出題編③ 最後の手がかり

 夜明け前のラウンジは、幾度目かの静寂に包まれた。


 全員の視線が私に注がれているのを、ピリピリと肌で感じる。



 ……もはや、敵対心を隠す必要もないか。


 私は口を閉ざしたまま、彼女の澄まし顔を睨みつけた。



「お待ちください――!!」



 声を上げたのは、カトリーヌお嬢様だった。


「私の専属メイドが疑われているというのに、黙って見てはいられませんわ!」


「……何か反論がおありのようですね。是非とも聞かせていただけますか」


「そもそも毒殺である以上、あらゆるアリバイは意味を為さなくなったのでしょう? でしたら私たち5人全員に、犯行は可能だったのではなくて?」


「そうですね……確かに、全員に犯行が可能な状況ではあります。死体に火をつけるタイミングのなかった私を除いて――ですが」


 20時から22時までの完璧なアリバイを持つのは、確かに彼女だけだ。


「だとしても他の4人は、皆等しく容疑者のままではありませんの? メイだけがアリバイ工作の恩恵を受けるからという理由で、犯人扱いは早計ですわよ!」


「お嬢様…………。感謝、いたします」


「ほら、アマノガワ様。謝罪をするなら今の内ですわよ」


「申し訳ございません。説明が途中だったために、混乱させてしまったようですね。話を続けます」



 その返答は謝罪などではなく、「推理を覆すつもりはない」という意思表示だった。



「毒は、いつ仕掛けられたのか? この謎を追究すれば、答えは自ずと見えてきます」


「夕食の場には、ここにいる全員が集まっていましたわ。食べ物に毒を混ぜるチャンスは、誰にでもあったはずです!」


「犯行に使われた毒は、青酸化合物に分類される即効性の毒物です。飲んだら胃酸と反応して青酸ガスが発生し、肺に至ればすぐ死に至ります。よって、夕食に毒が仕込まれていたとは考えられません。被害者は自身の客室で毒を口にした。これは間違いないでしょう」


「くっ……!」


「となると、毒が仕掛けられていた可能性があるのは2つ。ウォッカ入りのボトルと、それを飲むためのグラスです。しかしグラスの方は、被害者がラウンジでお酒を飲むのに使用しており、その間は誰にも触れる機会がなかった。よって、毒はボトルに仕掛けられていたと考えられます」


 誰にも口を挟ませない、そんな気迫で早口にまくし立てる異邦人。


「ウォッカのボトルに触れた人物は、被害者とメイ様の二人だけです。ウォッカは被害者に指定され、宿のコレクションの中からメイ様が選んで運んだという話でしたね。ウォッカを選ぶ前に毒を仕込むことが不可能である以上、ボトルに毒を仕込めたのはメイ様、あなただけなのです」


「ち、違います…………わ……私は…………」


「でも! ボトルは未開封でしたわ! 毒を混ぜるだなんて出来っこない!」


「毒はボトルの口部分に塗りさえすれば、グラスへ注ぐ際に混ざり合います。注射器などで栓の隙間に注入する、という確実な手もありますね。これでも――まだメイ様を庇うおつもりですか、カトリーヌ様」


「…………メイは、やっていないわ」


 絞り出されたお嬢様の声は、怒りと悲しみで震えていた。


「証拠よ! 憶測だらけの推理ではなくて、確かな証拠を見せてみなさいよ!」


「物的証拠、ですか?」


「そうよ、ないでしょう? そんなモノ。あるワケないんですから!」



 この流れに持ち込まれることは、想定の範囲内。


 ――問題は、決定的な証拠の存在だ。



 これまで彼女の提示した条件は、どれも状況証拠に過ぎない。


 その「推理」を裏付けるための物的証拠がない限り、犯行の立証は成立しない。



 さあ、どう出る? 迷探偵さん。



「それではお見せいたしましょう。お望みの証拠を――」


 おもむろに手袋をはめると、彼女は懐に指を滑らせる。


 取り出されたのは、手のひらサイズのガラスの小瓶だった。



「この中から、犯行に使用されたと思われる毒物が確認されました。私の鑑定スキルによれば、我々の世界で青酸カリと呼ばれている代物に近い毒性を示すようですね。果実の種子から抽出して調合したのでしょう。この小瓶、どこで発見したと思いますか?」


「どこって……知りませんわよ、そんなモノ…………」


「あなたのメイドの荷物の中から、見つかったのですよ」


「そんな……嘘よ! あり得ないわ!! ねぇメイ、あなたも知らないわよね?」


「勿論です! そのような小瓶、まったく記憶にございません!」


 こうなってしまうと、もはや悪魔の証明だ。


 身に覚えがないという証言ほど無力な自己申告はない。


 白でも黒でも、罪を問われれば否定してかかるのは当然の帰結と言える。



 彼女は小瓶を顔の高さに掲げると、蝋燭に息を吹きかけるように優しく囁いた。



「この小瓶から、1人分の指紋が検出されました」



 己の心臓が、一段と強く跳ねるのを感じる。



 科学捜査が浸透していない世界であっても、指紋であれば肉眼で判別ができる。


 間違いなく、犯人特定のための有力な手がかりとなるだろう。



「今この場で、誰の指紋か照合すれば――すべてが明らかになるでしょう」


 まだ、そうと確定したワケではない。だが…………。


 私は平静を装って、得意気な表情の彼女に問いかける。


「…………話は、終わりましたか」


「えぇ、私の推理は以上です。あとは答え合わせをするだけですが――何か、仰りたいことがあるようですね」


「……はい。私から皆様に、全部お話しします」



 ようやく舞台の準備が整った。



「この事件の、真相について」

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