第6話 フロスト家の人々
屋敷の廊下は、ひりつく様な静謐に包まれていた。
事件の直後ではあるものの、慌ただしさは微塵も感じられない。
粛々と、全ての事が段取りよく運んでいく。
この家には、そんな頼もしさと息苦しさが同居していた。
それは、まるで――病棟のように。
私は足音を殺しながら、お嬢様と並んで歩いてゆく。
「その、あなたのお父さんのこと、何と申し上げたらよいか……」
「お気遣いありがとうございます。でも、大丈夫ですわ。こういう時こそ冷静にと、お父様から教えられてきましたから。日頃より、非常事態には備えておりますの」
そう語る彼女の目に、まだ少し充血が残っているのを私は見逃さなかった。
「こちらが私の部屋です。どうぞお入りください」
「お……お邪魔します…………」
薄暗い室内に差し込む、柔らかなオレンジ色の西日。
その温もりに緊張の糸が解かれて、ふと安堵の息が漏れる。
しかしそれも束の間、新たな緊張が時間差で私の心に這い出した。
そう――他人の部屋に足を踏み入れること自体、私にとっては一大イベントなのである。
「少々お待ちください。すぐ着替えを用意いたしますから」
彼女は洋服箪笥へ歩み寄ると、衣服の発掘作業に取り掛かり始めた。
こういう時、何を話したらいいのか分からなくて困ってしまう。
私は悩んだ末に、会話デッキから自己紹介の手札をドローすることにした。
「そういえば、挨拶がまだでしたね。私は天野川遊理、探偵です。えぇと、あなたのお名前は……」
「私は、カトリーヌ・フロストと申します」
なるほど……お兄さんにケイと呼ばれていたのは、カトリーヌの愛称のKayだったのか。
キャシーやケイトの方が一般的だから、ちょっと珍しい印象だ。
「よろしくお願いしますわ、アマノガワ様」
「こちらこそ、よろしくお願いします……!」
……様付けで呼ばれるの、慣れていなくてムズムズしちゃうな。
「先ほどは、兄が御無礼を働き申し訳ございませんでした。異世界からの来訪者様を、軽率に犯人扱いするなんて……。私からも謝罪させていただきますわ」
「いえ、そんな、頭を下げないでください! あの状況で、私が疑われるのは自然なことですから」
お嬢様に謝られると、なんだか調子が狂ってしまう。
「カトリーヌさんが庇ってくれて、その……心強かったです。本当にありがとうございました」
「そんな、お礼を言われるほどのことではございませんわ。それにアマノガワ様の方が年上でしょう?
あ、その知識は異世界にも浸透しているんだ。
廻生者だと知られると年齢詐称が厳しそう……。
「アマノガワ様さえよろしければ、私には砕けた口調で話してもらえると嬉しいですわ」
「そ、それじゃあ……お言葉に甘えて。よろしくね」
「はい! よろしくお願いします!」
カトリーヌはそう言って、眩しい笑顔を返してくれた。言動の端々から育ちの良さが滲み出ている。
……それに比べてお兄さんは、だいぶ圧が強かった気がするけど。
「あっ、このドレスなんていかがでしょうか。アマノガワ様に、とても良く似合うと思いますわ」
彼女が広げて見せたのは、黒を基調としたゴシックドレスだった。
お姫様っぽいフリフリのものよりは、確かに私向きなスタイルかもしれない。
「スゴい綺麗――。私が着ちゃって、本当にいいんですか?」
「どうにも私には似合わなくて、タンスの肥やしになっていましたの。遠慮なさらず着ていただけると嬉しいです」
「その、私……こういう服を着るのが初めてで……」
「そうでしたのね。着付け、手伝って差し上げますわ」
「本当に、何から何まですみません……」
お嬢様に服を着させてもらうなんて、罰当たりにも程がある。
この恩は、必ず返さなくちゃ――。
着せ替えられている間、視線のやり場に困って私は部屋を見回した。
上品でありながら、あまり飾りすぎない造りの家具が並んでいる。
私は、棚の片隅に写真が飾られていることに気が付いた。
「こちらの世界にも写真ってあるんだ!?」
「実は、廻生者の方から伝え聞いた写真という文化を、魔術で再現したモノなのです」
「へぇ、それはスゴい技術力だね……。これは家族写真?」
笑顔のカトリーヌを囲むように、キリリとした顔つきの男性たちが並んでいる一枚だ。
「はい。ジェイドお兄様が王都に赴かれる前に撮りましたのよ」
「この家の人たちのこと、詳しく教えてもらってもいいかな」
それからカトリーヌお嬢様は、フロスト家の人々について教えてくれた。
当主、アルビオン・フロスト。
この世界で初めて召喚術を成功させた、偉大なる元宮廷魔術師。
現在は王都から離れ遠く離れた街、ここフロンタムで魔術を教えているらしい。
長男のフリント・フロストと、次男のジェイド・フロスト。
カトリーヌの年の離れた兄たちで、学問と修行に日々邁進しているエリートだ。
フリントは跡取りして修行中、ジェイドは数年前から王都で魔術研究をしているという。
執事のネイサン・レムジェント。
元ヒーラーとして、アルビオン様が冒険者だった頃からの長い付き合いだそうだ。言葉通り、彼に命を託しているのだとか。
「そして写真中央が私、カトリーヌ・フロストですわ。一人前の氷魔術師を目指しておりますの」
フロスト家は名前の通り、代々氷魔術に秀でた家系らしい。
それでいて召喚術まで確立させたのだから、恐るべしアルビオン様である。
「それともう一人、ロゼッタというメイドがおりますの。ウチに来たのが1年半ほど前なので、この写真には写っていませんが」
「ロゼッタさんなら先ほど会いしましたよ。私の声に最初に気づいてくれて……」
「そうだったのですね! おっとりしているように見えますけど、とても気配りができる方で、いつも助けられていますわ。お料理も上手なのですよ」
話を聞く中で、ひとつの疑問が浮かび上がってくる。
「その、カトリーヌさんのお母さんは……」
「私が幼い頃に、病気で亡くなりましたの」
「そう、だったんですか……。ごめんなさい」
一度気になってしまうと、質問せずにいられないのは悪いクセだ。
「お気になさらないでください。お母様は身体が弱く、自分の寿命を予期していましたから」
寿命を予期――その言い回しに若干の違和感を覚える。
こちらの世界の医療で、そこまで分かるものなのだろうか。
「そのかけがえのない時間を、私のために使ってくださって……大切な思い出ですわ」
「とっても優しいお母さんだったんだね」
「はい! ですから私、寂しいと感じたことはありませんの」
純白の笑顔を咲かせるカトリーヌ。
きっと彼女の優しさは母親譲りで、真面目さは父親譲りなのだろう。
「――着付け、終わりましたわ。動いてみてくださいな」
「ありがとう! わぁ……ヒラヒラだ……!」
ワンピースタイプの服を着るのはいつぶりだろうか。
生地の厚みのせいか、なかなかの重量感があって落ち着かない。
「とてもよく似合っていますわ!」
「へへ、カトリーヌさんが見立ててくれたお陰だよ」
郷に入っては郷に従え。まずは手始めに衣装から。
異世界スタイルを身に纏い、探偵少女:天野川遊理の新生だ。
若返って17歳の身体になったワケだし、少女を自称してもバチは当たるまい。
不意に、扉をノックする音が部屋に響く。
「お嬢様! 失礼いたしますね」
部屋に入ってきたロゼッタの表情は、険しく焦りに満ちたものだった。
イヤな予感が、全身の神経を駆け巡る。
「お二人とも、すぐご主人様の寝室までお越しくださいますか」
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