第10話 ケンカ別れ
「何をしている」
「侯爵様! 今、お呼びしようと思っていました!」
食堂でお茶の準備をしていると、アルフィーが入って来た。ミリーが笑顔で近寄るも、視線は合わない。
(侯爵様……?)
笑顔を見せてくれるようになったはずのアルフィーの表情が暗い。心配で見つめていると、アルフィーが口を開いた。
「……起きて大丈夫なのか」
「! はい! わたしは大丈夫です! 元々毒には慣れているので」
やっぱり侯爵様は優しいなと、ミリーは満面の笑顔で自身の身体をくるりと回転させてみせた。
「……慣れている? でも君は倒れた。医者の処方がなければ今頃死んでいたぞ」
「えーと、ですね……」
今回使われたのは、毒性の高いものだった。さすがのミリーも倒れてしまったが、アルフィーに警戒を促すことで、護衛の任務も果たせたと思っていた。
もちろん、素早い医師の処方があったので、早くに回復できたが、ミリーだからこそ命に別状がなかったのもある。
どう説明しようか悩んでいると、アルフィーがテーブルの上のカスクートに目をやった。
「あ、料理長さんとわたしで作ったんですよ!」
料理長にハムや野菜、チーズを切ってもらい、ミリーがパンに挟んだ簡単なものだが、美味しそうにできたと満足していた。
「……料理長はクビにしたはずだ」
「料理長さんのお料理はこの国で一番美味しいです! クビにされるなんてもったいないです!」
「国で一番?」
クッと笑いを吐き出すも、表情が暗い。
(侯爵様……?)
アルフィーが醸し出す底知れぬ空気に、ミリーの心がざわつく。
「侯爵様にとっても国で一番ですよね? 唯一信頼して側におかれるシェフなんですから」
「その信頼は裏切られた」
「料理長さんが悪いわけじゃないですよ!?」
冷たい口調のアルフィーに、ミリーは必死に訴える。
「僕はもう他人の作ったものなんて口にしない。食事なんてとらなくても生きていける」
光をなくした青い瞳は、土砂降りの空のようだ。
「……侯爵様、わたしが何度でも毒見しますから……だから……」
ミリーは皿を差し出し、アルフィーに言葉を届けようとする。
「やめてくれ!」
振り上げたアルフィーの腕が皿に当たり、ミリーの手からすり落ちる。
パリンと音を立てて割れた皿とカスクートが混じり合い、もう食べられたものではない。
「お料理が……」
ミリーはその場に座り込み、拾い上げようとする。
「君はクビだ。ミリー・ソワイエ」
上から降り注いだ声に、ミリーは顔を上げて答えた。
「わたしも、お食事を無駄にする方の護衛はできません」
いつもポワポワしていた栗色の瞳が、まっすぐにアルフィーを捕らえる。
「……っ、今すぐ出て行け!」
たじろぎ、そう言い放つのが精一杯だった。
「……お世話になりました」
伯爵令嬢らしく綺麗にお辞儀をすると、ミリーは部屋を出て行った。
「……っくそ!」
バンッと大きく叩いた壁の音は、もちろんミリーには届かなかった。
※※※
「……不満そうですね」
ミリーをソワイエ伯爵家に送り届けるべく、レイは同じ馬車に乗り込んでいた。
いつもほんわかと笑っていたミリーが、ぶすっとした顔で俯くのを最初は驚いて見ていたが、すっかり見慣れたらしい。
「そうですね。護衛の任を果たしておりませんので。お食事をひっくり返されてわたしもカッとしちゃいましたけど、侯爵様は何か隠しています」
(食事が絡むと怒るのか)
むう、と頬を膨らませるミリーを見て、レイの口の端が思わず上がってしまう。
(それに……この方はアルフィー様の本質をよくわかっておいでだ。思えば初めて屋敷を訪れたときもアルフィー様のことを優しいと……)
「レイ様、なぜ笑っているのですか?」
膨らませていた頬をしぼめ、ミリーが首を傾げる。
「あなたは感情が表情に出やすいようですね。この数日見ていてわかりました。ご令嬢としては社交界で浮いているのでは?」
「……デビュタントは済ませましたが、わたしには護衛任務のため日々研鑽を積む必要がありますので、お茶会やパーティーにはほとんど出ておりません」
「あなたは本当に騎士のようなことをされているのですか? ちなみにどなたの護衛をされているのかお伺いしても?」
取り繕おうとしないレイに、ミリーも困ったように笑みを浮かべた。
「やっぱり女が護衛なんて信用してもらえないですよね。お兄様たちにもそう言われて、普段は男装をして付いています。それにわたしがお守りしていたのは……ルーク様の婚約者、オリヴィア・ラヴェン王女様ですので、常に任務があるわけではなく、月に一度いらしたときの任務なので、周知されていないのも当然です」
「オリヴィア・ラヴェン王女……!?」
その名前が出て、さすがのレイも驚いた。
ラヴェン王国とトルデシアは昔戦争をするほど仲が悪かった。終戦後、不可侵協定が結ばれたものの、両国の間には常に緊張が走っていた。
ルーク王太子とオリヴィア王女の婚約は、両国を良好な関係へと変えていく大切な架け橋になっていた。
(殿下と王女の逢瀬で、アルフィー様がご同席されたのは一度きり。しかもミリー嬢が男装をしていたのなら、なおさら気づくわけがない)
頭の中で整理しながらも、レイは驚愕の事実に驚きを隠せない。
「アルフィー様の護衛に男装で来なかったのはなぜですか? 殿下の恋人ならば男装のほうが何かと都合がいいでしょうに」
「ふえっ!?」
単刀直入に疑問を口にしたレイに、ミリーは飛び上がった。
「あなたは、ルーク王太子殿下の秘密の恋人ではないのですか?」
「っ、違います! ルーク様とオリヴィアさまは政略婚約ですが、お二人はお互いを大切に想っていらっしゃいます! どうしてわたしが恋人なんて……!」
顔を真っ赤にし、涙目で訴えるミリーを見て、彼女が本当のことを言っているのだとレイは理解した。
「それは失礼しました。あなたが殿下を愛称でお呼びしていたのと、あれだけの贈り物を受け取っていたので」
「……あれは、ルーク様がわたしを兄のように気にかけてくださっているからです。愛称も、小さな頃からご一緒だったのでつい……」
ミリーの説明に、王太子との仲の良さが垣間見える。しかしそれは恋愛関係なんかではなく、兄妹のようなものだった。
「わたしは影の存在。お兄様たちと違って表に出ることはありません。ですから、ルーク様の交友――アルフィー様や他の貴族の方たちとは鉢あわないように配慮されていました」
(だから深層のご令嬢と化していたのですね。殿下の一番お側にいたアルフィー様さえその存在を知らないとは)
ミリーの実態が掴めない理由を知り、レイが納得していく。
「ときどきですが、侯爵様のことも拝見していたんですよ? 小さい頃に見た侯爵様の笑顔が印象的でした」
「そうだったんですか」
ミリーは一方的にアルフィーのことを知っていた。冷酷と噂される以前の、昔の彼のことを。
レイが驚きで目を見開き、ミリーを見つめる。
「あのときのように笑ってほしい。だから、わたしはわたしのままで来ました。」
なぜ男装で来なかったのか、というレイの問いに、ミリーはいつものふんわりとした笑顔で答えた。
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