第10話 魔跡観測(マギアメトリー)

「どう? 何か視える?」


「うう……召喚術の痕跡が強くて、他の魔跡が視えにくいですわね……」


 目を細めながら、部屋の隅々まで歩き回るお嬢様。


 痕跡探しが地道な作業なのは、科学でも魔法でも変わらないらしい。



 事件当時、この部屋で何が起きたのか。


 儀式の痕跡を辿ることで、その一端を明らかにできるはずだ。



「…………きゃ!」



 カトリーヌが短い悲鳴を上げて体勢を崩す。


 とっさに私は、彼女の腕を掴んで引き寄せた。



 どうやら、床に転がっていた円柱形の分銅に足を取られたらしい。


 急いで片付けをしたとは聞いていたが、この散らかり具合を見るに、物を隅に寄せただけのように見える。



「危なかったね……。大丈夫?」


「ひゃ……ひゃい! だいじょぶ、です……」


 そう言って、顔を伏せるカトリーヌ。


 箱入りお嬢様に接触するのはアウトかも、と即座に反省する。


 同性との距離感がバグったのは女子校育ちのせいか、あるいは奏雨のせいか。


 私も昔はスキンシップが苦手だったので、お嬢様の拒否反応も理解できる。



 ――その時だった。


 視界が白く弾けて揺れる。


 視神経が拡張されてゆく不思議な感覚。



 次に目を開くと、世界は色彩に満ちていた。



 紅、蒼、翠、銀、白、そして黒。


 色とりどりのもやが部屋のあちこちで浮いている。



 私の意識は、「それ」を直感で理解した。


 この景色こそ、今カトリーヌが視ている魔術の痕跡で溢れる世界で。


 この感覚の共有こそが、天使が話していた私だけの《廻生スキル》に違いないと。



 恐らく触れた相手の視覚情報を、自身の視覚に上書きしたのだ。


 自己強化タイプの神経操作能力、といった所だろうか。



 私の後悔から、なぜこの能力が生まれたのか。


 追々実験してみて確かめるのが良さそうだ。


 発想次第では、他の使い方もできるかもしれない――。



「…………あの、アマノガワ様? いつまでこの状態でいれば……」


「もう少し、このままでいさせて」


「え、え?」


「触れた指から流れ込んでくる。あなたの感覚が」


「ま、待ってください! 心の準備が――」


「神経操作能力。きっと、これが私に与えられたスキルなんだ」


「…………はい?」


 カトリーヌは先程までの狼狽が嘘のように、ポカンとした表情を浮かべている。


「ごめん、説明が足りなかった。どうやら私の能力の効果で、触れた相手の視覚情報を私の視界に反映できるみたいなんだ」


「それって……アマノガワ様にも、アレが視えているということですの!?」


 部屋に浮かぶ靄を指差すカトリーヌ。


「うん、視えてる。なんかフワフワしてるカラフルなやつ」


「凄いです……! 今でこの景色を共有できたのは、お母様だけでしたから。隣で分かち合えるというのは、とても心強いですわね」


「私も同感。捜査が捗りそうで嬉しいよ」


 ……それに何より、彼女の言葉を疑わずに済む。


 容疑者のひとりに捜査協力を求めている以上、この変化は非常に大きな意味を持っていた。



「でも、腕はちょっと……。触れるなら、手でもよろしいでしょうか?」


「で、ですよね、ごめんなさい……」


 私たちは、握手をするように触れ合った。


 これを手繋ぎと形容するには、なんとも仰々しい格好だ。



「では早速、説明を始めますわ。最近この部屋で行使された魔術の痕跡は、全部で6種類です。発動が古いものから順に説明しますわね」


「よろしくお願いします」


 解説担当の魔術専門家に、私は深々と頭を下げた。


「まず最初が結界魔術。部屋全体を包む、銀色の塵のようなものが視えますでしょう?」


「うん、キラキラしてるやつだよね。これが、結界の痕跡――」


「魔術の痕跡は、その属性ごとに色合いが異なりますの。銀色は空間を司る属性で、その塵の位置や形状から結界魔術と判断できるのですわ」


「なるほど……。確かに、フリントさんが部屋の入口に結界を張った部分だけ、銀色の輝きが強く視えてるね」


 新しい痕跡ほど、ハッキリと残るものらしい。


 この辺は、指紋や足跡などと同じように考えて良さそうだ。


「こういった痕跡って、どれくらいの間残り続けるものなのかな?」


「魔術の強さや場所によって様々ですわ。魔素消費の少ない魔術であれば数日、大掛かりな術式であれば年単位で残ることがあります。また人通りの多い空間ですと、空気の流れに乗って魔跡が散ってしまいやすいのです。逆に封鎖された空間では、とても古い魔跡が残っているケースもありますわ」


「今視えている痕跡は、どれも新しい感じがするけど……。この部屋は、どれくらいの頻度で人が立ち入っていたの?」


「お父様が毎日のように、書斎として過ごしていましたわ。1週間前までの魔跡であれば、目を凝らせば視えるかもしれませんわね」


「魔跡の見方、だいぶ掴めてきたよ。解説ありがとね」


 カトリーヌの見立てでは、直近で発動された魔術は6種類。


 その見立てがどのように行われたのか、理屈を聞いて納得だ。



「部屋全体に結界術が使われたのは、一度だけで間違いない?」


「はい、一度きりに視えますわ。お父様が部屋に入った際にかけた物のみですね」


 これによって、結界が張り直された可能性は否定された。


 フリントに破られるまで、儀式の間は確実に密室状態を維持していたことになる。



「次に行使されたのは、火炎魔術です。燭台付近に溜まっている紅い痕跡がそうですわ」


 燭台は魔法陣の周囲に置かれた物だけでなく、天井から吊るされた物もあった。


 魔術を使わないと、着火するのも苦労しそうだ。


「儀式を始める際に、蝋燭に火を点けたんだろうね。状況的に考えるとアルビオン様の魔術かな? 確かフロスト家は、氷魔術師の家系って聞いていたけど……」


「父は火属性の魔力適性も持っていますのよ。氷属性ほど強力な技は扱いませんが、火を灯すくらい造作もありませんわ」


「魔力適性というのは、生まれつき決まっている――という理解で合ってる?」


「はい、魔力適性は生涯不変の素質です。修行を重ねて経験を積んだとしても、適性のない属性の魔術は会得できませんわ」


 なるほど、魔力適性は魔術犯罪を紐解く上で、大切な情報となりそうだ。


「参考までに、この家の人達の魔力適性を教えてもらえるかな」


「そうですね……お父様は氷と炎、それに空間系の適性があります。結界術や召喚術も、空間属性を極めた魔術ですわね。私は氷属性のみ、フリントお兄様は氷と炎、そして簡易結界術が使えます。ネイサンは水属性派生の治癒魔術を得意としていますわ。ロゼッタは、魔力適性を持っていないはずです」


「やっぱり、複数の属性に対して魔力適性を持っているのは珍しいの?」


「はい、魔力適性のある人は全人口の70%と言われているのですが、多属性適性者マルチホルダーは10%未満です。ちなみにジェイドお兄様は、氷と風の2属性を操れますのよ」


 そう言って、お嬢様は鼻を高くする。



 統計的に考えると、必ずしも遺伝によって両親の魔力適性が受け継がれるワケではないらしい。


 それでも多様な適性を持つフロスト家、流石はエリート一族だ。



「では次にいきますわね。魔法陣周辺の白い輝き、これが召喚魔術の痕跡です」


「これだけ異常に眩しいね。新しいから、というだけではなさそうだけど……」


「魔術の発動時間が長く、魔素を大量に消費したからですわ。とくに魔法陣の中心が輝いて視えますが、あそこに召喚石が置かれていたのでしょうね。召喚石は高純度の魔法石、膨大な量の魔素を供給できるのですわ」


「結界術にも魔素を沢山使いそうなイメージだったけど、それより召喚術の方が多いんだね」


「結界術は維持よりも、形成時に魔力を瞬間的に使いますわ。一方で召喚術は、長い間ひたすら魔力を込め続けるので、魔跡もこうして強く残るのです」


 魔跡からして、召喚術の発動は一度きり。


 召喚石はひとつだけという話だから、想定通りではある。


 これで「犯人が私より先に召喚された人物」という可能性はなくなった。



 結界内に出現する方法は、果たして他に存在するのだろうか……?



 いや……闇雲に考えても、魔術に疎い今の私では可能性を全て網羅することは難しい。


 ひとまず痕跡を一通り調べて、条件をしぼり込むことが最優先だろう。



「次の魔跡、行ってみようか。この青白い塵は局所的に溜まっているね」


「これは氷属性魔法の痕跡ですわ。それも、氷弾魔術の軌跡のようです」


 氷弾――確かフリントが、私に向けて撃とうと構えていた魔術だ。


「これを撃ったのも、時系列から考えるとアルビオン様かな」


「えぇ、この精微さはお父様の術式です。氷魔術は一番身近な魔術ですから、家族の癖であれば見分けられますの」


「だとすると、儀式の最中に氷弾を撃ったことになるけど。これも召喚儀式の一環なの?」


「いえ……私の知る限りでは、氷弾魔術は召喚儀式と無関係だと思いますわ」


 であれば、召喚師が氷弾魔術を撃たなくてはならない何かが起きた、と考えるのが自然だ。


「もう少し詳しく調べる必要がありそうだね」


 私は氷弾が発射された位置まで歩を運んだ。


 カトリーヌも、手を引かれるままに付いてくる。



 氷魔術の痕跡は、魔法陣の手前から放たれていた。


 そこが召喚師が倒れていた位置であることは、床の血溜まりからも明らかだ。


「アルビオン様はこの場所に立って、魔法陣に魔力を送り込んでいた――と」


 床には立ち位置を示す目印が刻まれている。


 儀式の際には、いつもこの場所を基準として魔法陣などを描いていたのだろう。



 青白い塵の軌跡は、正面の魔法陣に対して右方向に続いていた。


「氷弾は、向かって右側に放たれたみたいだ」


 右側面――これは被害者の刺された方向と一致している。


 右腹を刺された直後、犯人に向かって反撃をした? それとも――。


「見てください! 棚に氷弾で撃たれた跡がありますわ!」


 軌跡の終着点を指し示すカトリーヌ。


 右の棚の一角には、魔導書と思しき分厚い本が隙間なく敷き詰められていた。


 その一部の背表紙に、ゴルフボールサイズの穴が開いている。


「本が抉れて空洞ができてる……。凄まじい威力だね、これ」


「氷弾を氷柱状に尖らせると、このように貫通力が増すのです」


 ライフル弾と同様の原理とは。さすがは異世界、容赦がない。



 弾痕が残されていたのは、腰の高さの層に置かれた本一冊のみで、その他には目ぼしい手がかりは残されていなかった。


 犯人の血でも付着していればラッキーだったけれど、そう甘くはないのが現実である。



 調査対象の魔跡も、残すところあと2種類だ。


 はたして、決定的な手がかりは残されているのだろうか……?

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