第3話 肉じゃが

 ネットで離婚の事例を色々漁あさっていると、〈ゆきえ〉がいつもより早く帰ってきた。


 顔を見るとかなり青い顔をしているようだ。

 深酒をした夜に徹夜をしたことになるのだから、それはキツイとは思う。

 昨日の夜より青くなっている気がする。


 「あなた、ごめんなさい。夕ご飯が作れそうにないの」


 「カップラーメンを買ってきた」


 「そう」


 〈ゆきえ〉はリビングの椅子に座り込み、顔を手で覆っている。

 とても疲れているようだし、左手の薬指には指輪ははまっていない。


 「指輪は返してもらえなかったか」


 「うぅ、あなた、ごめんなさい。昨日どこかで、落としたらしいの。酔っぱらって大事なものを失うなんて、死ぬほどバカな女なんだよ。自分が心の底から嫌になるわ」


 また〈ゆきえ〉が、グスグスと泣き出した。

 浮気相手に外させてポイっと捨てたクセに、すごい演技力だな。


 「改めて聞くけど、君の浮気相手は誰なんだ。あまり事を荒立てるつもりはないけど、相手が誰かくらい教えてもらっても、バチは当たらないと思うんだ」


 荒立てはしないけど、謝罪と慰謝料をもらわないと、とてもじゃないけど気が収まらない。


 「うぅ、私のことが信じられないの。浮気なんかしていないわよ」


 「二次会で終わっているのに、深夜まで帰らなくて、三次会は嘘だし。下の毛は剃られているんだ。カラオケでも無理だし、バーでもそんなことは出来ないよ。ホテルでされたのに決まっているじゃないか」


 「うぅ、三次会と嘘を吐いていたのは、謝るわ。だけど酔い潰れてしまって、本当に覚えていないのよ」


 「下の毛のことでも嘘を吐いたよ。それに〈ひとみ〉ちゃんのメッセージでは、皆、帰るとなっていたんだ。〈ひとみ〉ちゃん達と一緒に居なかった人が、君と一緒に居たんだろう。簡単に分かるはずだ」


 「うっ、それが、分からないのよ」


 「へぇー、それじゃ君は誰かも知らない人に、レイプされて下の毛まで剃られたって言うのか。それなら完全な犯罪だぞ。今直ぐ警察に被害届を出しに行こう。妊娠している可能性もあるから、検査も必要だぞ」


 「あぁ、ちょっと待ってよ。下の毛が剃られただけで、レイプなんてされていないわ。そんなことがあるはずないわ。嫌なことを言わないでよ」


 「何も覚えていないほど酔っていて、下の毛が剃られたんだろう。普通の男なら、まず欲望を吐き出してから、趣味に走ると思うよ。でも違うんだろう。君はその人を良く知っていてかばっていると思うな」


 「お風呂場で念入りに、中を確認したわ。精子って言うか、白い物は何もなかったわ。それに、どうして庇うと思うのよ」


 「はっ、ゴムをつければ残らないよ。庇うって言うのは、俺には辛い話だけど、君はその人を愛しているんだろう。今日も無理をして会社に行ったのも、その人に会いたいためじゃないか。逆上した俺に暴力を振るわれないように、慰謝料を請求されるのも、防いであげているんだろう」


 「うぅ、泣きたくなるな。何をバカなことを言っているの。私が愛しているのは、あなただけよ」


 うーん、〈ゆきえ〉はどうしたいんだろう。

 俺と別れて、愛する人と一緒になりたくはないのか。


 あっ、相手は既婚者なんだな。

 一緒にはなれないのか。


 俺と結婚生活を続けるのは、カモフラージュのためと経済的な安定のためなんだな。

 それに〈ゆきえ〉の会社は、結婚式場に花を納入しているから、離婚はご法度はっとなっているのかも知れないな。


 でもそれじゃ、俺の心が持たないぞ。

 これから先もずっと裏切り続けられ、ずっと心を傷つけられるんだ。


 「三年間は夫婦だっただろう、この通り頼むよ。俺はもう傷つくのに耐えられないんだ」


 また〈ゆきえ〉が、グスグスと泣き出した。


 「うぅ、あなたを傷つけているのは、この通り謝ります。だけど、あなたを愛しているのは、本当のことなのよ。お願い、私のことを信じてよ」


 「何度も嘘を吐かれたんだ。もう信じることは出来ないよ。それに下の毛を剃った男のことを庇っておいて、愛しているもないだろう」


 「うぅ、…… 」


 〈ゆきえ〉が、グスグスと泣き続けるから、全く嫌になってしまう。


 「はぁー、俺達は八方塞がりだ。このままじゃ、二人ともダメになってしまうぞ」


 〈ゆきえ〉は返事もしないで、グスグスと泣き続けるから、自分のために離婚の手続きを始めることにした。

 このままでは、未来に一歩も踏み出せないまま、心が腐っていくだけだ。


 「この離婚届に名前を書いてくれないか」


 〈ゆきえ〉は、僕が差し出した離婚届を見て、今度は「わあぁ」「わあぁ」と声をあげて泣き出してしまった。


 〈ゆきえ〉がこんなに泣くところを見たのは、初めてだな。

 結婚式でも、全く泣かなった女なのにな。


 はぁ、それにしても、昨日まではこんな事になるなって、思ってもみなかったな。

 悪夢そのものだ。


 それに一向に前へ進めていない。

 離婚にものすごいエネルギーが必要と聞いていたけど、予想以上だ。


 泣きじゃくる〈ゆきえ〉を見ながら、今日も酒を飲むしか、やれることがない。


 〈ゆきえ〉はずっと泣いていると思っていたけど、いつの間にか、お風呂に入っていたようだ。

 パジャマに着替えて、またリビングの椅子に座ってきた。


 「あなた、お願いだから、もう飲まないでよ。身体に良くないのは分かっているでしょう」


 「そうだ、分かっているよ。でも飲まないと、どうにかなってしまいそうなんだ」


 また〈ゆきえ〉が、グスグスと泣き出した。

 俺がもう飲まないと言う訳がないのだから、言わなければ良いのに、本当に何をどうしたいのだろう。


 「俺の知りたいことを何も教えてくれないから、俺は君のことが全く理解出来ないんだ。すごく遠い存在になってしまったんだよ。君は俺に言いたくない秘密を持っているんだろう、それを抱えたままじゃもう無理だと思う」


 〈ゆきえ〉は何も返事をせずに、グスグスと泣き続けていたが、疲れが溜まっているのだろう、椅子に座ったまま寝たようだ。


 〈ゆきえ〉の嘘に俺は怒ってはいるが、椅子で寝るほど疲れているのが、少し可哀そうになってきた。

 俺は甘いなとも思うし、〈ゆきえ〉のことを愛していたんだとも、思った。


 しょうがない、ベッドまで運んでやろう。

 お姫様抱っこで運び、〈ゆきえ〉をベッドに降ろしてやると、〈ゆきえ〉の目から涙が一筋零れ落ちているのが見えた。


 ふん、浮気された男が未練たらしくお姫様抱っこか、反吐へどが出るような男だな。


 俺は掛布団だけ持ってきて、ソファーで寝ることした。

 風呂には二日入っていないが、まだ臭くはないはずだから、明日は会社に行こう。


 俺が起きた時には、〈ゆきえ〉はもういなかった。

 会社に行ったのか、浮気相手の所に行ったのか、どちらかなんだろう。


 あっ、職場での不倫だから、同時にこなせるのか。


 朝食はコンビニで買ってきたのだろう、「食べてください」と言うメモと一緒に、サンドイッチが置いてあった。

 〈ゆきえ〉が作ったものじゃないので、食べても良かったのだが、食べる気にはならなった。

 俺を傷つけ続けている女の買ってきた物を、食べるのは違うと思ったんだ。


 時間が無いのもあって、俺は朝食抜きで会社に出勤して、昨日休んだ分の仕事を何とかこなして、夜遅くに帰ることになった。

 昼食と夕食は、近くのうどんのチェーン店で済ました。

 あまり食欲が無いから、うどんくらいがちょうど良いんだ。


 マンションへ帰ると、〈ゆきえ〉が夕食を作って待っていた。

 俺の好物の肉じゃがだが、どういう意図なんだ。


 浮気相手の名前も言わないのは、これからも浮気を続けますってことだろう、好物を作ってあげるから浮気を認めろってことなのか。

 それとも、浮気相手が真の夫で、俺とは単なる同居人的な関係になろうとしているのか。


 〈ゆきえ〉は本当に何を考えているのだろう、つくづく嫌になる。


 「はぁ、食欲はないから、食べないよ」


 「でも、…… 。何か食べないと、身体が持たないよ」


 「これからは外で食べてくるから、もう作らなくても良いよ」


 「そう。もう私の作ったものは食べたくないのね」


 そう言って、〈ゆきえ〉は肉じゃがをラップにかけ冷蔵庫にしまっている。

 〈ゆきえ〉も夕食を食べていないようだけど、そんなこと俺が考えてもしょうがないと思う。

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