解決編⑥ 夜明け、そして追憶

 近くの雑木林に逃げ込んでから数分が経過した。


 見通しの悪さのお陰で、ランドル氏の追跡から一時的に逃れることができている。


「はぁ、はぁ…………もう、走れない…………」


 息切れ状態の私に、ケイが小声で耳打ちする。


「一旦木陰に隠れましょう。ここでなら闘えますわ」


「オーケー。ちょっと休ませてもらうよ……」


 腰を下ろした途端、足の筋肉が痛みで震え出す。


 私の情けない姿を見て、マヤが不安そうに尋ねた。


「本当に勝算はあるのよね?」


「大丈夫、私たちを信じなさいって。作戦は伝えた通りだから。タイミングよろしくね、二人とも」




「お嬢さんたちや〜! 早く戻ってきなさい。今ならまだ追加のお代は取らんからのう」


 数十メートル後方から、大きな声で呼びかけるのが聞こえる。


 折れた枝を追っているのか、はたまた風の流れを読んでいるのか。


 私たちの姿を見失っているはずなのに、目指す方角に迷いがないのが恐ろしい。



「それじゃ、作戦開始!」


 木陰に隠れながら、それぞれ決められた位置へと移動する。

 準備が整った頃、ターゲットが視界内に現れた。


「ほれ、近くにいるのは分かっとるんじゃぞ。大人しく顔を見せんかい」


「…………こ、降参するわ! もう逃げません!」


 怯えた様子で茂みから顔を出すマヤ。


 女優もビックリの自然な演技だ。


 さすがペテン師、嘘に一切の躊躇いがない。


「だからお願い、命だけは…………」


「他の二人はどこかね。ええ?」


「そ、それは……その…………」


「いいからはよ答えんかいッ!」



「お断りよ――ッ!!」


 突如マヤが投げ付けたのは、例の証拠品。


 毒の入っていたガラスの小瓶だ。


「行儀が悪い娘じゃな!」


 ランドル氏は、右手に構えた魔法の杖を振り上げる。


 風刃魔術を放つために、杖の先端をバリアの外へ出した――その刹那。



「うおおおおおぉっ!」


 私は、標的から見て横側の木陰から飛び出した。


 マヤと小瓶、そして私の位置をランドル氏の目が追いかける。


 人間の周辺視野角は200度。

 3つの標的を同時に視認しようとすれば、自然と首の向きが定まる。


 結界による生命探知が使えない雑木林では、背後に隙が生じるのは避けられない――!



「穿て、雹弾《アイス・バレット》!」



 放たれる氷の弾丸。


 標的の背後から一直線に空を裂き。


 狙うは杖の先端部、風を司る魔法石だ。



「なぬっ――――!?」



 弾の温度はマイナス100度以下。


 そのモース硬度はエメラルドにも匹敵する。


 氷魔術は、絶対零度に迫るほど強固な一撃となるのだ。



 雹弾が命中した魔法石が、杖の先から砕けて落ちてゆく。


 これで厄介な風刃魔術は精度を削がれた。とはいえ杖無しでも魔術は行使できる。


 私は警戒を緩めることなく、全速力でランドル氏へ駆け寄った。


「ええい、小癪な!」


 吹き乱れる旋風。竜巻が渦を巻いて襲いかかる。


 狙い澄ましたような正確さはないが、周囲一帯を巻き込む荒業だ。


 飲み込まれでもしたら、ただでは済まない。


「包め、氷霧《ダイヤモンド・ダスト》!」


 ケイの細氷魔術が煌めき、竜巻を覆う。


 旋風を生み出した上昇気流を、温度低下で打ち消したのだ。


「ならば……これでどうじゃ!」


 ランドル氏はバリア越しに風刃を生み出すと、私を指差して狙いを定めた。


 そこに灯される深紅の焔。


 風刃魔術と火炎魔術の併せ技――高位魔術師にのみ許された領域だ。



ほとばしれ、劫火颶刃《インフェルノ・スウィッシュ》よ!」



 局所的な気圧差による斬れ味に加えて、高温の炎が施されてしまっては、氷霧でも止められない。

 火属性の適性クラス:Cでは、人を焼き殺せないと弁明していたのは何だったのか。



「ユーリ! 避けて――」



 ケイの声が聞こえるより早く。


 私の意識は「ギア」を上げていた。



 能力:神経侵犯ニューロハック、発動。


 第一段階ファーストステージ解放アンロック


 対象:天野川遊理。


 効果:思考加速アクセルブレイン、実行。



 神経を倍速で駆け巡る電気信号。


 思考が、意識が、処理速度を増してゆく。


 反比例するように、世界の流れが遅く感じられて。


 眼の前に迫る焔の風刃、その軌跡さえもが明瞭に視認できる。


 超集中ゾーンに突入すれば、どう避けるのが最適解か精査を重ねて結論づけるのは容易い。


 研ぎ澄まされた反射神経と、心の余裕が導く超演算思考。



 しかしながら高速移動ができるワケではない。


 己の運動能力の限界は超えられない。


 最低限の動きで、最善の結果を手繰り寄せんだ――!


 私は懐から、秘密兵器を抜いて構えた。


 ケイから託された、曰く付きの呪いのナイフだ。



「そこだ――――!」



 割れて霧消する炎の風刃。


 私の身体が焼き切られてしまう前に。


 魔術の刃を、呪術の小刀で斬り伏せたのだ。


「なんじゃと? ワシの奥義を、ナイフごときで……!?」


 老魔術師の疑惑の眼差しは、次第に驚愕へと染まっていく。


「まさか……その得物、《魔素喰らい》かッ!?」


「だとしたら、どうする!?」


 私はランドル氏の目前まで詰め寄り、そのナイフを多重バリアに突き立てた。



 ケイの氷魔術でも砕けなかった防護結界魔術。


 その表面に、亀裂が走る。


 ――否、亀裂ではない。まるで腐蝕だ。


 ナイフの刃先が触れた位置から、バリアが食い散らかされるように融けていく。



「ぬおおおおおッ!!」


 結界を失ったランドル氏の胸ぐらを掴んで引きずり出す。


 首にかけられた魔法石のネックレス。膨大なマナの供給源。


 私はその表面を刃先でなぞるように削り取った。



 12個の魔法石は一瞬輝きを増すと、塵へと姿を変えていく。


 その塵は、ナイフに纏わりつきながら、次第に薄れて見えなくなった。



「あなたの体に残っている魔素、コレで吸い出すこともできますけど――どうします?」


「…………降参じゃ。煮るなり焼くなり好きにせい」


「じゃあ、冷凍保存で」


 私の合図と共に、ランドル氏の両手両足は氷漬けとなった。


 王国騎士団に引き渡すまでは、これで十分保つだろう。凍傷にならないことを祈るばかりだ。



 禁制呪具、魔素喰らい《マナ・デヴォレイター》。


 魔王軍の黒魔術師が生み出したとされる、いまだ謎多きオーパーツだ。


 このナイフの切っ先は、あらゆる魔素を吸収し異空間に貯蔵する。


 故に、魔術によって生成された物であれば、その組成ごと崩壊させる性質を有するのだ。



 とはいえ竜巻のような広範囲攻撃だと、「解体」に時間がかかる上、私の《神経侵犯ニューロハック》を以てしても接近すること自体が危ない。


 そのためケイの氷の魔術で、比較的解体しやすい風刃を誘発させたというワケである。


 それでもギリギリ、紙一重の勝利だった。恐るべし、高位魔術師。



「はぁ…………死ぬかと思った…………」


「それは私のセリフです! ユーリったら、また無茶な作戦で突撃して……。こんなゴリ押しでは命がいくつあっても足りませんわ!」


「ごめんって…………。でも勝算があったからこそリスクを取ったワケでして。ケイも、マヤも、やってくれるって信じてたからさ。ね?」


「もっと賢い人かと思ってたけど、あんた相当バカね」


「あら、マヤ様。初めて意見が一致しましたわね」


「うぅ…………二人とも手厳しい…………」


「だってそうでしょ、さっきまでバチバチにやり合ってた相手に命預けるなんて、どうかしてるわよ。私が裏切って逃げ出すかもとは思わなかったの?」


「まあね。私の見立てでは、マヤは法を破る極悪人だけど、依頼人との約束は破らない人だと思ったから。そのプライドの高さに賭けさせていただきました」


「あっそ、勝手に言ってなさい」


「じゃあ一件落着ってことで、一応身柄を拘束させてもらうね」


「チッ…………抜け目のないヤツ」


 今、舌打ちされましたよね、私。



「そう言えば気になってたんだけど、マヤってのは本名?」


「――何原 摩耶イズハラ マヤ。あなたと同じ日本出身よ」


「やっぱり! で、こっちに召喚されたのは何年前です?」


「それを聞いてどうするの? ……確か、6年前のはずよ」


 ということは、第二期廻生者セカンド・リンカネイターの1人か。


 戦闘能力がない様子からしても、魔王討伐作戦に参加しなかった待機組だったのだろう。


 最近召喚されたのでないなら、私の求めている情報については何も知らなさそうだ。


「――で、鑑定スキルがあるって言ってたの、あれウソですよね。本当のスキル、教えてくれます?」


「は!? それはヒミツよ。なんであんたなんかに奥の手を教えないといけないワケ? 調子に乗らないで」


 流れで聞き出せるかも……という儚い希望は、キレ散らかされて消えてしまった。


「でも、もしまた会うことがあったら、その時に見せてあげてもいいわよ。きっとギャフンと言わせてやるから」


「へぇ~…………それは楽しみですね」


 表情筋が若干引き攣るのを感じる。


 私怨での復讐は、もうコリゴリだよ~!


「それにしても、あなたの計画に巻き込まれたのは不幸中の幸いだったかも。私の名前を使って悪事を重ねられてたら、死んじゃうところでしたもん」


「死ぬだなんて大袈裟ね。風評被害で人は死なないわよ」


 どの口がそれを言ってるんだ、というツッコミは置いておいて。


「そうじゃなくて、殺されるんですよ。私を狙っているヤツらに」


 こちらの世界に来てから約2ヶ月。


 異世界初の探偵稼業となれば、危険な連中に噂が届くには充分な期間だ。


 ……いや、初日の事件から目を付けられてた気もするけど。



 そんな私の思考を遮るように、ケイが震える声で小さく叫んだ。


「ユーリ! あちらを……!」


 お嬢様の示した方角に目を凝らす。


 夜明けの陽光に照らされて、大きく伸びた森の影に紛れるように、それらは居た。



「噂をすれば何とやら……ってヤツ?」



 ひとり、ふたり、さんにん、よにん。


 人相の悪い男共が、こちらへ向かって歩いてくる。



 恐らく私たちの追っている組織の構成員。


 デヴァンテ氏の、魔法石の取り引き相手。


 そして、私の命と秘密兵器を狙う追跡者。



 ――革命連合《エクリプス》の者たちだ。



「本当に、あのフザけた格好の女が?」


「ああ、例のタンテイだ。人相書きより目つきが悪いが、間違いねえ」


 失礼な一言を耳にして、眉間のシワがさらに深まる。


 でも事実ゆえ、言い返せないのが悔しいところだ。



「そっちから迎えに来てくれるなんて思わなかったよ」



 取り引き場所の惨状を見て、わざわざ森の中まで様子を確認しに来たのだろう。


 もはや宿屋で待ち伏せをするプランには戻れない。


 こうなったら、アドリブで乗り切るしか――。



 そう覚悟を決めた、私の視界に。


 逆光の中から、5人目の影が現れた。



 朝陽に照らされたその姿は紛れもなく。


 魂に刻まれた運命の日の記憶のままで。



 ……ああ、フラッシュバックする。



 私が「現世」で目にした最期の光景。



 忘れるものかと胸に誓った、あの仮面。


 私の命を奪った、忌々しい殺人鬼の象徴。



 それを身に着けた「彼女」が、立っていた。




 …………やっと、ようやく、逢えた。




「捜してたんだよ、キミのこと――!」




 予期せぬ邂逅が、私の意識を巻き戻す。



 そう――あの日、あの島で起きた惨劇の記憶まで。



 全てが終わり、そして全てが始まった運命の刻へと――――。

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