第8話 暗雲
「おう! ミリー様、お腹すいたのか?」
ミリーがぴょこっと厨房に顔を出すと、気づいた料理長が声をかける。
「はい……」
もじもじと答えるミリーに、料理長は笑顔で大理石のカウンターに置いてあった包を開ける。
「ちょうど差し入れでもらった焼き菓子があるんで、侯爵様のところに持って行って、一緒にお茶でもしてきてください」
「侯爵様に?」
料理長はクッキーやマドレーヌを綺麗に皿に並べると、ミリーに手渡した。
「侯爵様は休憩も取らずに仕事をされるので」
「! わかりました!」
料理長の言葉に使命感を覚えたミリーは、元気よく返事をして厨房を出て行った。
「グッジョブです、料理長」
「うわ、リゼ、いたのか!」
ひょこっと背後に現れたリゼに料理長が声をあげる。
「はい、一応。私はミリー様付きですので」
「監視はまだ続けてんのか?」
淡々と答えるリゼに、料理長がこほん、と続ける。
「アルフィー様はお忘れのようですが、レイからは引き続き任務を遂行するように言われていますので」
「お前も大変だなあ」
「ミリー様の人となりを知れて楽しいですよ。祖母もすっかりミリー様の虜です。お二人の子供の誕生を楽しみにしていました」
「それは気が早いな」
いつもと突っ込みが逆になる。
「そうだ、焼き菓子にはお茶が必要ですね。行ってきます」
「おお……せっかく二人の時間を作ってやったんだから邪魔すんなよ……ってお前なら大丈夫か」
「空気に徹してみせます」
グッと親指を立てるリゼに、料理長は苦笑いで見送った。
「侯爵様」
コンコンと扉をノックすると、しばらくしてアルフィーが顔を出した。
「どうした、ミリー」
初めて部屋を訪れたときとは違い、優しい顔で出迎える。その表情にミリーの胸がまたきゅう、となった。
「……お腹がすいたみたいです?」
「何だそれ。ああ、菓子を持ってきたのか」
使命を思い出したミリーはきりっと表情を作る。
「はい! 侯爵様、根を詰めすぎも良くありません。一緒に休憩しませんか?」
「……ああ」
焼き菓子の皿を差し出すミリーに表情を緩めると、アルフィーは右手を彼女の頭に置いて撫でた。
(心地いい……)
ミリーは胸がポワポワとして思わず目をつぶった。
「……無防備すぎないか?」
「はっ! すみません……! つい、お兄様と同じような空気に安心して……護衛失格です!」
顔を赤くさせ硬直したアルフィーに、ミリーがキリッと姿勢を正す。
「兄……」
「どんまいです、アルフィー様」
「おわ!?」
がっくりうなだれるアルフィーに、背後からリゼがティーセットを載せたワゴンを持って現れ、驚きで飛び上がる。
「ミリー様、お茶の準備をしますね」
「ありがとうございます! お手伝いします!」
(僕が触れても意識しないのは、兄のようだと思われているからなのか)
嬉しそうにリゼとお茶の準備をするミリーを眺めながら、アルフィーは頭を抱えた。
「アルフィー様、レイはご一緒じゃないんですか?」
テーブルにカップをセッティングしながらリゼが執務室を見渡す。
「ああ。王宮から来た使者が書類を取り違えたらしくてな。レイには差し替えに行ってもらっている」
「そうですか」
アルフィーがソファーに腰を沈めると、ミリーも隣に座った。
リゼが執務室を出ていくと、二人っきりになる。
「……毒見、するだろ?」
「はいっ!」
クッキーを差し出したアルフィーに、ミリーが笑顔で答える。
彼の指から直接クッキーに食いつくと、唇が触れた。
「……!!」
アルフィーの顔が赤く染まっていく。いつもなら気づかないミリーだが、珍しく何も言わずに俯いた。
「ミリー……?」
期待に胸を高鳴らせ、ミリーの顎を持ち上げる。
瞳を潤ませ、顔を赤くしたミリーがアルフィーを見ていた。
(まさか……今ので僕を意識して?)
煩い心臓を何とか落ち着かせようとするが、気持ちがはやる。
「ミリー……」
持ち上げた顎を寄せ、アルフィーはミリーの唇に迫る。
「う……」
「え?」
お互いの唇は合わさらず、ミリーの身体がすれ違うように倒れ込む。アルフィーは咄嗟に受け止め、彼女の顔を覗き込んだ。
「ミリー!?」
赤かった顔は青白く変化し、息が荒くなっている。
「こ……しゃくさま……食べ……ないで」
「え?」
細い声を聞き取ろうと耳を近付ける。
「ど、く……」
「!!」
ミリーの言葉にアルフィーはテーブルの上の皿を見た。
(菓子に毒が盛られていたのか!)
ミリーの呼吸が浅くなっていく。
「ミリー!」
自身の手から食べたものにより、ミリーは毒に倒れた。そのことがアルフィーの身体を震えさせた。
「アルフィー様、どうかされましたか!?」
「あ……」
アルフィーのただならぬ叫び声に、リゼが部屋に押し入る。
「ミリー様!? お医者様を呼んできます!」
アルフィーが抱えるミリーの様子を見たリゼは、瞬時に判断して部屋を飛び出して行った。
「あ……ああ……」
がくがくと震えるアルフィーの頬に、温かな熱が触れる。ミリーの手のひらだ。
「わた……しは、だい……じょ、ぶ……で、すよ……」
こんなときでも、にっこりと笑ってみせるミリーに、アルフィーの目からは涙が溢れた。
「喋るな、ミリー……! 今、医者が来るからな!」
するりと落ちていくミリーの手を受け止めると、アルフィーはしっかりと握りしめた。
(泣かないで、侯爵様……)
アルフィーに笑って欲しくて、ミリーは意識を手放すその瞬間まで、笑顔を作り続けた。
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