第11話 魔素喰らいの刃

「氷の魔跡から得られる情報は、こんなところかな……。次は黒い魔跡を調べようか」



 禍々しい黒色の塵は、床に転がっている凶器のナイフから溢れ出たもののようだった。


「こんなに黒い魔跡を視たのは初めてです。これが黒魔術――呪術なのですね。不気味ですわ……」


「塵の広がり方からして、呪いの発動タイミングは氷弾魔術とほぼ同じだね」


 呪いの発動直後に反撃として氷弾が放たれた、と考えた方が流れとしては自然かもしれない。



「このナイフ、《魔素喰らい》って言ったっけ。犯人が持ち込んだものだし、手がかりがあるといいけど……」


 私はカトリーヌと繋いでいた手を解くと、刃に触れないよう注意しながら布越しに持ち上げた。


 照明の光を反射させて確認したところ、指紋の類の痕跡は残されていないらしい。


 血溜まりに浸っていたたため血痕が広く付着しており、いっそう呪具らしさを際立たせていた。



 よく見るとナイフの柄と刃の間、いわゆるつばの辺りに、何やら丸い機構が出っ張っている。


 側面には縦に溝いくつも入っており、つまんで回してくださいと言わんばかりのデザインだ。


「これは…………ツマミ?」


 好奇心の赴くまま、私はツマミを限界まで回してみた。



 それは、一瞬の出来事だった。



 ナイフの刃が暗黒のオーラを纏ったかと思うと、それに触れた布が両断される。


 まるで、カッターナイフの刃を押し出したように。



 《魔素喰らい》の刃の先端は、一回り大きい「闇」に覆われていた。



 私は驚きのあまり、持っていたナイフを取り落とした。


 暗黒のオーラが触れた床に、鋭利な刀痕が刻まれる。


「ななな何をしていますの!?」


「私にも分からない! つまみを回したら突然……」


「その黒いオーラは、呪いの刃の本体です! 絶対に触れてはいけませんわよ!」


「わっ、分かりました……! これ、ツマミを戻せば止まるかな……」



 お嬢様の気迫に気圧されながら、私はナイフを拾い上げようと試みる。


 しかし、その前に刃のオーラは徐々に縮んでいき、ついには完全に消滅した。



「あれ、ツマミも勝手に戻ってる」


「恐らくですが、ナイフに蓄えられていた魔素を使い果たしたのでしょうね」


「もしかして、その魔素って……」


「《魔素喰らい》の魔吸呪術によって、お父様から奪われたものですわ」


「やっぱり…………」


 私の不手際で、貴重な魔素を消費してしまったということだ。


 今のが無駄遣いにならないよう、しっかり手がかりとして記憶しておこう。


「呪いの対象から吸い取った魔素は、ナイフ側に蓄積される――と。そしてツマミを回すことで、魔素を呪いの刃に変換して顕現させる造りってところかな」


 確かに、常に魔素が放出されてしまう構造だと、持ち運びでさえ危険が付きまとう。


 魔素の出力量をツマミで制御するのは、安直ではあるが理に適っている。



 ――呪う対象を刺す瞬間にのみ、呪いの刃を展開すれば済むのだから。



「この呪具ですが、使用者に魔力適性がなくても扱えるようになっているようですわ。ナイフ単体で魔素吸収と魔力変換の術式が完結しています」


 ナイフから使用者の特定は困難、ということか。


「今発動した分の呪いの魔跡と比べて、アルビオン様が刺された時の魔跡は、どんなふうに視える?」


「魔跡の量は、事件時の方が数百倍も多いかと。それほど長時間、呪いの刃が展開されていたのだと思います。あらかじめ犯人は、ナイフに多量の魔素を蓄えていたようですわね」


「アルビオン様の他にも、この《魔素喰らい》で刺された人がいるってこと?」


「いえ……古い方の魔跡から感じ取れる魔素は、人由来のものではなさそうです。自然由来の魔法石を切って、その魔素を取り込んだのでしょう」


 召喚師を呪ってやろうという、明確な悪意が感じられる情報だ。


 計画的な犯行であることは、もはや疑いようがない。



 私はナイフを床に置き直すと、そそくさと手を繋ぎ直した。



「最後は青緑色の魔跡――治癒魔法ですわね。この術式は、ネイサンのもので間違いありません」


「治癒の瞬間は私も見てたよ。アルビオン様を運び出す前に止血をしたんだ」


「でしたら、事件とは無関係ですわね」


 カトリーヌの言う通りだ。治癒魔法は、密室が破られた後に行使されている。



 まとめると、現場が密室だった間に発動された魔術は4種のみ。


 火炎魔術、氷弾魔術、召喚術に《魔素喰らい》の刃だ。


 密室を突破できるような常識外れの魔術は、事件の際に使われていなかったことになる。



 そこで私は、もうひとつの可能性に思い至った。


「もし犯人が廻生者で、魔術ではなく廻生スキルによって犯行が行われた場合、現場に魔跡は残されるの?」


「スキルの種類によりますが、何らかの魔跡は残ると思います。廻生スキルも魔術と同じく、空気中の魔素に影響を及ぼすのです。しかし属性の分類は難しいので、未知の痕跡という扱いになりますわ」


「今回は未知の痕跡がないから、その可能性も否定できるワケね」


 能力の正体から推理するとなると、捜査は困難を極めそうだけど。


 今回の事件では、謎のスキルによる干渉は無視して良いだろう。



「魔跡の調査はここまでかな……。ありがとう、カトリーヌさん」


 手を離すと、カトリーヌは上目遣いで私を見つめた。


「私の魔跡観測マギアメトリー、お役に立てましたでしょうか?」


「それはもう! 便利すぎて目からウロコが止まらないくらい!」


 私の謎の言い回しに、彼女は疑問符を浮かべている。


「力になれたのなら嬉しいのですが……。決定的な手がかりを見つけられず、申し訳ございませんわ」


「謝らないで、大丈夫。後は私の目と頭脳でなんとかしてみせるから」



 これまでに得られた手がかりから、断片的に事件の様相は見え始めている。


 それぞれのピースを正しく繋げることができれば、真相に辿り着けるはずだ。



「あと調べていないのは……あった、あれがウワサの金庫だね」


 棚の一角に、その金庫は鎮座していた。


 シンプルで機能的なデザインが、より中身の重要さを際立たせている。


「鍵はかかっているみたい。召喚石を取り出した後、アルビオン様が施錠し直したのかな」


「そう言えば――お父様曰く、金庫には『召喚石よりも大切な物』も一緒に仕舞ってあるとか」


「それなら、なおさら開けたままにはしておけないね」


 金庫自体に、とくに不審な点はない。


 人間が入れるサイズではないので、犯人が隠れている可能性は除外して良さそうだ。



「ちなみに今さらなんだけど、この部屋に秘密のスペースや抜け穴のようなものは無いよね?」


「そういった仕掛けはありませんわ。お父様はロマンよりも、実用性を重視されますから。雑多な部屋に見えますけど、無駄な物は何一つないんだそうです」


「へぇ、それは私と気が合うかも」


 この部屋に対する既視感の正体に、ふと気が付く。


 手の届く場所に道具をまとめたり、捨てられない物を棚に敷き詰めたり。


 ……私のオタク部屋と、成り立ちが似ているんだ。



「ん…………?」


 右の壁際の床に、長い髪の毛らしき物が落ちているのが目に留る。


 拾い上げて見てみると、それは捻れた糸だった。


 表面は擦れて毛羽立っている。一端には焼け焦げた跡があり、もう一端は何かが結ばれていたようだ。



「糸……密室……まぁ、そんな古典的なオチはないよね」



 糸を駆使した施錠トリックは多種多様だが、今回みたいな結界密室では鍵の掛けようがない。


 なら何故、こんな場所に――。



「…………いや、まさか!?」



 脳内を駆け巡る、奇想天外なひとつの「解」。


 そんなバカなと懐疑する理性に対し、思考結果が直感を裏付けていく。



「そういうこと、だったんだ――」



 確かにこの方法でなら、理論的には犯行が可能だ。


 私の常識を遥かに超えた、この剣と魔法の異世界でなら。



「……カトリーヌさん、この儀式の間に皆を集めてもらえる?」



 私の一言で、彼女はハッとした表情を見せる。


「解けたのですね!? 密室の謎が!」



「解けたよ、全部。この事件を引き起こした、犯人の正体もね」

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