第3話 廻生へのカウントダウン

 思い返せば、私の人生は常に事件と共にあった。


 事件に愛されていた――いや、事件にストーカーされていた、といった方が正確かもしれない。



 ゆく先々で事件に巻き込まれ、付いたあだ名は天野川とは真逆の「三途の川」。


 学校では不幸が伝染るからと煙たがられ、孤高の陰キャ道をまっしぐらに歩むこととなった。



 この体質を逆に買われて、嵯峨山探偵事務所でバイトを始めた高校時代。


 事件の方から寄ってくるぞと大喜びする人間は、あとにも先にもあのヘンタイ所長くらいだろう。


 そのまま成り行きで探偵見習いになり、気がつくと稀代の新人探偵と持て囃されていたのだから、人生何が起こるか分かったものじゃない。



 私はただ、自分がここに居ていいんだと証明するために必死だった。



 平穏を脅かす怪事件を、降りかかる災いの数々を、自慢の思考回路で解き明かす。


 それが自分の宿命だと受け容れていたし、責務であると心から信じていた。



 私の不幸に巻き込んだ人々への贖罪として。


 私に幸福を分け与えた人々への報恩として。


 探偵こそが、私の生きる道だと確信していたのだ。



 その道の行き着く場所が、墓場と決まっていたとしても。




 …………それにしたって、早すぎる。



 覚悟はしていたつもりだけど、こんなに早く死神に連れ去られるなんて。


 しかも最悪なことに、奏雨まで巻き込んで。


 未練たらたら垂れ流し状態だよ、こんなの……。




「ようこそ、天野川遊理。あなたは選ばれました」



 突如として、何者かの声が響く。


 頭の中……いや、心の中に直接語りかけられているような感覚。


 それは記憶にないくらい透明で、中性的な声音だった。



「落ち着いて、私の声に心の耳を傾けるのです。意識を集中させて……そうです。さあ、魂の目を開いてご覧なさい」


 言われた通りにイメージすると、光に包まれるようにして、周囲に世界が形作られてゆく。



「ここは……」



 次元の狭間――いや、次元の裏側と呼ぶべきか。


 どこまでも続く宇宙の中の、展望室のような景色。



 そこには、神々しい椅子に腰掛けるひとりの姿があった。



「女神さま…………?」


「いいえ、私は創造主から命を受け、あなた方の世界の管理を任された身に過ぎません。地球の言葉で形容するなら、『天使』となるでしょうか」 


「し、失礼しました、天使さま」


「せっかくなので、ぜひ愛称で呼んでほしいのです。私のことは、親しみを込めてベルとお呼びくださいね」


「承知いたしました……ベルさま」


 ずいぶんとフレンドリーな天使さまだこと。


 どういう距離感で接するのが正解か分からなさすぎて、反射的に依頼人に対するような社会人口調になってしまう。



「この宇宙には、無数の世界が星々のように散らばっています。全能の眼を持つ創造主といえど、全ての世界を導かんとするのは非常に大変なお仕事。そこで我々管理者が、それぞれの担当範囲を決めて魂を導く役目を担っているのですよ」


「天界の皆さんもお忙しいのですね……。いつも本当にお疲れ様です」


「いえいえ、そんな、私など普段は監視をするだけで、暇を持て余しているくらいですから。こうやって魂さんとお喋りするのは珍しいことなのですよ」


「そうなんですか? 私、てっきり彷徨える魂を一人ずつ面接して、天国に行くか地獄に行くかを決めてるのかと……」


「ふふっ、さすがに全員とお話するのは難しいのです。キリがありませんもの。ここは三次元の世界と時間の流れが異なるから、頑張ればできるかもしれませんけれど。天や地への振り分けといったお役目は、さらに下級の者たちにお任せしているのですよ」


 死後の世界でまで見たくなかったよ、社会の縮図。


 キラキラした天使さまが、途端に中間管理職の窓際族に思えてくる。



「それで……こうやって会話をするのは珍しいとのことですけど、えっと…………」


「――どうして自分がこの場に呼ばれたのか、不思議といったご様子ですね」



 微笑みの中に、真剣な眼差しが一瞬煌めいた。



「天野川遊理。あなたは廻生者リンカネイターに選ばれました」



「リンカネイター…………? それって、いわゆる転生者というヤツですか?」


「いいえ、あなた方の世界で語られている輪廻転生リンカネーションとは、少々異なるシステムです。どちらかと言えば、転移に近いものではありますが」


 天使ベルは慣れた手つきで、空中に図を描き始める。


「私の執り行う廻生について、軽く説明をいたしましょう。いきなり本番で放り出すのも申し訳ないですからね」


「ぜ、ぜひ…………お願いします」


「まず、あなたの魂は、これから異世界に送られます。銀河系の地球とは異なる、別の世界『ガラシア』……しかしその風景は、地球とよく似ている。あなたも一目見れば、そう思うはずです」


「地球とそっくりの、異世界……」


「ガラシアは無数に散在する世界の中でも、銀河系のお隣に位置する世界、つまりご近所さんなのです。と言いましても、十次元でのお話ですが」


 ……ちょっと話の次元が高すぎるんですけど。


「ガラシアのことは、あり得たかもしれない、別の歴史を辿った地球と思ってくださいな」



 スケールが凄まじいことになってきた……。


 まあ、超ひも理論や多世界解釈的なものだと思えば、地球によく似た異世界があっても不思議ではないかもしれない。


 宇宙人の住むような異なる環境の星に飛ばされないだけ、ラッキーと捉えるべきか。


 こういう事態を受け入れられるのは、中学時代に奏雨から布教されたSFを少々嗜んでいたお陰かも。


 奏雨、こういう話題が大好きだったからな……。



 ふと脳裏をよぎるのは、死の間際に見た彼女の貌。



 あと少し判断が早ければ、別の未来があったかもしれない。

 他の結末に辿り着いていたかもしれない。


 悔やんでも何も変わらない類の後悔は、悩むだけ時間の無駄だと割り切って生きてきた。


 スライム並みのメンタルと適応力で、どんな不運も不幸も受け流しながら乗り越えてきた。


 ……自分では、そのつもりだったんだ。



 でもその結果が、このザマだ。



 私を明るい場所に連れ出してくれた大切な人を、巻き込んで、喪って。


 何もかも、命すらも終わらせてしまった。



 きっと私は、この後悔を、この先も一生抱えていくのだろう。


 転生したとしても、首に鎖で繋いで引きずってゆくのだ。



 そんな私のネガティブ思考を見透かすかのように、天使ベルは告げた。



「天野川遊理、その後悔を決して忘れないでください。魂に刻まれた強い想いが、廻生者の力となるのです。私は、それを廻生スキルと呼んでいます」


「廻生スキル……魂の、想いの力…………」


「再び目覚めた世界で、想いが強く呼び醒まされた時、あなたはその力を一端を知るでしょう。あなただけの、あなたのための異能の力。その力と向き合い、いつか後悔に打ち克てることを願っていますよ」


「ありがとう……ございます…………!」



 なんという僥倖。


 まさしく天からの贈り物ギフトだ。


 私の魂に刻まれた廻生スキル、いったいどんな能力なんだろうか。



 絶望で暗く塗り潰されていた心に、希望の光が灯される。



「おっと! 最後にひとつ、お伝えしておく情報があるのを忘れていました」


「…………え、な、何でしょうか」


「廻生の際には、あなたの魂のエネルギーを一部使用させていただきます。年齢にして、ちょうど10年分。あなたは10歳若返った姿で、異世界に再構築されることになります。世界の次元を超えるため、やむを得ずの副作用なのですが……問題ありませんでしょうか?」


「え? 若返る!? ……はい! 全然! 大丈夫です! ありがとうございます!!」



 なんとまあ、夢のような話だろうか。


 アラサー限界ボディから、JK時代のフレッシュな肉体に戻れるなんて。


 猫背、肩凝りともおさらばできるかな。いや……猫背は元からだったっけ。



 年を取るなら泣き寝入り待ったなしだったが、減る分には断る理由などない。


 ……そんなガキンチョ名探偵みたいな若返り、あっていいんだ!



「さあ、それでは旅立ちの時間です。心の準備はできましたか?」


「はいっ、バッチリです。お願いします!」


「それでは、いってらっしゃい――――」



 絶望のドン底から、幸運にも拾い上げてもらったこの魂。


 異世界での第二の人生では、命を大事に慎ましく生きていこう。



 きっとそれが、私のために命を張ってくれた奏雨への、せめてもの罪滅ぼしになるから――。



 光の渦の中に吸い込まれていくような感覚。


 私はその流れに逆らうことなく、導かれるままに揺蕩うのであった。




 それから、どれくらいの時間が経過したのだろうか。


 その瞬間は不意に訪れた。



 意識が世界に繋ぎ止められ、肉体が形作られていくのが分かる。


 神経に接続される触覚、嗅覚、味覚、聴覚、そして視覚。


 灰色の脳細胞が、二度目の産声を上げるように。

 刻み始める心臓の拍動。唸る思考回路。


 10年前の状態で再構築が完了した。



 私、天野川遊理は、異世界への廻生を果たしたのであった。



「――――って、寒っ!!」



 床の冷たさを直に感じると思ったら、どうやら一糸まとわぬ姿で召喚されたらしい。


 強制的に生まれたままの姿にされてしまうとは、なんと恐ろしく合理的なシステムか。



 何か身にまとえる物はないかと、寝ぼけ眼で周囲を見渡してみる。


 足元に描かれた模様…………これは、俗に言う魔法陣だろうか。実物を見るのは初めてだ。


 体をよじって仰向けにすると、天井近くで蠟燭の明かりが揺れているのが見える。


 そして、部屋の壁を覆うように置かれた大棚。石やら骨やら禍々しいオーラを放つ代物で埋まってる。


 恐らくこの部屋は、魔術的な儀式を行うための空間なのだろう。


 いかにも異世界らしい、ファンタジー感の溢れる内装だ。



 ――――その時だった。


 私の鼻に、馴染みのある匂いが突き刺さったのは。



 お香や薬品の匂いの中に混ざっているが、この特徴的な鉄錆臭は。



 ……間違いない。これは、血の匂いだ。




 慌てて上体を起こすと、目に飛び込んできたのは。



 紅く染まった悪趣味なデザインのナイフ。


 そして、脇腹から血を流して倒れている男の姿。



 ――事件は、すでに始まっていたのだった。

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