第1章 召喚師密室呪刻事件

第1話 惨劇への招待状

 心臓を刺されたのは、生まれて初めての経験で。 


 そしてきっと、これが人生最期の体験になるだろう。



 私、天野川遊理は、齢二十七にして訪れた「終わり」を理解した。


 

 刃を引き抜かれた傷口からバカみたいに血が噴き出して、視界が眩む。


 まるで杭を撃ち込まれたように、身体に力が入らない。



 許容を超えた痛みの中で、あてどなく思考が空回る。



 どうして、こんな事態になってしまったのか。


 いったい私は、どこで選択を誤ったのか。


 

 最初の致命的なミスは、この館への招待を断り切れなかったことだろう――。





 常夜とこよ島。地図から忘れ去られた、日本海に浮かぶ小さな離島。


 その中央に建てられた唯一の建築物、「和巽わたつみ館」。



 私と奏雨かなめの元に、和巽館への招待状が届いたのは、3ヶ月前のことだった。



「新時代を切り拓くパーティーへのご招待。異なる分野の専門家との交流によって、新たな刺激が得られることをお約束いたします――ですって。遊理、これどう思う?」


「十中八九詐欺だね。開催場所が孤島だなんて、主催者の神経を疑うよ。良くて人質、悪くて死体。最悪の場合、海の向こうで脳ミソごと機械に繋がれるオチかも」


「それは探偵としての推理? それとも単なる勘?」


「強いて言えば……ミステリオタクとしての予感かな」


「それは予感というより妄想の域ね」


 そう言って、奏雨はピンクブラウンの前髪を掻き上げた。


 ウェーブがかった横髪に次いで、低い位置で短く結ったポニーテールが揺れる。



 自信に満ち溢れた陽の者のオーラが眩しくて、私は思わず目を細めた。直視したら失明しかねない。



 千明奏雨ちあき かなめは宇宙物理学者だ。


 最近博士号をストレートで取得し、その分野では話題の若きサイエンティストである。


 イケイケなリケジョ。私とは真逆の属性持ちと言えよう。



 しかし――これは偶然か、それとも必然か。


 パーティーの主催者は、私たちを探偵と物理学者という異なる分野から、それぞれ天才として選んだらしかった。



 奏雨は私にとって、一番身近な「天才」だ。


 

 中高一貫の名門女子校において、彼女は学年1位の座を一度たりとも譲ることはなかった。


 ちなみに学年2位はこの私、天野川遊理の定位置だ。今でもちょっと悔しい。



 でも、コツコツ真面目に勉強していた私と違って、奏雨は教科書や参考書に軽く目を通していただけだ。


 一を聞いて十を知るスタイルで、「知の体系」としての学問を我が物としていた。それも、無自覚に。



 私たちは半生を共に歩いてきたけれど、その間に横たわるモノについては、まだ理解及ばずというのが現状である。



 この日も私は、怪しさ満点の招待状に目を輝かせる「天才」に、まるで共感できずにいた。



「――まさか奏雨、行くつもり?」


「もちろん。ちょうど予定も空いてる時期だし、交通費も出してくれるみたいだし。旅行のチャンスは逃すべからず、よね」


「いやいやいや、そんな旅行気分で行くような所じゃないって! 孤島の館と言えばクローズド・サークルの定番。話の通じない天才たちと、険悪なムードで食事を共にするのが目に浮かぶよ。嵐の夜にひとり、またひとりと殺されて、そして誰もいなくなるんだ。……ね? ゼッタイやめといた方がいいって!」


「なに? 怖いの?」


「ちが……別に……私はただ、心配で…………」


「ふーん、ありがと。でも、あなたにそこまで言われると、余計に気になってきちゃったなー。あたしは行くからね。答え合わせのためにも」


 

 そんな風に無茶を言って、よく彼女は私を困らせる。


 

 どこまでも自由で、暢気のんきで、強引で。


 未知を愛し、探求のために生きる、根っからの研究者。


 奏雨の好奇心を止められるモノなど、きっとこの世界に存在しないだろう。


 

「あとは遊理の返事待ちよ。イエスかヤーか、それともウイか、選んで頂戴」


 どうやら私には、否定の選択肢は用意されていないらしい。


「本気……? 私の体質、知ってるでしょ? 今回のは、その辺のお出かけとは話が違う。何が起きてもおかしくないって」


「いいの。気にしないで。あたしが、遊理と行きたいんだから」


「でも………………」


「お願い、一緒に来て」


 ズルいよ――と喉元まで出かかった言葉を、バレないように呑み込む。


 私が奏雨の誘いを断れないことを、彼女はよく心得ていた。


 そこで折れるのも、やっぱり私の役目だ。



「………………わかった。行けばいいんでしょう、行けば」


「ふふっ、そうこなくっちゃ!」



 どうして私みたいな捻くれ者に構ってくれるのか、いつも疑問に思う。


 陰キャと陽キャ、性格も価値観もまるで異なっているのに、奏雨は私との時間を手放さなかった。


 彼女と出逢った中学時代から現在に至るまで、その謎は深まるばかりだ。


 もしかしたら、私の「死神体質」すらも研究対象なのかもしれない。



 でも――それならそれで、悪い気はしなかった。



 奏雨はいつだって、私に知らない世界を見させてくれるから。



「でも、遠出かぁ…………もう気が重くなってきたんだけど。オンライン参加はできないの?」


「世の中ね、何でもインターネットで完結すると思ったら大間違いよ。あなたの探偵稼業だって、所長さんが全国を駆けずり回ってるからこそ、成り立ってるのを忘れないであげて」


「それは……仰るとおりです」



 私の一生分のワガママで、足を使った捜査は探偵事務所の所長に丸投げしている。


 私は頭脳労働専門なので、情報さえ揃えばオンラインで事足りるのだ。便利な時代に感謝が尽きない。



「遊理は私が面倒見に来ないと、すぐ布団の中でカビが生えるものね。安楽椅子探偵ならぬ、毛布探偵さん?」


「人をキノコみたいに言わないでよ。これでも週に一度くらいは、外の世界に出るよう努力してるんだからさ」


「自分の足で光合成してるんだ! 偉いね〜」


「あー、うざ……」



 そうして私たちは、他愛のない会話を交わして日常へと戻っていった。


 非日常への招待状のことなど、数日前まで記憶から抜け落ちていたくらいだ。奏雨がリマインドしてくれなければ危ないところだった。



 そして今日、私と奏雨は常夜島の和巽館に足を踏み入れた。


 ――イヤな予感が全部、ただの予感で済みますようにと願いながら。




 結果的に、私の予感は1つだけ的中し、それ以外は全てハズれることとなった。


 それも、想像の遥か斜め上をゆく最悪な形で。



 ひとつ、常夜島に嵐は来なかった。


 心地の良い海風が頬を撫で、私たちは束の間のリゾート気分を楽しんだ。



 ふたつ、常夜島はクローズド・サークルとはならなかった。


 電話線が切れることもなく、いつでもモーターボートで帰還することができる状態だった。



 みっつ、招待された若き天才たちは皆、謙虚で物腰が柔らかかった。


 分野の異なるプロフェッショナルな話に花が咲き、私たちは最期の晩餐を満喫した。



 よっつ、探偵の出番が訪れることはなかった。


 ひとり、またひとりと殺されることもなく、姿の見えない殺人鬼に怯えながら、疑心暗鬼に陥る展開にはならなかった。



 しかし、それでも私の予感通りに。


 常夜島に到着した初日の夜、惨劇は容赦なく幕を開けた。



「なに…………これ………………」



 なぜ――実際に起こる事件が、ミステリのお約束を守ってくれるなどと甘い夢を見ていたのだろう。



 脳神経内科医の臨床神経心理士。


 AIを自在に操る数学者兼プログラマー。


 金属工学の技術を極めた発明家。


 世界中の遺跡を股にかける文化人類学者。


 電気通信の常識を拡張した研究技師。 



 館に招かれた5人の天才たちは、折り重なるようにして倒れていた。



 ある者は首を、ある者は腹を、ある者は心臓を。


 鋭利な刃物で切り裂かれ、全員が確かに絶命していた。



「ウソ、でしょ………………」



 犯人は、推理するまでもなく明らかだった。



 残された招待客は2人のみ。


 1人は私、天野川遊理。もう1人である奏雨は、私の後ろで惨状に打ち震えている。



 そして、私たちの眼の前に立ちはだかる、血染めの刃物を持った謎の人物。



 白地に謎の模様が描かれた、無機質で気味の悪い仮面で顔が見えない。


 体のラインからして女性のようだが、かなり鍛えているようだ。


 真新しい返り血が、作り物のように紅く花弁を描いていた。



 招かれざる客か、あるいはこのパーティーの主催者か。



 彼女が犯人であることは、もはや誰の目から見ても明白だった。



 そう――気づいた時には、すでに惨劇は最終局面を迎えていたのである。

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