解決編⑤ 息の根の止め方

「うぐ、グガぁ…………っ!」


 リオの全身が痙攣する。呼吸が思うようにできない様子だ。


 これは酸欠の症状……いや、顔面が膨張している⁉



 間違いない。この結界内部で起きているのは、「減圧」だ。


 頭部を結界に閉じ込め、風魔術で真空状態に近づけることで窒息させている――!



 哀れな男が白目を剥いて昏倒するまで、わずか十秒の出来事だった。



「息の根はな、こうやって止めるんじゃよ」



 老魔術師の瞳に、もはや感情は微塵もなく。


 伽藍洞の心から、死の香りが漂い始めていた。



「物陰に隠れて!」


 私の号令より早くケイとマヤは動き出していた。


 机を横倒しにして、その裏側に身を潜める。



 あの小結界の形成は、例によって目視が条件だろう。


 一定時間同じ位置に頭を留めると、リオの二の舞は確実だ。


 遮蔽物に隠れながら、ご乱心の高位魔術師を無力化しなければならない。


 洗練された殺しの手口。これは余罪ありと見た。


 この異世界、野生の殺人犯との遭遇率が高くて非常に困る。命がいくつあっても足りないよ!



「散れ――氷嵐《アイス・ストーム》!」


 ケイの詠唱により、氷晶が吹き荒れる。


 氷が円錐形をしているのは、風魔術の妨害を受けにくくするためか。


 流体力学的に理にかなった解を感覚で導き出しているのだから、流石は上位魔術師の卵だ。



 杖を構えている右腕を凍結させて、魔術の自由を奪うことができれば……。



 ――しかし、淡い希望は容易く崩れ去った。



「無駄じゃよ、お嬢さん」



 硬い音を響かせて、床に落ちていく氷晶たち。


 ランドル氏の防護結界に弾かれたのだ。


 360度、全方向死角なしの球状バリア。その硬度は氷以上と思われる。


「多層構造……しかも層の間に風魔術で緩衝効果を付与、ですって⁉ あんな構造、長くは維持できないはずですのに……」


「ほっほっほ。デヴァンテ君の置き土産、遠慮なく使わせてもらうとするかの」


 ランドル氏は、首にかけていたネックレスを上着の外側に引っ張り出した。


「――――っ!」


 揃って息を呑む私たち。


 ネックレスには、翠玉色と銀色の魔法石がじゃらりと並んでいた。その数、合わせて12個。


 結界術と風魔術を同時使用し続けても余りある、膨大な量の魔素を供給できる量だ。


「持久戦では勝ち目がありませんわね……。無理矢理バリアをこじ開けるにしても、物理特化の攻撃手段が必要です」


「うーん、あの子を偵察に行かせたのはマズかったかな…………ひゃぁっ!」



 首筋に違和感を覚えて飛び退く。


 そこには、例の小結界が形成されていた。


 結界が閉じる前に逃げられたので良かったが、あと少し遅れていたら頭部を固定されていただろう。


「こちらの位置が筒抜けじゃない! どうするの!?」


 顔面蒼白のマヤが叫ぶ。


「……宿屋を覆っている結界の影響ですわ。出入り口で機能していた生命体の検知術式が、結界内部全域に拡張されています!」


「宿屋内は管理人の手の内ってことね。じゃあ外に逃げよう! 急いで!!」


 こうなれば、戦略的撤退あるのみだ。


 3人同時に、宿屋の出入り口へと全速力で駆け出す。


 なけなしのスタミナが悲鳴を上げるが、立ち止まってはいられない。


 こちらの世界に来てから、だいぶ足腰は鍛えられたはず。


 コミケダッシュを諦めていた頃の私とはおさらばだ――!



「宿泊費が未払いじゃよ、お客人」


「きゃぁッ――――!」


 悲鳴と共に、床へ倒れ込むマヤ。


 見ると、ふくらはぎに横一閃の切傷ができている。


「何なのよ、これ……!」


風刃魔術ウィンド・カッター……いいえ、結界術との合わせ技です!」


 風刃魔術といえば、Aクラスの風魔法だと聞いている。


 鋭い旋風によって局所的に気圧差を生み出し、対象を斬りつける術だ。


 ランドル氏は、そこに刃型の結界を乗せることで、さらに切れ味を上げているってこと……?


 そんな芸当が可能だとは信じがたいが、助手の「右眼」が捉えたのであれば、きっと確かなのだろう。



「床を汚したくはないんじゃ。血の掃除は面倒だからの……」


 多重防壁を纏いながら、ゆっくりと距離を詰めるランドル氏。


 杖の先端のみを結界の外に出し、風刃のコントロール精度を高めているらしい。


 このご老人、ターゲットの動きを止めて確実に頭部を結界で包む狙いだろう。もはや狩りの領域だ。


 いよいよもって、風刃結界術の精度と威力が下がる距離まで、一旦退避するしかない。だが、この状況では……。


「ケイ、ガードお願い!」


「やっていますわ!」


 氷の障壁を点々と生成するケイ。風刃によって生じる気圧の変化を読んで、ピンポイントで攻撃を凍らせていく。


「足の腱は……大丈夫そうだね。ほら走るよ、ニセモノさん!」


「置いて、行かないの? 助ける義理なんてないのに…………」


「せっかく悪事を暴いた相手が、裁かれる前に死なれちゃ気分悪いですから」


「……やっぱ性格悪いわよ、あんた」


「知ってる。これも同郷のよしみってことで。さあ、行くよ――!」


 マヤの手を引き、立ち上がらせる。


 私たちは宿屋の出入り口を目指して進み続けた。 



 風刃魔術の猛攻を潜り抜け、命からがら正面扉まで辿り着く。


 ここから出られれば、きっと反撃の機会もあるはず――。



「………………あ、れ?」


「開かないわよ!? 鍵は空いてるのに、外に何か突っかかってるみたい……!」


 ケイが「右眼」を光らせ、魔術の痕跡をスキャンする。


「宿屋全体を包む結界の特性が、書き換えられている……? 物理も魔法も通さない防護結界になっていますわ!」


「どうするのよ探偵さん、このままじゃ袋のネズミだわ!」


「待って、たぶんここに…………」


 加速させた思考で、導き出した解。


 私の読みが正しければ、恐らく――。


「あった! 銀の魔法石!」


 宿屋の隅に当たる位置に、密かに魔法石が仕掛けられていた。



 この宿屋の結界は、普段はセキュリティ用として機能していた。


 その用途は制限され省エネモードではあるが、これだけ大規模な結界を維持し続けるには相応の魔素が必要となる。


 そもそも大きな結界は、目視で形成するのが不可能に近い。

 四隅の位置を定め、遠隔で術式を発動させるための「要石」が必要なのだ。


 膨大な魔素を供給でき、結界の座標を定める物となれば、銀の魔法石の他にない。


 セキュリティ上の観点から、魔法石は盗まれないように結界の内側に配置されていると推理したが――ビンゴだったみたいだ。



 私は懐から護身用のナイフ《マナ・デヴォレイター》を取り出すと、その力をお借りして一思いに叩きつけた。


「どりゃあ!」


 放射状にひび割れ、砕け散る魔法石。


 硬い宝石ほど、意外と割れやすいものである。


「結界が消えました!」


「扉も開いたわ! 急ぐわよ!」


 背後から迫るランドル氏の追撃を、ケイの魔術で防ぎながら。


 私たち3人は、宿屋《ペルティカ》からの脱出に成功したのだった。



 夜明けの刻は、すぐそこまで近付いていた。

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