解決編① 推理合戦、開幕

「アマノガワ様、あなたは大きな誤解をしています」



 私は大きく息を吸い込むと、一歩前に進み出た。



「毒を仕掛けることができたのは私だけ。そう主張していましたけど、本当にそうでしょうか?」


「先ほど説明した通りです。ウォッカのボトルに触れられたのは、あなただけだと――」


「なにも、ボトルやグラスに毒を仕込む必要はないですよね。犯人が毒入りの飲食物を、被害者の部屋に直接持ち込んだら? そして犯行後に現場から、その飲食物を持ち去ったのだとしたら?」


 犯人は現場に踏み入って死体を焼いている。

 であれば偽装工作の一環で、毒入り飲食物を隠蔽することも容易い。


「毒殺だからといって、遠隔殺人とは限らないんですよ。対面で毒を飲ませる方法でなら、21時半前のアリバイがない人物にも犯行が可能でしょう?」


 すなわちランドル氏、リオ、カトリーヌ様の3人にも機会はあったということだ。


「それなのに、あなたは毒殺=遠隔殺人と決めつけて推理を展開した。おかしいですよね。どこにそんな根拠があるんですか?」


「それは…………」


「もしデヴァンテ氏が、205号室に鍵をかけた状態で毒を飲んでしまった場合。犯人は密室内の死体に、後から偽装工作できないんですよ。そう考えると、対面で毒を飲ませる方が確実では?」


「あなたの反論は理解しましたが……。それは、あくまで可能性の1つに過ぎませんよね」


 彼女は改めて、毒入り小瓶を突き付けて強調する。


「私の推理とあなたの推理。どちらも成立し得ると同時に、互いを否定する要素がないように聞こえます。あなたの方こそ、対面で毒殺が行われたという証拠はあるのですか?」


「モチのロンですよ。証拠を提示しましょうか」


「………………」


 言葉を詰まらせる迷探偵。

 その表情には、僅かに焦りと困惑が浮き出ている。



「最初の違和感は、匂いでした。事件現場に足を踏み入れた時、部屋には酒の香りが充満していましたね」


「死体の喉を焼くためにお酒が使用されたと、すでに指摘していますけれど……」


「問題は、アルコールに混ざった甘酸っぱい香りです。お酒を飲まない方であればご存知ないかもしれませんが、被害者が飲んでいたウォッカは無味無臭のお酒。火をつけても、フルーティーな甘酸っぱい香りは発生することはありません。このことから私は、事件現場に《第二の酒》が存在した可能性を考えました。犯人が持ち込んで犯行に使用し、犯行後に持ち去った毒入りの酒が」


 彼女は顔をしかめると、やや低い声音で問いを投げかけた。


「その甘い香りが、お酒とは無関係だとしたら? 香りだけで第二のお酒があったと決めつけるのは短絡的に思えますが」


「いいえ、その可能性は否定できます。死体の焦げ跡が、第二の酒の存在を明確に示しているからです」


「…………どういうことです?」


「人体が炎に長時間晒されると、最終的には炭化します。これは文字通り、炭のように黒焦げという状態です。しかしデヴァンテ氏の口内の焦げ跡は、黒く煤けた部分と褐色に変化した部分が、まだら模様のように混ざり合った態でした。この色合いは焼かれた時間や温度にもよっても変化しますが、通常であれば同じ炎に晒された部分の色合いは同じになるはずです」



 そう、これが第二の違和感の正体。


 まるで醤油を垂らして焼き上げたステーキのような焦げ跡。



「なぜ、焦げ跡が一様でないのか? その原因は――糖です」


「糖って、あのお砂糖の糖ですの?」


「そうですお嬢様。犯人が火をつけるために使用した酒には、糖が含まれていた。その糖が死体と共に加熱されて、部分的に褐色の焦げ跡を残したんですよ」


 糖とアミノ酸を加熱した際に起こる褐色反応。


 これは、いわゆる「メイラード反応」と呼ばれる現象だ。

 黒い焦げ付きは、恐らく糖単体による「カラメル化」の影響もあるだろう。


 調理の際は香ばしさの秘訣となるのだが、決して人肉で実践するものではない。死者への冒涜も甚だしい!


「ウォッカはクリアな味わいが特徴で、蒸留酒を何度もろ過して造られています。そのため糖分を含みません。よって現場には、糖分を含む第二の酒があったと考えられるのです」


「ほぉ……メイドさん、若いのによく知っているのう」


「いえ、知識として勉強しただけです。実際に飲んだことはありませんが」


 ――こちらの世界では、ね。一応未成年扱いなので。



「この事件の犯人は用意周到です。計画的に毒の準備をし、偽装工作も完遂している。そんな犯人が、被害者の偶然選んだウォッカを犯行計画に組み込むでしょうか? 被害者が私にボトルを運ばせたのだって予測不可能です。それに被害者が殺害される前に、ウォッカのボトルを飲み干している可能性だってある。毒を仕込むための酒、そして死体を焼くための酒は、犯人が自分で持ち込んだと考えるのが自然ですよ」


 私の立証を受けて、迷探偵は小さく溜め息をついた。


「確かに……あなたの言う通り、現場に第二のお酒があったことは認めましょう。犯人は毒を仕込んだお酒を持ち込み、被害者に飲ませて殺害した。死亡推定時刻にアリバイのあるメイ様には、この犯行は不可能ですね」


「分かっていただけたようで何よりです」


「しかし、毒の小瓶があなたの荷物から見つかったのも事実。するとデヴァンテ氏を殺害したのは、あなたの協力者だと考えられます」


「……………………は?」


「アリバイがなく、メイ様と共犯関係にあると考えられる人物。カトリーヌ様、あなたが実行犯ですね」


「いきなり何を仰いますの!?」



 …………ダメだ。話にならない。


 

 謎解きを次の段階に進ませるためにも。


 この茶番を、いい加減終わらせなければ。

 

「どうしてもその小瓶を、私の所有物と仰るつもりですか?」


「ですから、それをハッキリさせるためにも、今この場で指紋の照合を行おうと提案しているのです。よろしいですね」


「……分かりました。その結果を受け入れましょう」


 その承諾を聞いて、彼女の口角一瞬吊り上がるのを私は見逃さなかった。


「ただし条件があります。照合は、この場にいる全員が確認できる状態で行ってください」


「構いませんとも。誰が見たところで、結果は変わりませんから」


 彼女はどこからともなく透明な板を持ち出すと、そっと机の上に置いた。


「こちらのプレートに、指先を押し当ててください。両手の指、10本とも指紋が写し取れるようにお願いします」


 どうやらこの板は、身分証明用に指紋を採取するための魔術プレートのようだ。


 これなら魔法適性がなくても扱える。こちらの世界の魔道具も、なかなか便利で侮れない。



 私が板から指先を離すと、青白く指紋が浮かび上がってきた。



「それでは照合を行います」



 小瓶に残された指紋と、空中に投影された私の指紋。


 あらゆる組み合わせで次々と照合が行われる。


 小細工の余地がない、魔術によるフェアでスマートな判定だ。



「照合が完了しました。結果は――――」



 この場の全員が、照合結果を覗き込む。



「――指紋、不合致。

 別人のものである…………ですって!?」

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