第17話 神経侵犯(ニューロハック)

 期待外れの「お宝」を見下ろして、唇を噛むロゼッタ。


「こんな、一銭の価値すらないモノのために、私は…………」


 彼女に生まれた僅かな隙を、見逃さなかった人物がいた。



「――咲け、氷華アイス・フラワー


 カトリーヌの詠唱は、瞬きよりも早かった。



 突如、白銀の氷晶が呪いのナイフを包み込む。


 ロゼッタの手先ごと覆うそれは、巨大な霜のように煌めいた。


「あっ…………!」


 メイドの指先からするりと抜け出して、フリントの側まで駆け寄るカトリーヌ。


 人質が自ら危機を脱するとは。さすがは氷魔術師のエリートお嬢様である。


 

「今だッ! 取り押さえろ!!」


 フリントの号令で一斉に動き出す私たち。


 しかし、最も早かったのはロゼッタだった。


 彼女の足を固定せんと、床から次々と突き出す氷の柱。


 それらを軽々とかわして、メイドは儀式の間の出入り口を抜けようとする。



「行かせるものか! ――そびえよ、不動なる守護壁フィックスド・バリケード!」


 フリントの簡易結界が、扉の位置を塞いで行く手を阻む。


 ロゼッタの細い体では物理防壁を破れまい――。



「それで閉じ込めたつもりですかぁ?」



 しかし予想に反して、彼女が足を止めることはなく。


 ロゼッタはナイフを覆っている氷を砕くと、例のツマミを回してみせる。


 滲み出る暗黒の呪刃。魔素喰らいの術が解放されたのだ。



 トリックの実演時に、ナイフ内部の魔素量は一度空になっている。


 ゆえに今使用されているのは、それ以降の数分間で蓄積されたアルビオン様由来の魔素だ。


 少ない魔素が枯渇しないよう、最低限の出力で呪いを刃に纏わせているらしい。


「喰らい尽くしなさい……!」


 簡易結界に突き立てられる《魔素喰らい》の刃。


 その先端に触れた部分から、暗黒が滲んで広がっていく。


 まるでバクテリアが金属を腐食するかのように。



「結界を魔素レベルまで分解して、吸収していますの……!?」



 あの魔吸呪術の対象は、魔術師や魔法石の魔素だけではなかったのだ。


 恐らく魔素から生成された物であれば、あらゆる対象を「解体」可能なのだろう。


 それが、たとえ鋼鉄の防御力を誇る物理結界術式であったとしても。



「だが……魔素ならまだある! 何度だって張り直すまでだッ!」


 フリントは瞬時に、侵蝕された結界を補修してみせる。


「このっ……鬱陶しい……!!」


 何度も、何度も結界を斬り付けるロゼッタ。


 ジリ貧な持久戦ではあるが、時間稼ぎとしては最適解だ。


「今の内に彼女を――!」


 戦う術のない私が今できることは。


 状況を冷静に判断して、的確な指示を出すこと。これに尽きる。


「ナイフを奪い返して! 刃の延長線上には立たないように!」


 私の声を聞いて、残る2人も動き出す。


 氷魔術でロゼッタの手元を狙い撃つカトリーヌ。


 それと同時にネイサンは、ロゼッタを背後から組伏せようと踏み込んだ。



 しかし、そのどちらも彼女を捕らえるには至らなかった。



 ロゼッタは氷晶を暗黒の刃で受け流すと、その勢いで旋回した。


 ナイフを向けられ、咄嗟に受け身を取って転がるネイサン。


 あの「闇」が刃先から漏れ出している限り、迂闊に正面から接近するのは命取りだ。



「……最初から、こうすれば良かったんです」


 刃物よりも鋭利な、彼女の視線の先には。


 フリント・フロストが立っていた。



 彼の結界による「遅延行為」が、ついにロゼッタの逆鱗に触れたことは誰の目にも明らかだった。



 彼女はナイフを構え直すと、思いきり床を蹴り。

 フリントの方へと一直線に跳びかかる。


「お眠りなさい――っ!!」


 魔素を枯渇させるなら、呪いを直接刻めばいい。


 アルビオン様にそうしたように一刺しで決着がつく。


 張られた結界を壊し続けるより、格段に効率的な方法だ。


「――連なれ、多重防壁マトリクス・バリケード!」


 フリントとロゼッタの距離、約3メートル。


 その間に、幾重もの結界が層を形成する。


 しかし鋼鉄に近い硬度であっても、《魔素喰らい》の前では紙の束に等しい。


 一枚、また一枚と結界が破られていく。



「くッ…………!?」


 このままでは押し切られてしまう……!


 絶望的な光景が脳裏をよぎった、その瞬間。



「お兄様ぁ――――っ!」



 カトリーヌ・フロストは、私の隣を飛び出していた。



 たとえ、それが無謀であると分かっていても。


 大切な人を護りたい――その衝動を止められないことを、私はよく知っている。


 そして、その自己犠牲によって迎える結末に、救いが存在していないことも。



 フラッシュバックする常夜島の惨劇。


 一瞬、カトリーヌの横顔に、奏雨の姿が重なって見える。



 ――故に、私は願ったのだ。


 判断の遅さが死を招いた、あの時の後悔を繰り返さぬように。


 いかなる極限状態であっても、あらゆる可能性を精査する猶予が欲しいと。



 結論を出すための十分な時間と、作戦を実現するための運動神経。


 その二つが揃えば、優柔不断な私でも万全の状態で闘える。


 なぜなら、天野川遊理の思考回路は、必ず最適解に辿り着けるのだから――。




 パチリ、と火花が弾ける刺激に襲われる。


 魂の奥底で何かが目覚めるような鋭い痺れ。


 この感覚、カトリーヌと視覚共有した時のモノと似ている。


 ということは、この「回路」は…………!?



 そこで初めて私は、時間の流れが緩やかになっていることに気付いた。


 脳の片隅に次々と浮かんでは消えてゆく、記憶のカケラたち。


 走馬灯のように、無数の情報が脳神経を駆け巡っている。



『天野川遊理、その後悔を決して忘れないでください』



 あの時に聞いた、天使の澄んだ声が反響こだまする。



『魂に刻まれた強い想いが、廻生者の力となるのです』



 そして、現在いまに接続される視界の光景。


 世界がスローモーションのように流れてゆく。


 ――否、違う。加速したのは、私の「意識」の方だ。


 私は、それを肉体と魂の双方で理解した。



 そうか――これが、私の廻生スキル。


 あくまで視覚の共有は、一側面に過ぎなかったのだ。


 神経における、電気的信号の伝達を操作する能力。

 その名も、《神経侵犯ニューロハック》。



 第一段階ファーストステージ、効果:思考加速アクセルブレインの本領だ――!



 神経の伝達速度を加速させることで、相対的に時間の流れが遅く感じられているのだろうか。


 詳しいメカニズムは分からないが、この能力は今まさに私が必要としていたものだ。



 この絶望的な状況を打開し得る、最後の生存戦略。


 前世の私には叶えなれなかった、起死回生の一手。


 ……やり直しは効かない。一発勝負の本番だ。


 灰色の脳細胞をフル稼働させて、最適解を導き出せ――!



 ナイフの座標、速度、加速度。


 各関節ジョイントの角速度、呪刃の範囲。


 動きの軌跡を冷静に予測するんだ。



 あれ程に素早かった彼女の一挙手一投足が。


 ――全て視える。見て、考えて、対処できる。


 どう己の体を動かせば、最短で避けられるか分かる。



 …………違う、避けるだけでは兄妹を救えない。


 今ここで私が為すべき最適解は、彼女から《魔素喰らい》の刃を奪い返すことだ。



 全てがスローモーションに視える世界の中で。


 最高速度を出せるよう、私は重心を落として地を蹴った。


 斜め前のカトリーヌの腕を掴んで、引き寄せながら反動で前に踏み出す。


 ロゼッタはフリントに、右手のナイフを向けて突撃している。


 私は、警戒が薄くなっている彼女の側面に飛び込んだ。


 刃に触れないよう、彼女の右手首を両手でがっしり掴む。


 ロゼッタが私の方へ視線を向けたが、時すでに遅しだ。



 ――私は思いっきり、右手と左手で異なる方向に力を込めた。



 あの時は選択肢にすら思い浮かばなかった、手首関節技である。


 以前動画で見かけた程度の護身術を、まさか私が実行できるなんて。


 これも《神経侵犯ニューロハック》によって運動能力と動体視力が補われたお陰だ。



「いっ……たぁ……!」



 ロゼッタがナイフを取り落とすのと同時に、「私の世界」は再び通常の速度で動き始めた。


 体内のエネルギーが枯渇した感覚。これがカトリーヌの話していた「魔素切れ」か。


 魔法とは成り立ちの異なる廻生スキルだが、少なからず魔素を消費するというのは本当らしい。



 私は速やかに《魔素喰らい》の刃を回収すると、呪いの出力をオフにした。



「この――――」


 ロゼッタが私に牙を剥こうとした、その前に。


 彼女は背後からネイサンに組み伏せられ、顔を床に埋められる。


「ここまでですぞ、ロゼッタ。大人しくなさい」


「ぐッ………………!」


 武器がなければ、抵抗しても無駄だと悟ったのだろう。


 ロゼッタの手足はだんだんと、力が抜けたように動かなくなっていく。



 こうして犯人との対決は、ついに決着を迎えたのであった。

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