七月十三日
はるむら さき
一
もう何もいらないから、静かな場所でただ目を閉じていたい。
眠るわけでもなく、景色を眺めるでもなく。
ただただ、この疲れきった魂を休めたい。
人里からほどよく離れた、森か林かどちらかで、木漏れ日の雨が降る中、たまに聞こえる小鳥のさえずりに、何とはなしに耳をすませながら、やさしい風がたまに頬を撫でてくれれば最高だ。
仕事に、親戚に、生まれた役割に。何に縛られることもなく、ただ静かな場所で一人になりたい。
僕は治らぬ病を宣告されて、それに怯えて十年生きた。
医師や親、友人たちは声を揃えてこう言う。
「大丈夫、良くなるさ。それに、まだ若いから何でもできる」
鬱陶しいお節介な親戚は、電話ごしに叱咤してくる。
「甘えるな。世の中のおなじ病気の人だって、みんながんばってるんだぞ」
さらに僕のことを何にも知らない他人はこう言ってトドメを刺す。
「お前はもう若くないだろ。しっかりしろ」
やさしい言葉も厳しい言葉も、どちらを聞くのにも、もう疲れてしまった。
簡単に無責任なことを言わないでほしい。
僕はずっと頑張ってきた。
だから僕はもう頑張れないよ。
この病を告知された時、目の前は真っ暗になり、医師の言葉の全てが頭に入ってこなかった。
誰もいない自分の家にたどり着いてはじめて、現実が僕に重くのしかかってきた。
強い吐き気。トイレにかけ込み、胃の中身を
ぶちまけた。
吐く物が無くなっても、胃液さえ出なくなるまで吐き続けた。
それから顔を歪めて、グシャグシャに泣いた。
大声を出して叫びたかった。
「なんで僕なんだ。悪いことなんてしていないのに。どうして他の奴じゃなくて、僕なんだ」と。
涙と共に学校や職場、今まで出会った嫌な奴らの顔がちらちらよぎっていく。
「あいつらが、あいつらこそがこの病になれば良かったのに」
そのように誰かを呪った所で、思い通りになるはずはない。
これは現実で。小説では無いのだから。
冷静になるまで、十三日ほどかかった。
それから再び病院に行く。僕は医師に頭を下げた。
「まだ、死ねない。死にたくはないんです。だから、よろしくお願いします」
そこから半年。なんだか難しい名前の治療を受けて、手術を受けた。
そのふたつは僕の寿命を伸ばしてはくれたけれど、体力と気力を同じだけ奪った。
それから莫大な治療費も。
「こんなに大変なめにったのなら、今度こそ幸せにならなくちゃダメだ」
そのためには健康な身体が必要だ。
退院後すぐにウォーキングをはじめた。何はともあれ、体力をつけなければならない。
重たい身体を引きずる。すぐに息が上がった。ちょっとした坂道でさえ、休憩しながらでなくては登れないくらいに、身体は弱っていた。
そんなに長い距離を歩いていないのに、動悸と息切れがひどかった。身体も鉛のように重く、食事も喉を通らない。ただ倒れこむように眠った。
そうして、少しずつ身体をきたえること一年。
ようやく仕事に戻れるほどに回復して、就職先を探す。
面接で病のことを話すと、面接官たちは決まって、張りつけたような笑みを浮かべ「大変でしたね」と形ばかりの労いの言葉をかけて「コンカイハゴエンガアリマセンデシタ」という文を送りつけてくる。
六十六回目の不採用通知が届いた頃には、病のことを話すことのをやめた。
世の中はおかしい。
「時代は変わった。何もかも、誰も彼もが平等なんだ」と謳っておいて、変わったのはただひとつ。
僕を傷つける言い回しだけ。
悪いことなどしていないのに。
まして、自分から進んでなったわけでもない。
「数ヵ月に一度だけ経過観察として病院に行かねばならないが、この病であっても、今は治療も手術も終わり、たいていのことは出来ます」と説明した所で、世間に強くこびりついたイメージのせいで「かわいそう」とか「すぐに死ぬ」とか、勝手なレッテルを張られ、嫌な色の眼鏡で覗かれ、誰も僕の言葉を聞いてはくれない。
「目は口ほどに物を言う」という諺を考えた人は天才だと思うよ。
オヤサシイその目で見られる度に、僕の中の大事な
何かが剥ぎ取られていく。
息ができない。
体力をつけて、仕事を探して職について。
そうして世界に馴染んだ所で、また発病して、振り出しに戻る。
その度に魂の一部が削られていく。
どんなに眠ってもとれることのない重い疲れ。
仕事をしても、稼いだそばから金は治療費に消えていく。
なんのために?
僕はなんのために生きているのだろう。
こんなになってまで、生きる理由が僕にはあるのか?
結婚もしていない。子どももいない。友と呼べるような人たちは、僕の弱さに疎ましさを感じたのだろう。いつしかみんな離れていった。
三度目の手術が終わって、身体の中から臓器が二つ無くなった時。
何もかも嫌になった。
「死にたい」という積極的な感情さえ枯れ果てた。
頭の中はぼうっとしていて、いつの間にか家から外に出ていたらしい。
いつ降ったのか、雨に濡れた草木を踏みしめながら、何処か深い森の中へと歩みを進める。
足元は雲を踏むように不安定で、その足取りはおぼつかない。
そうして、どれくらいさ迷ったのか。
迷いに迷って、ここにたどり着いた。
真白い霧に包まれた、どこかも分からないこの場所に。
ぼんやりと見える輪郭から、そうとう大きな建物のようだ。
オフィスとかマンションとか、そういった高層建築ではないようだ。
高さはせいぜいが三階建て。大きいのはその横幅だ。
美術館か博物館を彷彿とさせるシルエット。
ここにならあるだろうか。
僕は今度こそ見つけられるだろうか。
「あなたの生きる意味はなんですか」と問うてきた、あの黒い死神への答えを。
七月十三日 はるむら さき @haru61a39
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