第14話 犯人当て方程式
儀式の間の右の棚から、部屋中央の目印の位置まで。
部屋の半分近い長さを有する「闇」が、ナイフの刃を覆うように伸びている。
呪具内部に蓄積された全魔素が、呪いの刃として、最大出力で解き放たれたのだ。
「犯人は、ナイフを移動させはしなかった。刃の長さを呪術で伸ばすことによって、被害者に傷を負わせたんですよ!」
調査時に呪いの刃を解放した際、その魔跡の量は事件時の1%にも満たなかった。
それは、呪術の発動時間が短かったからだけではない。
1秒あたりの魔素消費量、すなわち呪いの刃の長さが異なっていたとしたら。
――被害者を貫いた暗黒の刃は、ナイフの刃の何倍もの長さということになる。
それは、もはやカッターナイフの比ではない。
薙刀をも超える長刃が、先端から押し出されたのだ。
「ナイフに蓄えられた魔素が減ると、呪いの刃は徐々に短くなっていきます。最終的には完全に消滅し、ツマミも元通りになるという仕組みです」
「なんという呪具だ……。これ程までに強大な力を秘めていたとは」
「ご主人様の傷口が、ナイフの刃より深く感じたのは、このためだったのですな……」
犯人にも、被害者に与える傷の深さまでは制御できなかっただろう。
と言っても《魔素喰らい》の呪いは、この暗黒のオーラが体を掠めれば刻まれる。
傷の深さに関わらず、衣服を裂き肌に届きさえすれば、犯人の目的は達せられるワケだ。
「アルビオン様が背後ではなく右腹を刺された理由も、これで説明がつきます。魔法陣に向かって立つと背中側は扉となり、ナイフを仕掛ける場所がありません。ナイフを固定するためには、部屋の側面にある本棚を利用する必要があったのです」
左側ではなく右側に仕掛けたのは、犯人なりの都合があったのかもしれない。
「あのぅ…………少し疑問に思ったのですけれど」
遠慮がちに口を開いたのは、ロゼッタだった。
「私が儀式の間に駆け付けた時、確かナイフは床に落ちていたと思うのですが……。犯人が移動させなかったのなら、何故そのような場所に?」
「アマノガワ殿、貴様が動かしたのではあるまいな?」
「動かしてませんよ! 私が召喚された時には、すでにナイフは被害者の隣に落ちていました」
それを聞いて、カトリーヌの肩が跳ねる。
「ということは、動かしたのはお父様ではありませんの?」
「状況的には、そう考えられます。結界内でナイフを移動させることができたのは、私を除けばアルビオン様だけですから」
そこで新たに生じる《なぜ》と《どうやって》の謎。
――その答えは、想像に難くない。
「呪いの刃で右腹を貫かれた被害者は、その暗黒の異質さを察知し、何らかの対処を試みたはずです。呪いの刃は時間と共に縮むので、刺したまま出血を抑えることができませんし」
刃を放置できないと悟った被害者が、次に取った行動。
それは、魔術の痕跡からも推測できる。
「現場の本棚には、氷弾魔術の痕跡が残されていました。分厚い魔導書の背表紙が、ぽっかりと抉られていたのです。ちょうど今、ナイフが固定されている位置あたりに――ね」
「分かりましたわ! お父様はナイフを棚から動かすために、本に穴を開けて隙間を作ったのですね?」
「はい。そうすることで、刃が縮む際にナイフの柄が自分の方に近付きますから」
呪いの刃の先端を自身の体で固定して、ナイフ本体を引き寄せるという、かなりのストロングスタイルである。
「しかし何故、わざわざナイフを移動させたのだ? 刃を体から引き抜くのであれば、自身が左側に移動すれば済む話ではないかね?」
「そうなのですが、それだとナイフが棚に残されてしまいます。アルビオン様は、その状態を危険視したのではないでしょうか」
突如として、自分の身体を貫いた謎の黒い刃。
その刃が次第に短くなっていくのを見て、召喚師は思ったはずだ。
この刃が再び伸びて、誰かを傷付けるかもしれない――と。
「アルビオン様は、後から部屋に入った皆さんが呪いの刃の罠にかからないよう、ナイフを目立つ場所に移動させた。……推測の域を出ませんけど、私はそう考えています」
「なるほど。確かに、ご主人様ならやりかねませんな…………」
結果的に、この罠は一度きりの仕掛けだったが。
凶器を移動させてくれたお陰で、密かに証拠隠滅される未来は回避することができた。
召喚儀式を成功させたことといい、犯人に一矢どころか三矢くらい報いている気がする。
――今回の事件のMVPは、被害者のアルビオン様だな。間違いなく。
私は、今も眠り続ける稀代の召喚師に、ありったけの感謝の念を捧げた。
密室の謎に端を発した、召喚師密室呪刻事件。
ホワイダニットとハウダニットは、全て解かれたことになる。
「それでは、最後の謎に参りましょう。フーダニット――すなわち《犯人は誰か?》」
場の空気が、いっそう険しくなるのを肌で感じる。
これまでの推理を通して、彼らにも「気付き」があったのだろう。
「犯人の条件は、すでにふたつが提示されています。犯人の動機と、遠隔刺突トリック。それぞれの解を方程式に代入することで、自ずと犯人の正体が導き出されるのです」
「ホウテイシキ……?」
「す、すみません、母国語が出ちゃいました」
照れ隠しの咳払いをしてから、私は背筋を伸ばした。
「まずひとつ目の条件、犯人の動機について。召喚石を盗むというのが、犯人にとって最大の目的でした。その計画では、儀式を中断させた後、どのように召喚石を回収するつもりだったのでしょう?」
「それは……結界が解除されたら、誰よりも先に部屋に入って盗み出すのが確実ですわね」
「その通りです。そして犯人は、呪いを刻まれたアルビオン様が、結界を正規の方法で解除できないことを知っている。そうなると、結界が破られる状況は限られます」
「お父様が部屋から出てこないのを心配して、私たちが無理やり結界を破る――というシチュエーションかしら」
ロジックの答え合わせが、カトリーヌとの対話によって進められていく。
「まさしく。犯人は召喚石を盗むため、結界が破られる瞬間に立ち会う必要がありました。皆さん、思い出してみてください。事件後に儀式の間に立ち入った、その順番を」
「……………………」
しばしの間、沈黙が場を制して。
それを断ち切ったのは、フリントだった。
「――僕、ロゼッタ、ネイサン、ケイ。アマノガワ殿を除けば、この順で部屋に入ったと記憶している」
「私の記憶も同じです。カトリーヌさんは一番最後に、かなり遅れて現れました。ネイサン執事も、結界の破壊される音を聞いてから駆け付けています。よって、犯人である蓋然性は低い」
「逆に……僕とロゼッタが怪しいと、貴様はそう言いたいのだな」
「そんな! 私を疑っているんですか……? うぅ……」
威圧的な態度を崩さないフリントと、不安に震えているロゼッタ。
私は二人に向かって、言ノ葉を叩き付けた。
「フリント様は屋敷内で唯一、アルビオン様の結界を破壊できる魔術師です。現場に突入する瞬間に、必ず立ち会うことになります。自分で破るタイミングを決めてもいいし、誰かに呼ばれるのを待ってもいい。犯人だとすると、比較的余裕のある立ち場です」
「……言い方が癪だが、否定はしない」
「一方ロゼッタさんが犯人の場合は、頃合いを見計らって、扉を破ってもらう必要があります。儀式がいつ終わるのか気になって、扉の前を通りかかったところ私の声に気付いた、という話でしたね。様子を窺っていたという点は、犯人の条件に当てはまります」
「それは…………」
憐れなメイドは、返す言葉を持ち合わせていない様子だった。
私は心を鋼にして、ロジックの糸であやとりを続ける。
「そしてふたつ目の条件、遠隔刺突トリックについて。この話は至ってシンプルです。『このトリックを仕掛けることができた人物は誰か?』――この一点に疑問は集約されます」
犯人は儀式の間にナイフを持ち込み、糸による仕掛けを施した。
その下準備が可能なタイミングは非常に限られる。
「このトリックには、トリガーとして蝋燭が組み込まれていました。そしてその蝋燭は、召喚儀式の直前に用意された新品の物です」
「儀式の準備を担当したのは――ネイサンとロゼッタ、二人だったな。あの燭台の蝋燭を取り替えたのは、どちらだ?」
フリントの詰問に、顔を見合わせる執事とメイド。
「……蝋燭を用意したのは、この私、ネイサンでございます」
フリントの眼光がいっそう厳しくなる。
すぐさま私は、ネイサンに一言問いかけた。
「儀式の間の準備を終えて、部屋を最後に出たのはどちらでしたか?」
「最後に出たのは、私です……」
か細い声で答えたのは、ロゼッタだった。
「つまり二人とも、トリックを仕掛けることは可能だった、ということですね」
相手の目を盗んでトリックを仕掛けられる可能性がある以上、この条件だけで絞り込めないことは分かっていた。
「……ですが、以上の推理により、犯人は明らかとなりました」
そう――条件を組み合わせれば、可能性はひとつの真実へと収束する。
それを皆に宣告することこそ、探偵としての務めだ。
「蝋燭に糸を仕掛けることができ、かつ召喚石の奪取を狙えた人物は、ただ1人。そうですね、ロゼッタさん」
「――――っ!!」
長い推理の果てに、辿り着いたひとつの解。
告発されたメイドは、青ざめた表情でスカートの裾を握り締めていた。
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