込みだった。


「今回の事件を通して、その考えを改めたよ。私の頭脳と経験が少しでも、この世界の人々のために活かせるのなら、私は探偵であり続けるべきだって」


「アマノガワ様…………!」


「この世界にも、きっと探偵がいた方がいいよね」


「勿論です! だって……今、貴女の目の前に、探偵を必要としている人がいるのですから!」


 ぱあっと笑顔を咲かせるカトリーヌ。



 その嘘偽りのない真っ直ぐな心が、私の道を照らしてくれるから。


 思い切って、新たな一歩を踏み出すことができるんだ。



「では……私からの依頼、引き受けていただけますのね……?」



「勿論だよ。代わりにひとつ、私からもお願いをしていい?」



 カトリーヌは無言のまま、私の目を見て頷いた。


 私はそっと手を差し出して、心の内で温めていた言葉を紡ぐ。



「カトリーヌさん。正式に、私の助手になってもらえますか?」



「…………っ! はい、喜んで……!」



 探偵助手:カトリーヌ・フロストは、とびきりの笑顔で私の手を取った。



 二人の運命の歯車が、互いの律動リズムを刻み始めた瞬間だった。

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