第4話 異世界召喚は密室の中で

 異世界に召喚された私の前に、血まみれの男が倒れている。


 その傍には血染めのナイフ。


 誰がどう見ても、事件性ありの状況だ。



「どうして、こんなことに…………」



 これも名探偵の宿命なのだろうか。


 どうやら私の巻き込まれ体質は、一度死んだくらいでは治らないらしい。


 第二の人生を慎ましやかに生きよう、という淡い希望は早くも打ち砕かれた。



 ……こんな所で頭を抱えていても仕方がない。 


 気を取り直して、まずは状況確認からだ。



 被害者は銀髪の男性、年齢は50代といったところか。

 西欧風な顔立ちに加えて、立派な鼻髭が威厳を感じさせる。


 黒いローブを纏った姿は、まるで映画の中の魔術師にそっくりだ。


 ……いや、そっくりというか、もしかして…………。


「ホンモノの、魔術師さん……?」


 この部屋の異様な雰囲気といい、床の魔法陣といい、あらゆる状況証拠がその事実を物語っている。



 だとしても、決めつけるのは早計だ。先入観は観察眼を曇らせる。


 冷静になれ天野川遊理。

 まずは確定的な手がかりから、現状把握に努めるんだ。



 私は男の近くまで移動すると、腰をかがめて目を凝らした。



 床に広がった血液は、かなり真新しい状態だ。


 彼が刺されてから、ほとんど時間が経っていないことが伺える。


 私は一縷の望みに賭けて、男の首元に指を添えた。



「…………生きてる!」



 弱々しいが、確かに総頸動脈に反応がある。



 刺された部位が心臓だったら、私のように5分も保たなかっただろう。

 

 しかし、男の創傷は大きいものの、右脇腹の1箇所のみだ。


 幸いなことに肝臓よりも下を刺されたようで、致命傷は免れている。


 出血は激しいが、まだ助かるかもしれない――!



 私は近くにあった布で傷口を覆い、応急手当を施した。


 とはいえ私は一介の探偵だ。医療の知識が豊富なワケではない。


 見様見真似の止血対応では、気休めにしかならないだろう。


 一刻も早く、医術の心得がある者に診てもらう必要がある。



 はたしてこの異世界に、現代医療に匹敵する技術が存在するのか――という疑問はあるけれど、考えていても始まらない。


 私は急ぎ、助けを求めることにした。



 部屋の形状は立方体に近く、その側面のほとんどは棚に覆われている。


 魔法陣は部屋の中央に描かれており、その外側に接するように被害者が、さらに奥側の壁に扉が存在していた。


 この部屋の出入り口は、見る限りその一箇所のみのようだ。



 扉を開けようと、ドアノブに手を伸ばした時だった。



「痛っ…………!?」



 硬い何かに弾かれる感触。


 よく見ると、扉の前にガラスのようなものが張られている。


 いや、扉の前だけではない。壁一面どころか、部屋全体が透明なバリアで覆われているのだ。



 この光の反射度合い、よくよく見るとガラス製ではない気がする。


 ひょっとすると異世界ならではの、私の知らない材質で構成されているのかもしれない――。


 ……って、ゆっくり分析している場合じゃない!



「誰か! 誰かいませんか!? 聞こえたら返事をしてください!」


 扉の向こう側に届くよう、腹の底から声を張り上げる。


 これほどの大声を出すのは、半年前に推しのライブイベントに行った時以来だと思う。結構しんどい。



 扉の向こうから声が聞こえたのは、助けを求め始めてから1分後のことだった。



「気のせい……ではないですよねぇ……?」



 声の主は若い女性のようだ。


 透明なバリアの影響か、声がくぐもって聞こえる。



「あの、ここを開けてください! 中に怪我で重傷の男の人が……! 一刻を争う事態なんです! お願いしますっ!!」


「なんてこと……! お待ちくださいな、すぐフリント様を呼んで参ります」


「ありがとうございます――!」



 私のお礼を待たずして、せわしなく走り去る足音が響く。


 ほどなくして、2人分の足音が近付いてきた。



「本当なのか!? 儀式の間から助けを呼ぶ、聞き覚えのない女の声がしたというのは」


「ええ、ご主人様が重傷だと……」


「分かった。ここは僕に任せてくれ」



 若い男の声が、私に堂々と問いかける。



「そこにいるのか?」


「はい、ここにいます! 中で男の人が刺されていて大変なんです! 扉を早く開けてもらえますか……!?」


「貴様に言われなくてもそのつもりだ。危ないから扉から離れていたまえ!」


 男の忠告に従って、私は部屋の中央まで退いた。


「あまり我が家を傷付けたくはないが、緊急事態とあらば仕方あるまい。父上もお赦しになるだろう」



 彼は自身に言い聞かせるように呟くと、何やら詠唱を開始した。



「灼熱を宿す陽炎、揺蕩を許さぬ氷檻。与え、奪い、その循環に終幕を。――爆ぜろ、氷炎アイスフレイム!」


 少し遅れて轟く爆発音。


 バリア越しでも空気の揺れが伝わってくる。


「くっ……これでも足りないか! 流石は父上の結界、凄まじい強度だ。だが一度で駄目なら、崩れるまで砕くのみ…………!」


 工事現場のような騒音が、幾度か繰り返された頃。


 部屋を覆っていたバリアに亀裂が走り、粉々に飛散した。


「ひゃっ――――!」


 思わず腕で顔を庇ったが、破片は霧のように消えてゆく。


 物理法則を超えた不可思議な現象。あのバリアは、魔法によって生み出された結界なのだろう。



 崩れた扉をどけながら、若い男性とメイド姿の女性が室内に入ってくる。


 男性は眉間のシワが深く、神経質そうなエリート君という印象だ。


 一方メイドさんは、穏やかな癒やし系といった雰囲気を纏っている。



 二人は部屋の中央で倒れている被害者に気が付くと、その元へ駆け寄った。


「…………父上!!」


「ご主人様! 血が、こんなに……!」


 悲痛な声で呼びかける二人。


 私は彼らを落ち着かせるため、手短に状況を伝えた。


「息はありますが、一刻を争う状況です。急いで止血をお願いします!」


「あ、あぁ。止血ならネイサンを呼ばねば――」



「凄い音がしましたが、何があったのですかな?」


 扉のあった場所から、黒服に身を包んだ涼やかな老紳士が顔を出す。


 服装を見るに、この家の執事さんのようだ。被害者の身分の高さが伺える。


「ネイサン、良かった! 急いで来てくれ。父上が刺されて重傷なのだ!」


「なんと! 今そちらに――」



 その時、私の視界の片隅で、メイドがナイフを拾い上げようとしているのが見えた。


「待ってメイドさん! 部屋の物には触れないで!」


 つい、いつものクセで注意喚起を叫んでしまう。


 ここでは私が部外者――いや、侵入者も同然の立場だ。


 できる限りの丁寧口調で、お伺いを立ててみる。


「犯人の痕跡が残されている可能性があります。なるべく物を動かさないように、お願いできますか」


「…………いいだろう。皆、聞いたな?」


「す、すみません……。踏んでしまうと危ないと思って、つい……」


「分かればよろしい。部屋の物には触れずに、父上を速やかに運び出すのだ。ロゼッタ、担架代わりのシーツを持ってきてくれ」


「は、はい、すぐに取って参ります!」


 メイドのロゼッタが、慌ただしく部屋を出ていく。



「では、今すぐ治癒魔法を頼めるか?」


「勿論ですフリント様。このネイサンにお任せくだされ」


 ネイサンと名乗った老執事は、ご主人の腹部に手をかざすと念仏のようなものを唱え始めた。



「――――っ!」


 信じがたい現象を目の当たりして、思わず息を呑む。


 傷口が光を放ちながら、ゆっくりと塞がっていくではないか。


 部分的に自然治癒力を促進させて、超高速で細胞組織を再生させているようだ。



 「魔法」としか考えられない、夢のような現実。


 ここが異世界であることを、強く実感させられる。



 長きに渡る詠唱を終えると、ネイサンは額の汗を拭った。


「ひとまず出血は食い止めましたが、まだ危険な状態ですな。急ぎ輸血の準備をして参ります」


「流石は元回復術士、迅速な対応に感謝する。どうか父上を頼んだぞ」


「……お任せください」


「シーツをお持ちしました!」


 メイドが用意したシーツに主人を乗せると、執事と二人がかりで運び出してゆく。



「…………よし、行ったな」


 彼らの姿が見えなくなると、フリントは私に向かい合った。


 年は20代半ば、セットされた七三分けの銀髪から几帳面さが伺える。

 被害者を父上と呼んでいたから、この家のお坊ちゃまなのだろう。


「僕はフリント・フロスト。貴様、名は何と言う」


「あ、天野川遊理と申します!」


「異世界から召喚されたというのは、本当か?」


「はい。現世で胸を刺されまして、さっき気が付いたらこの部屋に……」


「ふむ…………その黒髪、出身国はどこかね?」


「えぇと、日本生まれ、ですけど……」


 ――日本、といって伝わるのだろうか?


「では、この言葉の続きを知っているか? 可愛い子には――」


「旅をさせよ、ですよね」


 私の解答に目を丸くするフリント。


 私の方も、そんな質問が飛んでくるとは予想していなかった。


 日本人でないと答えるのが難しいが、いったい彼はどこでその諺(ことわざ)を知ったのだろう。


「……合っている。疑って申し訳なかった。貴様が異世界からの廻生者であると認めよう」


「良かった! 分かってもらえて嬉しいです」


「――だが、しかし!」


 フリントは私の額に人差し指を突き付けた。


 それも、まるで拳銃を構えるかのように。


「大人しくしたまえ。怪しい動きを少しでもすれば、氷弾が貴様の脳天を貫くだろう」


「え、ちょっ、えっ!?」


 私は反射的に両手を上げて、無抵抗のポーズを取った。


 怖いよ異世界! ギャング映画並みの物騒さだよ!



「いいか、父上の結界魔術は転移魔法を無効化し、何人たりとも通さないのだ。この僕が力ずくで結界を破壊するまで、儀式の間は出入りが不可能な状態だった」



 あ……この流れ、もしかして…………。


 ミステリオタクとしての血が騒ぐ。



「そして結界の内側にいたのは父上と、召喚された異世界人の2人だけ。であれば単純明快、犯人は明らかではないか?」



 そう、この事件現場は紛れもなく。


 正真正銘の「密室」だったのだ。



「父上を刺すことが出来たのは、貴様のみということだ」

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