魔法少女と蔦の家
うみべひろた
Morning Glory
「魔法って、誰かに夢を見せるものなんだよ」
っておばあちゃんは言う。「例えば大切な人を幸せな気持ちにしてあげること」
おばあちゃんのりんごケーキが本当に好き。黄金色に輝くケーキは雲みたい。
口に入れるとふわりと溶けて消える。味が消えた後も暖かな気持ちが残る。
「それが、いちばん大切なことなんだね」
ふわふわした気持ちで私が聞くと、「違うよ」っておばあちゃんが笑う。
「それはね、魔法にとって二番目に大切なこと」
二番目?
「じゃあ一番は何なの?」
おばあちゃんはウィンクをして答えた。ぱちんと目に星が舞う。
「そのときが来たら、あなたにも分かるから」
「そのときっていつ?」
私が身を乗り出すと、食後の紅茶が目の前に現れる。サバラガムワの甘い香り。
「それは、あなたが魔法少女になるとき」
おばあちゃんは魔女だ。
蔦に覆われた家は明るくて暖かい。多分それは蔦が窓やドアや煙突を避けるように這っているからだと思う。
この家の中にいると優しさを強く感じる。蔦も、おばあちゃんも、天井が高い素敵な家も、全部が私を見守ってくれているようで。まるでひとつの家族みたい。
私もこんなふうになれるのかな。
「魔法少女。どうやったらなれるの?」って聞くと、
「その時が来ればきっと分かるから大丈夫」って、何か編み物をしながら答える。
本当に大丈夫なのかな。
「魔法が使える気配なんて全然ないよ」
こっちを向いてよって。試しにおばあちゃんに念を送ってみる。
「焦っちゃダメ。いつか必ずなれるから。ある朝、扉が開くんだよ。あさがおの花が咲くみたいに。女の子はそういうふうに出来てるんだから」
おばあちゃんはこちらも見ずに答えた。
家の中にふわふわと漂う灯りが点いては消える。
オーカミ先生は私をいつも気にかけてくれる。
国語が苦手な私に、放課後に勉強を教えてくれるんだ。
学校の端っこにあるほこりっぽい学習室で、私ひとりだけのために。
「どうして織姫と彦星は遊んで暮らすようになったんですか?」
私はオーカミ先生に聞く。この前の小テストの結果に納得がいかなくて。
「カナさんの答えは、『二人で会うのに忙しくて、働く時間が無くなったから』」
オーカミ先生は教科書から目を上げて私を見る。
はい。私は頷く。
「でも。恋ってきっと、そういうものじゃないんだよ」
こつこつこつ。革靴の音を立てて、黒板から私の机の横へ。
「……恋?」
「カナさんは、13年間生きてきて、誰かを好きになったことある?」
好き、その言葉が私にはあまりピンとこなくて、
「おばあちゃんと、蔦の絡まる家が好き」
ふふふ。オーカミ先生は笑う。その優しい笑い方にいつも安心する。
「それは恋じゃないよ」
私の頭に置かれる手。それは今まで知らなかった大人の男の人の。大きくて少し冷たい感触にどきりとする。
「恋は、相手の全部が欲しくなるもの——例えば、静かで強い透明な嵐」
透明な、嵐。よく分からなくて言葉に出してみる。
「だけど。私はおばあちゃんの魔法があればいい」
窓から差し込む夕日が、部屋の中のほこりをきらきらと映し出す。それが眩しくて暖かくて、
不意にオーカミ先生はカーテンを閉める。
しゃっという音とともに、教室の中が真っ暗になる。何も見えなくなる。
「多分、恋は魔法みたいなもので」
オーカミ先生の息が私の髪を、耳をふわふわと撫でる。
私を包む腕の不思議な硬さ、少しずつ私の目は教室の暗さに慣れてきて、
見上げた私の口に何か押し込まれる。
それは丸くて大きなキャンディ。暗闇にぼぅっと浮かぶその緑色が目に焼き付いて離れない。
キャンディはソーダ味。私の中でぱちぱちと弾ける。
おばあちゃんのりんごケーキとは違う。重みさえ感じる甘さ。
「——その魔法は一度かかったら解けないよ。多分、一生」
「で、答えは?」
「答え? って何の話?」
おばあちゃんが聞いてきた言葉に、わけもなくどきりとする。
「先生が言ってたんでしょう、織姫と彦星が遊んで暮らすことになった理由」
そっちか。
ソーダの炭酸が私のおなかの中でまだぱちぱちと。
「二人が恋をしてしまったから」
「ふーん」
今日もおばあちゃんは編み物をしている。話の内容より手の中の毛糸に夢中。ぱちぱちと暖炉から火が爆ぜている。
「二人は恋が一番になっちゃったから。自分より、相手より、仕事より。恋は全部を塗りつぶす」
「そう」
おばあちゃんは編み棒を置いた。
ぱちん、ぱちん。暖炉から炭酸の泡が弾けては消える。そのたびにふわふわと舞うソーダの香り。
「あなたにこれをあげる」
おばあちゃんがかぶせてくれたのはベレー帽。赤いフェルトでふわふわの。
「これって」編んでたやつ? ベレー帽って編めるんだ。
「その味が忘れられないのね」
おばあちゃんの言葉に答えることができない。
ぱちん。ぱちん。
部屋の中に漂う甘い香り。波みたいに海みたいに寄せては返す。
ぱちん。ぱちん。
弾ける泡は緑色のソーダ。
見えなくなる。暖炉もおばあちゃんも、漂っていた灯りも。世界の色が変わっていく。
ぱちん。ぱちん。
私のおなかの中のソーダが世界に満ちる。手を伸ばせばどこにでも届きそう。どこまでも明るく照らす光。
「それがあなたの選択ならきっと正しい」
ぱちん。ぱちん。
「世界があなたの敵になるなら、全部塗りつぶしてしまいなさい」
冷たくて熱くて、優しくて暴力的で、強くて弱い私とあなた。
「あなたは今日から、魔法少女だよ」
ぱちん。ぱちん。
「何があっても離しちゃダメだよ、
おばあちゃんが歌うように呼んでくれる私の名前が好き。だけどそれを聞いたのはいつ以来だろう。
思い出せない。
「さよなら」
ぱちん。浮かんでいた灯りが全部足下に落ちる。
りんごケーキがソーダへ溶ける。
目覚めたらそこは学習室。いつものようにほこりっぽい。
カーテンは今日も閉じていて、目はずいぶん慣れた。
「今日は七夕。織姫と彦星が年に一度だけ会える特別な日なんだ」
口に押し込まれるキャンディは今日もソーダ味。その甘さにくらくらする。
オーカミ先生の左手が私の頬を包んでいる。それはいつものように強くて優しくて、だけど薬指の指輪が当たって痛い。
「恋をするふたりがようやく出会える日。待ち望んだ特別な日」
私の言葉にオーカミ先生は頷く。
「今日は雲一つないから。カナさん、課外授業に行こうか」
「星を見に?」
「二人の恋の行く末を見に」
「なら行きたいところがあるんです。きれいで、星がよく見える場所」
私はその場所が何なのか知らない。ただ二人で行きたかった。きっとそこには二人の恋の行く末があるはずだから。
校舎の外に出るともう夜。街灯も無い道を歩く。森に足を踏み入れると星明かりさえ見えなくなる。
「ねえ先生」
黒い森の中。私には分からないことがあった。「なんで織姫と彦星は年に一度しか会えないの?」
「天の川の両岸に離されてしまったから」
「本当にお互いが大切なら、川を泳いで会いに行けばいいのに」
「魔法でも使えたなら、そうしたかもね」
忘れちゃったのかな、先生。恋は魔法だって自分で言ってたのに。
それくらいの距離はゼロと一緒。
オーカミ先生の手が私の手に触れた。そのまま手を絡めてくる。
「恋人繋ぎ。一年ぶりに会った二人もこうやって歩いたはずだよ」
あぁ。私の体温が上がる。二人の距離が無くなるってこんな嬉しいことなんだね。
ほどなくして私たちは蔦の絡まる家を見つける。人の気配はない。
「空き家なのかな」
オーカミ先生は私を引っ張るように中に入る。鍵はかかっていない。
私は空いたほうの手でベレー帽をぎゅっと握る。誰がくれたか忘れちゃったけれど、いちばん大切なもの。
家の中に灯りはひとつも無い。暖炉にも火はついてない。
端っこのベッドにオーカミ先生は寝そべる。
「来てごらん、星がきれいだ」
その家に天井はない。見上げると夜を覆い隠す一面の星。
「あそこに天の川、その両端にいるのが織姫と彦星」
「七夕でも二人は離ればなれ。かささぎの橋を渡らないと一緒に居られないのね」
「カナ、こっちに来なさい。こっちに来ればよく見える。二人の恋の行く末が」
暖炉にぼうと火が入る。
ぱちぱちとソーダの香りを感じる。
甘い、熱い、夏の香り。
七夕の夜。夏はまだこれから。
「熱いから、服は脱いだほうがいいよ」オーカミ先生の声。
私は一歩ずつ、確かめながらベッドへ向かう。
胸のスカーフを外す。
「オーカミ先生、あなたの手はどうしてそんなに大きいの?」
「カナを撫でるためだよ」
上着を脱ぐ。
「オーカミ先生、あなたの身体はどうしてそんなに大きいの?」
「カナを包みこむためだよ」
スカートを落とす。
「オーカミ先生、あなたの力はどうしてそんなに強いの?」
「カナを抱きしめるためだよ」
服を脱ぐたびに、少しずつほんとうの私に近づいていくみたい。
ぱちん、ぱちん。何かが外れていく音が聞こえる。私の手を、脚を、首を、ぐるぐる巻きにしている蔦みたいな。
私が脱ぎ捨てた服はまるで天の川にかかる橋。
ほら、別にかささぎなんていなくたって距離はゼロになる。
「オーカミさん、あなたはどうしてオーカミさんなの?」
ベッドに入るとぎゅっと抱きしめてくる。その力は強いけれど私たちは一つになることができない。
私はその理由を知っている。
「これいらない」
左手の指輪は私の肩に食い込んでくる牙みたい。引き抜くとぱちんと夜空に溶けて湖になった。
「川よりも遠いよ。オーカミさんは本当に、いけない人」
でもきっとオーカミさんは気づいていない。
「オーカミさんは、私に恋しているの?」
「食べてしまいたいくらいに」
オーカミさんは唇を重ねようとするけれど、あと紙1枚分の距離を縮めることは絶対に出来ない。暖かな息が私の唇を撫でる。
「まだ誓いが終わってないよ。だからダメ」
ベッドの周りで弾ける泡。私たちはソーダの波間に浮かんでいる。
「あなたは私を、一生愛し続けることを誓いますか?」
私は全部見せたよ。
こころも、からだも、ぜんぶ。
あなたはみせてくれないの? そんなのずるいよ。
波は少しずつ高くなっていく。ぷかぷかと。ちゃぷちゃぷと。ぎゅっと握ってなければ振り落とされそう。
しゅわしゅわ弾ける炭酸の中、酸素を求めて息を吸う。
ぱちぱち。
目の端でちかりと星が瞬くのが見える。
牙や爪じゃきっと届かないけれど。
「オーカミさん、どうぞ私を食べてくださいな」
唇が触れ合った瞬間、大波が押し寄せてふたりは波にさらわれる。甘くて熱いソーダの中へ。
ざぶんと大きな音を立てて、海が空へひっくり返る。光るかささぎに触れるとチョコレートの香りを残して蒸発する。
しゅるしゅるとベレー帽がほどけていく。ソーダの海、りんごケーキの暖かさ、ふたりに絡みつく蔦。
私の大切だったもの、これから絶対に離さないもの。
そうか。これが透明な嵐。私の胸で、おなかで、吹き荒れる。
あなたも、きっと、感じてくれてるよね。
この自由を。この重力を。
その口にりんご飴を押し込む。キャンディのお返しだよ。
離さないようにぎゅっと抱きしめて、その首筋に歯を立てる。
空から流れ星が落ちてくる。あなたの胸を、私の胸を、貫いて密やかに弾ける。
あぁ、オーカミさん、最初だからちょっとだけ痛いかも。
ごめんね。
太陽がまぶしい。
どこまでも青い。
朝が来る。
ぱちん。
絡まる蔦が一斉に花開く。
赤い、白い、あさがおの花。
蔦はオーカミさんに絡みつく。絶対にもう離れないように。
目は隠さないであげる。私だけをいつまでも見ててね。
口は隠さないであげる。私だけに恋をささやいてね。
腕は隠さないであげる。私だけをぎゅっと抱きしめててね。
あなたの体温の中、私は永遠に眠る。
だからあなたも眠りなさい、私の夢の中で。
二人の恋の行く末。やっぱりそんなの誰にも見せたくない。
空にカーテンをかける。星の瞬きが、波の音が、ひとときに消える。真っ暗だ。
この時間は、
永遠に秘密だよ。
空へ落ちていく。
オーカミさんに食べられた私は、そのおなかの中で永遠に一緒。恋人繋ぎのまま、じわじわとあなたは私になっていく。
暖炉の炎がぱちぱちと爆ぜる。椅子に揺られてベレー帽を編む。誰が言ってたんだっけ、私のおばあちゃんはかつて魔女だったらしい。私と同じように誰かに強く恋したのだろうか。
高い天井、もうこの家から星は見えない。織姫も彦星も二人で隠れて会えばいい。
オーカミさん、一緒にいてくれてありがとう。
「私が魔法を使えたのは、きっとあなたがいたから」
暖炉を撫でる。蔦に覆われたこの家はきっと永遠に暖かい。
魔法少女と蔦の家 うみべひろた @beable47
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