第5話 写真

 「あなた、何ですか。いきなり失礼でしょう」


 「うちの社長です」


 〈ひとみ〉さんが、困った顔をして俺に教えてくれた。


 「失礼などと、良く言うね。うちの大切な職員を倒れるまで責めた男が良く言うよ」


 「はぁー、何も分かっていないくせに、夫婦の問題に口を出すなよ」


 社長にこんな口をきいて、〈ゆきえ〉に迷惑をかけると一瞬思ったが、あまりにも腹が立ったので止めようとは思わない。


 「はっ、結婚指輪もはめてないのに、もう夫婦じゃないと思うな。それに〈ゆきえ〉は、別れたいと身体で示しているんじゃないのか」


 「あぁ、おかしいじゃないか。何でそんなことを知っているんだ」


 くっそー、コイツが浮気の相手か、社長だったんだな。


 従業員が指輪をしていないことを男が気づくわけが無いし、〈身体で示している〉は絶対に下の毛が剃られていることだろう。

 俺に喧嘩腰になっているのが、一番の証拠だと思う。

 〈ゆきえ〉と呼び捨てなのが、挑発してやがる。


 「はいはい、二人とも熱くならないでよ。人目があるのに、会社の評判に関わるわ」


 今度は派手な恰好をした女が、割って入ってきた。

 年恰好は〈ゆきえ〉と同じくらいだな。

 失礼な社長は、少し年上だろう。


 「あなたは誰なんですか」


 「私は学生時代からの〈ゆきえ〉の親友で、会社の専務でこの社長の嫁よ。だからあなたにすごく腹が立っているのよ」


 何だよ、この女は。

 人目があるって言いながら、絡んでくるなよ。


 「はぁ、この社長の嫁だったら、腹を立てる相手を間違っているんじゃないですか」


 「いいこと、会社は遊びじゃないんだから、夫か何か知らないけど、何の関係もないのに、ノコノコと来ていいわけがない。本当に社会人なの、子供じみたことは止めなさいよ。あなたは〈ゆきえ〉に、何もかも相応しくないから、あの子をもう解放してあげるべきだわ」


 「はっ、あんたの会社の人間こそが、〈ゆきえ〉に酷いことをしたんじゃないのか」


 「ふん、酷いことをされた人間が、出勤なんかするわけが無いわ。〈ゆきえ〉はうちの会社で、フラワーアレンジメントの才能を花開かせるのよ。その才能をおまえなんかが、醜い嫉妬で邪魔するなってことよ」


 俺はあまりの言われように、ワナワナと怒りで身体が震えて、とっさに言い返すことが出来なかった。


 「はっ、情ない男だな。心当たりがあり過ぎて、何も言い返せないんだな。〈ゆきえ〉は俺の方で、ちゃんと面倒をみてやるよ。あんたの嫁じゃ、もうなくなっているのさ」



 「それは、違います。私はその人の妻です。あなたに面倒をみてもらうなんて、死んでもお断りです」


 喫茶店の入口で、〈ゆきえ〉が初めて聞いたほどの大きな声を出している。

 背筋をピンと伸ばして、怒りがこもった目で、社長とその妻を睨みつけている。


 どうしてここにいるんだと一瞬疑問が湧いたけど、今はそれどころじゃない。


 「ほぉー、〈ゆきえ〉ちゃんは、そんなことを言っても良いのかな。どうなっても知らないよ」


 「くっ、私を写真で脅して、恥ずかしくないの。このクズが」


 えっ、〈ゆきえ〉は脅されていたのか、それにしても、何時もは穏やかな〈ゆきえ〉が滅茶苦茶怒っているぞ。

 それほどのことをされたんだろう。


 「あぁ、〈ゆきえ〉。そんなに怒らないでよ。その写真は私が何とかするわ。だから社長に謝ってちょうだい。結婚式の会場を、二人の花で飾るのが夢だったでしょう。親友に免じて堪えてよ」


 「はっ、〈れいか〉の言う親友って。夫をバカにして、何が親友よ」


 「だって、その男が責めるから〈ゆきえ〉の体調が良くないのよね。だったら、別れてしまえば一挙に解決するわ」


 「はぁ、勝手なことをよく言うわ。私の体調が悪いのは、何から何までそのクズのせいってことが、まさか分からないの。普通の夫婦は〈れいか〉とことは大きく違っているのよ。まともじゃない夫婦と一緒にしないでほしいわ」


 「甘いことを言うわね。夫婦なんて、どこでも同じよ」


 「〈れいか〉のために耐えたけど、もうたくさんよ。私は会社を今直ぐ辞めるわ。〈ひとみ〉ちゃん、引継ぎが出来なくて、ごめんね」


 「あっ、あ、はい」


 〈ゆきえ〉は〈ひとみ〉さんへ、申し訳なさそうに頭を下げて、一万円札を手渡していた。

 この一万円で、この喫茶店の支払いを済まして、会社の私物を処分してほしいってことだろう。


 「あなた、帰りましょう」


 「おぉ」


 俺は〈ゆきえ〉に手を引っ張られて、喫茶店をコソコソと出て行く。

 堂々としている〈ゆきえ〉と違って、俺はなんなんだろう。


 あの場の雰囲気に呑まれて、〈ゆきえ〉にひどいことをした社長に、怒ることも出来なかった。

 一言くらい、言わなくてはダメだよな。


 マンションに帰り着いたら、〈ゆきえ〉がお茶を入れてくれた。

 知らないうちに喉がカラカラだったから、とても美味しく感じる。


 「もう隠す必要もなくなったから、あなたに全て話すわね」


 「おぉ、聞かせてくれよ」


 〈ゆきえ〉の話はこうだった。

 親睦会の二次会で、〈ゆきえ〉はそれほど飲んでいないのに、前後不覚になるほど酔ってしまったらしい。


 〈ゆきえ〉は言わなかったが、薬を盛られた可能性が高いと俺は思った。


 その後、カラオケボックスの中で目が覚めたのだが、そこにはあの社長と親友だった〈れいか〉しかいなくて、〈ゆきえ〉はそこで下の毛を剃られ、指輪を抜き取られてしまったようだ。

 スカートをまくられて下着を脱がされた状態だったため、慌てて下着を引き上げて逃げようとした時に、〈れいか〉と社長が謝ってきたらしい。


 そして、こんな風なやり取りがあったようだ。


 「される前に私が止めたから、何も問題は起こっていないわ。夫にはきつく注意をするから、会社を辞めないでほしいのよ。今の会社は私達の夢でしょう。私の会社には〈ゆきえ〉の才能が必要なのよ」


 「ごめんなさい、〈ゆきえ〉さん。魔がさして下着を見てしまいました。それ以上のことはしていませんし、心から謝りますので、どうか許してください」


 夫が親友に性犯罪を犯している現場を見たのに、それを無かったことにしようとしたのか、クズ社長はもちろんだけどその嫁もやっぱりクズだな、胸糞悪い似た者夫婦だ。


 「本当に下着を見る以上のことは、何もしていないのですね」


 おいおい、〈ゆきえ〉、下着は脱がされているんだろう、もっと怒れよ。


 「誓ってしていません」


 「許せることじゃないですが、帰るのが遅くなってしまいましたので、今日は帰ります」


 二対一の状態では不利なので、まあ、帰るのはしょうがないな。


 こうして帰ったのだが、俺に本当のことを言わなかったのは、下着を見られた程度のことだし、これぐらいのことで大事おおごとになるのが怖かったそうだ。


 下着は脱がされていたのだけど、自分の心を守るため〈下着しかみていない〉と言う言葉を信じかったのだろう。

 それと俺が激怒して社長の所へ怒鳴り込んだら、俺にも良くないと思ったみたいだ。


 だけど浴室で下の毛を剃られているのが分かり、絶望的な気持ち陥ってしまったと言っていた。

 お風呂に入る前には何でもないと説明しておいて、今さら性的な犯罪にあったとは言えないとすごく悩んだとも話してくれた。


 警察に被害届を出せば、親友の夢を壊すことに繋がるし、社長から性犯罪を受けたことを俺に知られたくない思いもあったようだ

 自分の記憶にはまるで無いから、実感が湧かなくて、そんなことは無かったと思いたかったのかもしれない。

 例え酔い潰れていたとしても、抵抗もしないで社長の誘いに乗ったと、浮気を疑われるのが一番怖かったとも言っていた。


 下の毛は剃られているが、自分の身体の感覚ではレイプはされていないと判断したので、真相を聞き出してから俺に説明しようと思ったそうだ。

 居た場所がカラオケボックスで、親友もその場にいたから、その考えを後押ししたようだ。


 親睦会の翌日に、〈れいか〉にこれはどう言うことかと詰め寄ったのだが、〈れいか〉は「私が剃ったのよ。単なる冗談よ。やり過ぎだったのは、この通り謝るわ」と謝ってきたので、もう親友とは思えなくなったと泣きそうになっていた。


 「〈れいか〉がそんなことをするはずが無いわ。社長にされたのよ。指輪も盗られてしまったわ」

 と言った後、〈ゆきえ〉は言葉を詰まらせた。


 「こんなことなら、初めからあなたに話せば良かった。ごめんなさい」

 と〈ゆきえ〉は言いながら、静かに泣き出してた。


 その後もっとひどいことに、社長から剃られた局部の写真が送られてきて、言うことを聞かないと夫にこの写真を見せてやると言われ。

 再度〈れいか〉に「話が違う」と詰め寄ったところ、〈れいか〉がいきなり服を脱ぎ自身の毛が無い局部を見せて、信じられない考えを言い出したようだ。


 「あの変態にお金を出させるために、私は身体を張っているのよ。妻になることを思えば、一回くらい抱かれてもどおってことは無いじゃないの。お願い。この会社が私の夢なのは、〈ゆきえ〉も良く知っているでしょう。今、〈ゆきえ〉に抜けられたら、会社は回っていかないのよ」


 〈ゆきえ〉はこれを聞いて絶望的な気持ちになってしまい、もうどうして良いか分からなかったと言っている。

 クズ社長に毛を剃られてレイプされた恐れもある、親友と思っていた人には良いように利用されていることが分かり、俺には嘘を吐いたことで離婚を迫られていて、クズ社長が写真を見せたらもう終わりだと思ったらしい。


 それで、倒れてしまったんだな。

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