解決編③ Light on Fire
「先ほど私は、事件現場に第二の酒が存在したことを証明しました。糖が含まれた甘酸っぱい香りのお酒です。無味無臭のウォッカより、毒を混ぜるのには適していたでしょうね」
リオの周りをゆっくりと回りながら、私は滑舌に気を付けて話を続ける。
油断するとオタク特有の早口になりかねない。
「それでは犯人の取った行動について、順を追って説明します。犯人は酒瓶を持って、被害者の部屋を訪れました。酒飲みの被害者のことです。警戒心が薄れていたのか、はたまた拒む理由がなかったのか、犯人を部屋に招き入れてしまった。それから犯人は、被害者の目の前で酒を注いで飲んでみせたのだと思われます。犯人には毒を飲まない確信があった。何故なら、毒を操作できたからです」
「毒の操作……じゃと?」
「厳密には、酒の中の毒の混入位置の操作です。犯人は、毒を水のカプセルで包みこんで、酒全体に溶け出さないようにしたんですよ」
毒を混ぜた水の球体の、さらに外側に水の層を形成する。その間に空気の層があれば、一時的に毒の拡散を防ぐことが可能だ。
「この方法であれば、怪しまれずに対面で毒を盛ることができます。水属性の魔法適性があるリオ様、あなたにしかできないトリックです」
「ハッハハハ! なんだそりゃ!!」
腹を抱えて身をよじるリオ。
だが、その瞳は真剣そのものだ。
「水魔術で毒をコーティング? よくそんな手品を思いつくなぁ。……で、俺がやった証拠はあるのかよ?」
「これに関しては…………ないです」
「ないんかい!」
ボロを出してくれたらラッキーだったのだが、そう甘くはないのが現実である。
実のところ、お嬢様の氷魔術やランドル氏の結界術でも同様のトリックは実現可能だ。
ゆえにこの揺さぶりは決定打にならない。せいぜい挨拶代わりのジャブ止まりだろう。
しかし、油断を誘った直後に叩き込む、本命の一撃は痛烈だ。
「犯行に使われた第二の酒。この手がかりから、さらに推理を広げてみます。犯人は、なぜウォッカとは別のお酒を選んだのでしょうか?」
被害者が部屋に持ち込んだ酒と同じものを使用すれば、第二の酒の痕跡を残さずに済む。
対面での毒殺を疑われないようにするには、それが最善手のはずだ。
「これは犯人にとって、想定外の事態だったのだと思います。犯行で使用するつもりだったウォッカが、被害者に飲まれて在庫が尽きてしまっていたのです」
「そうじゃった! デヴァンテ君、強い酒ばかり飲むもんだから……」
「死体を燃やすためには、アルコール濃度の高い酒が必要でした。しかしウォッカを始めとした燃えやすい蒸留酒は、すべて宿泊中のデヴァンテ氏に飲み尽くされてしまった。やむを得ず犯人は、コレクションに残されたボトルから、代わりとしてリキュール系の酒を盗み出したと考えられます」
甘酸っぱいベリーの香りと焦げ付いた糖分。
現場に残された痕跡が、リキュールの存在を物語っている。
デヴァンテ氏の飲み意地が、この最大の手がかりを引き寄せたとも言えるだろう。
「ビールやワインなどの醸造酒は、発酵させて造られており香りも特徴的です。そして何より、弱いお酒なので燃えにくい。ウォッカの代わりにはなりません。一方リキュールであれば、蒸留酒に糖やハーブを加えて造られた混成酒ですので、製法が近く偽装の余地があると判断したのでしょう」
実際、死体発見後に厨房でコレクションを確認したところ、カシスリキュールのボトルがひとつ減っていた。
私がウォッカを持ち出した以降に盗まれたのなら、犯人の仕業と見て間違いないだろう。
「そして犯人は、いざリキュールで死体の喉を焼こうと試みます……が、ここで問題が発覚します。リキュールに、火がつかないのです」
リキュールのアルコール濃度は、およそ10%から70までとかなり幅が大きい。
今回、犯人が選んだカシスリキュールの度数は15〜20%。
常温でギリギリ着火できるアルコール濃度は、約20%とされている。
常温であればカシスリキュールに着火できたかもしれないが、冷え込みが強い夜の宿屋では、アルコールが揮発しにくく火が燃え広がらないのだ。
「ですが……死体の喉は、確かに焼かれていましたわよ?」
「そう、そこが重要なんです。犯人には、通常であれば着火できないリキュールに、土壇場で火を点ける裏技があった」
「……………………」
リオは沈黙を貫いているが、明らかに視線が泳いでいる。これは当たりのようだ。
「リキュールに着火できない理由は、ウォッカよりも弱い酒だからです。なら、ウォッカと同じくらい強くしてしまえばいい。水分を飛ばして――ね」
「ほほう! 自分で蒸留したんじゃな!?」
「イメージとしては、それに近いです」
厳密には、蒸留とは少し異なる。
蒸留は、熱して気化したアルコール分を、再度集めて濃度を高める手法だ。
対して犯人が行ったのは、酒から水分のみを操作して取り除き、アルコールの濃度を高める手法。
そのため、蒸留酒では残らない糖分が、ボトル内に溶けたままとなっていたのだ。
「犯人は熱を加えることなく、リキュールから水分を奪ったと考えられます。それが可能なのは、水魔術または氷魔術を扱える人物のみ。氷魔術で水分を取り除く場合は、水のみを凍らせて操作する必要があります」
溶液の凍結温度は、内容物の種類や濃度によって変化する。
純水は0度で氷となるが、アルコールや糖分が溶けた酒が凍るのはさらに低い温度だ。
「水はアルコールより先に凍るので、原理的には分離できそうに思えるのですが、実際は上手くいきません。酒は水とアルコールが細かく混ざり合っており、凍らせるとシャーベット状になってしまいます。ここから純粋な氷のみを取り出すことは氷魔術では難しく、結局は液体の水を操作できなければ、正しく分離を行えないのです。よって、このトリックが実行できるのは水魔法の適正者のみとなります。いかがですか、リオ様?」
「フー…………ハー…………」
リオはポカンと口をだらしなく開けて、肩で息をしている。
心ここにあらずといった様子だ。
「……あの、リオ様。聞こえてます?」
「しししし知らねぇぞ俺は! カシスリキュールなんて分かんねぇ! 酒は詳しくねぇんだよッ!」
「それも知っています。お酒について詳しすぎない、これも犯人の条件なんです」
「は…………?」
「厨房に蒸留酒が残っていなかったとはいえ、強い酒は他にも残っていたんですよ。リキュールの中でも、キュラソーのアルコール濃度は20%をゆうに超えます。しかし犯人は、それを選ばなかった。その酒の強さを知らなかったからです」
この世界で、アルコール濃度に関する科学的な知識を持ち合わせている者は少数派だ。
犯行計画を立てたペテン師なら、ウォッカの代わりに燃やせるリキュールを知っていたかもしれない。
しかし、リオは彼女に質問することができなかった。
なぜなら、ウォッカの在庫が尽きてから毒殺が行われるまでの間、彼女は私と一緒にラウンジにいたからだ。
不用意に言葉を交わせば、第三者に共犯関係が露呈する。
リオはアルコール濃度についての知識がないまま、燃えやすそうな第二の酒を自分で選ぶしかなかったのだ。
「鉄壁のアリバイがあるアマノガワ様は、酒を盗み出せないので除外するとして――。ランドル様は数多の酒をコレクションしている本人です。それぞれの特徴には詳しいでしょう。逆にカトリーヌお嬢様は未成年で、酒について全く知識がありません。そもそも被害者に酒を飲ませる状況が作りづらく、今回の犯行計画向きではない。よって浮かび上がる犯人像――酒についてある程度の知識はあるが、各リキュールの強さを知らない人物に合致するのは、やはりリオ様になります」
さらに私は、ダメ押しの追撃を浴びせる。
「それに、あなたは先ほど『カシスリキュールなんて分かんねぇ!』と言いましたよね? なぜ犯人が持ち出したリキュールが、カシスリキュールだと知っていたんですか? 私は一言も、カシスリキュールとは言っていませんよ」
「いや……だってお前、甘酸っぱいベリーの香りがするリキュールって言ったら…………」
「それなら普通、ベリーリキュールを想像するはずです。わざわざベリー種の中でも、黒いカシスの実を用いたカシスリキュールを想像するのは不自然ですよ。そのボトルを最近目にする機会があったのなら話は別ですが。一度も厨房に行っていないはずのあなたが、いったいどこでカシスリキュールを見かけたんでしょうね?」
「俺、は…………あぁ…………」
「そう、あなたが知っていたのは、カシスリキュールを盗み出した張本人だから。デヴァンテ氏を毒殺した実行犯だからです!」
喉を焼かれた男にまつわる謎は、ほとんど紐解かれたと言ってよいだろう。
あらゆる手がかりが、リオ・カロカーナが実行犯であることを指し示している。
失言でボロまで出して、もうボロボロのボロ雑巾だ。
「ち、く……しょぉ…………」
「メイ様、あなたは大きな見落としをしています!」
リオの言葉を遮るように、声を張り上げたのはペテン師だった。
「お忘れですか? あなたが廊下で煙を目撃した時、リオ様は私とラウンジにいたんです。死体発見直前のアリバイがあるリオ様に、死体を燃やせるはずがありません!」
「おっと。その謎については、まだ解いていませんでしたね。では、最後の種明かしといきますか」
いかにしてリオは、離れた場所で煙を発生させたのか?
ペテン師の仕掛けた最後の切り札。
ここで暴いて、全てを終わりにするとしよう。
「まず前提として、死体は酒を用いて直接火を点けられています。仮に火炎魔術を使ったとしても、遠隔で口内に着火させることはできません。死体が焼かれた時、犯人は205号室にいた。これは揺るがぬ事実です」
そして犯人は、私がラウンジを後にして廊下を通るタイミングに合わせて、わざわざ煙を目撃させている。
リオがラウンジに降りてきていたのは、この煙で犯人が直前まで205号室にいたと見せかけ、アリバイを確保するためだろう。
「普通、部屋から煙が漏れ出ていれば、現在進行系で何かが燃やされていると考えます。そう思わせることが、犯人の狙いだったんです」
時には、その偽装工作を行った意図から辿ると、可能性が絞りやすい。
「あの時点で、すでに死体は燃やされていた。そして煙だけを、後から時間差で目撃させたのです」
「それは……あり得ません! 現場には死体以外、何かが燃やされた形跡はなかったでしょう? どうやって煙を起こしたと言うのですか?」
「それは勿論、死体を燃やして煙を発生させたんですよ」
「その発言は矛盾しています! リオ様がラウンジに降りてきたのは21時、死体発見の1時間前ですよ。前もって死体を燃やしたのなら、その煙はすでに拡散して見えなくなっているのでは?」
ペテン師の指摘はごもっともだ。
普通に考えれば、1時間前に発生した煙を目撃できるはずがない。
「そう、煙は拡散するから消えるんです。であれば答えは至ってシンプル。煙を拡散させなければいい」
私は指先で、宙に丸を描いてみせた。
「犯人は煙を閉じ込めて長持ちさせたんですよ――巨大な泡の中でね」
「泡で……煙を、閉じ込めた……じゃとぉ!?」
「トリックの手順はこうです。まず犯人は、死体を燃やして発生した煙を、水魔術で生成した泡の中に閉じ込めました」
私の元いた世界では、シャボン玉に煙を入れた「スモークバブル」が存在していた。
普通のシャボン玉であれば、水が蒸発するため時間経過で割れてしまうが、魔術の水泡であれば形状を維持して長持ちさせることができる。
「煙を入れた泡を、事件現場の扉付近に浮かせた状態で、犯人は部屋を後にしました。その後ラウンジで、誰かが2階の廊下を通るまで待ちます。約1時間後、22時前に私がラウンジを離れて、ついにその機会が訪れました。私が廊下を通る頃合いを見計らって、犯人は魔術を解除し泡を破裂させたのです。閉じ込められていた煙は、扉の下の隙間から漏れ出します。このようにして犯人は、離れた場所にいながら、煙をコントロールして目撃させたんですよ」
「なるほどのう! 泡を割るだけなら、離れていてもできるわな!」
そう――それこそが、この魔術トリックの肝である。
魔術の発動や制御は目視が条件となるが、維持や解除は遠隔でも可能なのだ。
ゆえに一度生成して配置した水泡であれば、離れた場所からでも消滅させることができる。
現場に証拠を残さずに、遠隔で煙を発生させることが不可能である以上、「煙を封じた泡を消す」という逆転の発想が解となるワケだ。
「さあ、あなたの用意したトリックは全部暴きましたよ。他に何か言いたいことはありますか?」
私のアツい問いかけに、彼女は目を血走らせて。
髪を振り乱しながら、鋭い叫び声を上げるのだった。
「キイイイィィィィィ――――ッ!!」
悔しげに歯ぎしりを始める自演探偵。
自己紹介時の優雅さは、欠片も残っていなかった。
その隣には、生気を失った表情の実行犯:リオ・カロカーナ。
これ以上、反論する余地も気力もないらしい。完全敗北して真っ白に燃え尽きた様子だ。
「私の推理は以上です。皆様、ご清聴ありがとうございました」
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