第16話 逆襲は突然に

 ネイサンは真っ直ぐ背筋を伸ばして、ロゼッタの正面に立ちはだかった。


 一呼吸の後、整えられた白い口髭が動く。



「私が犯人でない証拠をお見せすれば、潔く罪を認める――そう約束していただけますかな?」


「勿論ですよぉ! ……もし本当に、そんなことが可能なのでしたら、ね。うふっ」


 口元に手を添えて、笑いを堪えるロゼッタ。


 この期に及んで挑発とは大した度胸だ。



「……よろしいでしょう。その言葉、皆の心に刻まれましたぞ」


 ネイサンは私に目配せをすると、小さく頷いた。


 カトリーヌとフリントは、静かに執事の行動を見守っている。



 ロゼッタの計画では、最初から濡れ衣相手スケープゴートとしてネイサンを選んでいたのだろう。


 現場に残された痕跡には、彼の無実を証明できる要素は存在しなかった。


 だが、ネイサン・レムジェントは隠し持っていたのだ。


 事件の前提すらも覆しかねない重大な「秘密」を。



「カトリーヌさんから、こんな話を聞きました。アルビオン様は、ネイサン執事を非常に信頼していたと。冒険者時代からの付き合いで、自身の命を預けるほどだったそうですね」


「……それに比べて、私が信頼されていなかったと? 部外者には言われたくないですよぉ」


 メイドの愚痴は華麗に無視して、私は部屋の奥に鎮座している荘厳な金庫を指差した。


「そして捜査中、こんな情報も耳にしました。あの金庫の中には、召喚石よりも大切なモノが入っている――と」


「ああ。父上は、その中身について一切話してはくれなかったが……」


「では、もしネイサン様が、その中身を知らされていたとしたら?」


「何だと…………!?」



 そう――召喚師の秘密を知り得る人物がいるとすれば、それはネイサン執事に他ならない。



「アルビオン様は用意周到なお方です。非常事態に備えるよう、普段から皆さんに指導されていたとか」


 冷静な判断力に、計画的な行動スタイル。


 加えて、不測の事態に対する適応力。


 流石は元宮廷魔術師、隙のないエリート様だ。



「これらの情報から、ある仮説が考えられます。アルビオン様は自分の身に何かが起きた場合に備えて、金庫の中身を取り出せる手立てを残していた――という可能性です」



 その言葉を聞いて、ロゼッタは唇を引き攣らせた。


「……まさか、それは…………」


「ネイサン執事がアルビオン様から、金庫の開け方を教わっていたとしたら?」



 あくまで推測の域を出ない、単なる探偵の勘だ。


 これを推理と呼ぶには、論理が飛躍しすぎている。


 それでも、この秘密の答え合わせをするには、十分なロジックだった。



「御名答ですぞ、アマノガワ様」


 ネイサンは金庫の前に膝をつくと、その表面をそっと撫でた。



 私はこの推理劇を始める前に、密かにネイサン執事を問い質した。


 ――結果として、予想は的中。彼は金庫の開け方を知っていると打ち明けたのである。



「……正直、迷っていたのです。ご主人様が呪いに臥せっておられる今、金庫を開けるべきかどうか」


 彼は静かに語りながら、金庫の装飾に隠された仕掛けを次々と解いてゆく。


 そして流れるように、懐から白銀の鍵を取り出した。


「しかし、決めました。ご主人様がいつ目覚めるか分からない状況でこそ、きっとこの中身が必要となる。ですから――今ここで、あなた方に託しましょうぞ!」


 鍵穴から、カチリと硬い音がする。


 ついに金庫の錠は解かれたのであった。



 私はロゼッタに向き直ると、最後の一手を突き付けた。


「これで明らかでしょう。ネイサン執事は金庫の開け方を知っていた。つまり、いつでも召喚石を盗み出すことが可能だったのです。わざわざ密室内のアルビオン様を襲う理由など、彼は微塵も持ち合わせていない!」



「………………」



「さあ、もう言い逃れはできませんよ。犯人はあなたです、ロゼッタ!!」



 ――ああ、終幕カーテンフォール



 即興上等の推理劇を演じきって、糸が切れたように肩の力が抜ける。


 この時の私は愚かなことに、完全に油断していたのだ。




「…………ふふ、うふふ。あっははは!」



 後は彼女をお縄にかければ、晴れて事件解決だと。


 ――そう、思い込んでいたのである。



 追い詰められた犯人が、何をしでかすか分からないというのに。




「きゃあ――――ッ!」


 揺れる残像。呻る風圧。


 モノトーンのメイド服が視界を裂く。



「……ケイ!!」


「お嬢様っ!」



 不意を突かれた我々の前には、絶望的な光景が広がっていた。


 カトリーヌの首に添えられた《魔素喰らい》の刃。


 それを握り締めて、優雅にほくそ笑むロゼッタ。



 人質を取られ、凶器を奪われ。


 状況は一変、形勢は逆転したのだった。



「ご苦労さまで〜す! わざわざ金庫の鍵を開けていただけるなんて、ほんと願ったり叶ったりですよぉ」


 氷弾魔術を構えようとするフリントを、彼女は揚々と制止した。


「動かないで下さいね? お嬢様の首筋に、深い傷痕を残したくはないでしょう?」


「くっ…………!」


 まさか一介のメイドが、傭兵のごとく機敏に立ち回るとは。


 魔力適性がないなら拘束は容易だろうと、正直たかをくくっていた。


 彼女の身体能力――否、戦闘力を見誤ったのは私の責任だ。



 ……そう、ここは剣と魔法の異世界ガラシア。


 安楽椅子探偵として引きこもりがちだった私の常識に、収まる道理なんてない。



「血迷ったか、ロゼッタ……!」


「いいえ。すこぶる冷静ですよぉ、私は」


 ロゼッタの言う通り、衝動的な悪足掻きではないように見える。



 なんとしてでも、無事にカトリーヌを解放させることが最優先事項だ。


 そのためにも、いっそう言葉を慎重に選ばなくては……!



「ねぇタンテイさん。なぜ私がお行儀よく、くだらない推理を聞いてあげていたか分かります?」


 彼女は逃げようと思えば、いつでも逃げることが可能だった。


 計画が失敗した時点で、ナイフを諦めて姿をくらます選択もできたはずだ。


 それでも、犯人と指摘される覚悟をしてまで、この儀式の間に残り続けた理由。それは――。



「金庫の中の、召喚石より大事なモノを盗むため、ですよね?」



 ロゼッタも私と同じように、ネイサンが金庫を開けられる可能性に気付いたのだろう。


 そして、金庫を開錠する流れへと誘導するには、私の推理劇が最初で最後のチャンスだったのだ。


「正解です〜。手ぶらで帰ったら殺されかねませんし。召喚石の代わりにはならなくても、金になるなら貰っておいて損はないでしょう?」


 そう言って、ロゼッタは顎でネイサンに指示を出す。


「早くその中身を渡すのです。そうすれば、命までもは獲りません。私も鬼ではありませんから、ねぇ?」



「――ネイサン、頼む」


 喉から絞り出されたフリントの声は、細く掠れていた。


「…………仰せのままに」


 金庫の中に手を伸ばすネイサン。


 取り出された中身は、灰色の封筒だった。



 ネイサンに手渡されたそれを、透かすように観察するロゼッタ。


「これが……大切なモノ? 他に入っているものは……」


「見ての通り、金庫の中身はそれだけですぞ」


 ロゼッタは空の金庫を確認してから、呪いのナイフで封を切り開いた。


 封筒の中から、折り畳まれた数枚の文書が取り出される。


「こんな紙切れが、召喚石よりも価値があるとは思えませんけどぉ……?」


 そこに書かれた文字を見て、彼女の表情が徐々に曇ってゆく。


 私の推理が正しければ、あの文書は――。



「嘘だッ…………! こんな、こんなモノが……!?」



 文書を床に投げ捨てたロゼッタの瞳は、絶望と呼ぶに相応しい色に染まっていた。

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