第9話 疑う勇気と信じる覚悟

「私…………ですの?」



 ネイサンに推薦されたカトリーヌは、目を丸くして呟いた。


 喜びと驚き、そして戸惑いが入り混じったような表情に見える。 



「そうです。お嬢様の《魔眼》であれば、我々に見えないモノまで見通すことができましょう。不躾な提案で恐縮ですが、アマノガワ殿のサポートを行うには、これ以上の適任者はいないかと存じます」


 ネイサンの言葉を、隣のロゼッタも頷きながら聞いている。


「いかがですかな、お嬢様? 無理にとは申しませんが、ご一考戴ければと」


「そうですね…………」


 目を伏せて思案するカトリーヌ。


 緊張した面持ちの中に、決意が浮かび上がってくる。


「確かに、あなたの言う通りかもしれません。……私、頑張ってみます」


「良かった、お受けいただき感謝しますぞ! フリント様も、それでよろしいですな?」


「む……分かった。調査協力はケイに任せる」



 これは私にとっても、期待していた展開である。


 現時点の推理では、一番犯人から遠いのがカトリーヌなのだ。


 彼女となら、安心して捜査に取り組むことができるはず――。



「よろしくお願いしますわね、アマノガワ様」


「こちらこそ、頼りにしてます!」




 儀式の間の前まで戻ると、フリントは結界に手をかざして詠唱を開始した。


 まるで暗号化された認証パスワードを入力しているような雰囲気だ。


 恐らくこれが、正規の手段で結界を解除する方法なのだろう。



 詠唱をを終え、バリアが消失したのを確認すると、フリントは事務的にこう告げた。


「では、僕は父上の元に戻らせてもらう。捜査が終わったら声をかけに来てくれたまえ。良い報告を期待しているぞ」


「――必ずや、真相を解き明かしてみせます」


「ケイ、お前は迷惑をかけぬようにな」


「当然ですわ、お兄様」



 立ち去るフリントの足音が聞こえなくなった頃。


 私と彼女は、再び儀式の間に足を踏み入れた。



「さっきはありがとね。臨時助手を引き受けてくれて、本当に嬉しい」


「いえ……私なんかに、務まるかどうか…………」



 カトリーヌは一呼吸の後、真剣な眼差しで私に問いかけた。


「アマノガワ様は、なぜ探偵の道へ進んだのですか?」


 意外な質問が飛んできて、身構える。


 しかし冷静に考えてみると、その疑問を抱くのは自然な流れだ。


 これから私は、彼女に探偵行為の片棒を担がせようとしているのだから。



「これは、自分なりのケジメなんだ」


 揺れる心を抑えるように、淡々と語り出す。


「私って生まれつき、事件に巻き込まれやすい体質で。周囲の人を事件に巻き込んでしまうから、私が責任を持って解決しないと無性に落ち着かなくてさ」


 そのせいで命を落とした、とまでは流石に言えないけれど。


「だから、気がついたら探偵になっていた――というのが最初の一歩きっかけ。でも、その道を進むと決めたのは、罪滅ぼしが理由だった気がする」


 初対面の女の子に本音を吐露するなんて、正直どうかしていると思う。


 だけれども、言葉が勝手に零れ出ていた。



 「――私は、謎を解かなくちゃいけないんだ。他人に赦されるためにも。そして私自身を、赦すためにも――ね」



 海のように深い彼女の碧眼が、私の心を緩めたせいだろうか。


 その優しい輝きに、私は魅入られていたのかもしれない。



「そう、だったのですね…………」


 彼女は続けて何かを言おうとして、それから口を噤んだ。


 束の間の静寂の後、カトリーヌは意を決したように言葉を紡ぎ始める。


「私も、人助けをしたいと常々思っておりました。ですが……この家にいる限り、私は常に助けられる側。大切にされていることは嬉しい一方で、このままではダメだと感じている自分もいたのです」


 彼女は私の瞳の奥を、真っ直ぐに見つめて離さない。


「私は生まれつき、魔術の痕跡を視ることができます。《魔跡観測マギアメトリー》――それが、私の能力。母から受け継いだ、魔眼の名前ですわ」


 そう言って、カトリーヌは右眼を指さした。


 その奥に不思議な輝きを秘めているのが、私にも伝わってくる。



 ――そうか。だからこの家で、彼女だけが「特別」なんだ。


 私の中で、彼女に対する「違和感」の正体が、ひとつの線で繋がっていく。



 カトリーヌは言葉を続けた。 


「私の特異体質が、アマノガワ様の助けとなり、お父様の身の安全を守ることに繋がる。ついに待ち望んでいた機会が訪れたはずですのに……私は正直、怖いのです」


「それは、身の危険を感じて?」


「……いいえ。お父様を刺した犯人が、身近な人かもしれないと、考えることが怖い。誰かを疑う勇気が、私には持てないのです」



 それは私にとって、予想外の一言だった。



 彼女が恐れているのは、すぐ近くに犯人が潜んでいる可能性ではなかった。


 人を疑うという行為そのものを忌避しているだなんて。



 優しすぎる彼女に対して、私は悩んだ末にこう伝えた。


「大丈夫、カトリーヌさんが誰かを疑う必要はないよ。あなたの見たままの情報を、私に伝えてくれればいい。全てを疑う役目は、私が引き受けるからさ」


 少し苦しそうに微笑むカトリーヌお嬢様。


 その瞳から、迷いの色が薄れていく。


「……ありがとうございます。私、信じますわ。あなたの言葉も、家族の皆も。信じるために、真実に向き合いますわ」



 誰かに裏切られると分かっていても、その瞬間まで信じ続ける真心。


 その覚悟こそが、カトリーヌ・フロストの強さなのだと思う。



 リスクを恐れ、あらゆる可能性を疑わずにはいられない私とは、まるで対照的な思考回路で。


 だからこそ私たちは、弱みを補い合うことができる。そんな確信めいた予感があった。



「それじゃあ早速、捜査を始めよっか。魔眼、お願いできるかな」


「――えぇ。それでは、いきますわよ」



 カトリーヌは前髪を整えると、ゆっくりと瞬きをした。


 すると彼女の右眼が、仄かな輝きを放ち始める。



 魔跡観測者マギアメトラーによる現場検証、いよいよ開幕だ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る