第7話 護衛とは

「おはようございます、侯爵様」

「ああ……。………………っ!?」


 まだ夢現だったアルフィーは、毎朝起こしに来るリゼとは違う声に驚いて、覚醒した。


「んな!?  ななな……」


 目を開け、ベッドの傍らを見れば、騎士服姿のミリーがタオルを持って立っている。


「起きたらすぐに顔を洗われるのですよね」


 タオルを示しながら笑顔で話すミリーに、アルフィーは顔を赤くさせ、口をぱくぱくとさせる。


「侯爵様? お加減でも悪いのですか?」

「んあ!?」


 顔を至近距離まで寄せ、額に手を当てるミリーに、アルフィーの顔は茹でダコのようだ。


「少し熱いですね?」

「だ、大丈夫だ!」


 がばっと飛び起き、アルフィーはベッドから飛び降りた。


「でも……」


 ぐううう。 

 心配そうな顔のミリーのお腹が鳴る。


「……まだ朝食をとっていないのか?」

「……侯爵様とご一緒しようと思いまして」


 顔を赤くさせ俯くミリーに、アルフィーの表情が優しいものになる。


「すぐに準備をするから待っていろ。僕は何ともない。元気だ!」


 笑顔で振り返りながら、アルフィーが洗面所に向かったのでミリーはホッとした。


「……ところでどうして君が僕の部屋に?」

「護衛なのでできるだけお側にいたいとリゼ様に相談したところ、朝のお仕事を譲っていただきました!」

(リゼのやつ……)


 後でリゼに抗議しようと思ったが、嬉しそうに話すミリーを見て、やはりやめることにした。


「ほら、行くぞ」


 部屋の奥で質の良いジャケットとパンツ姿に着替え て出てきたアルフィーが、ミリーに手を差し出す。


「……護衛するんだろ」

「はい!」


 きょとんとするミリーに、アルフィーは耳を赤くし、そっぽを向いた。手は差し出されたままだ。


(侯爵様はやっぱりお優しい方です!)


 差し出された手に自身の手を重ねると、二人は手を繋いで食堂へ向かった。


「!?」


 二人が食堂に現れると、使用人たちからどよめきが起こった。


「えっ、結婚したの?」

「残念ながらまだです」


 朝食を用意しながら料理長とリゼがひそひそと話す。


「……リゼ、やってくれたな?」


 リゼが紅茶を注いだカップをテーブルに置くと、席についていたアルフィーが彼女を見上げて言った。


「あら、余計なお世話でしたか?」

「いや……」


 にやにやと笑うリゼに、悔しいが言い返せない。

 ミリーが起こしに来たことに驚きはしたが、目覚め一番に瞳に映ったのが彼女で、アルフィーはなんとも言えない多幸感を覚えていた。


「侯爵様」


 本来なら上座の左側に座るミリーだが、毒見のためにとアルフィーの真横に椅子が用意されていた。


 ぴったりくっつくほどの距離にいるミリーがアルフィーに「あーん」をねだる。


「よろしく」


 ふっ、と笑みを浮かべ、アルフィーは用意されたスープを一匙ミリーの口にやった。


「今日も美味しいです!」

「そうか」


 ミリーの幸せそうな顔を見て、アルフィーもスープに口をつける。

 そうしてまた「あーん」をしては二人の朝食が進められていくのだった。


「え? 新婚?」

「残念ながら違います」


 はたから見たら甘いやり取りの二人に、料理長が頭の上に「?」を飛ばし首を傾げる。

 冷静なリゼが突っ込むまでがお約束になっていた。


「……あのお嬢様、本当に美味しそうに食べてくれるよな。この食堂にまた活気が生まれるなんてなあ。俺、ミリー様、好きだ」

「私もですよ」


 緊張感に包まれ、殺伐としていたロカール侯爵家には、ほんわかとした空気が流れていた。アルフィーが父親から侯爵を継ぐ直前、彼は何者かに命を狙われ、生死の狭間を彷徨った。

 それまで外にだけ向けていた警戒心を家でも持つようになり、アルフィーの気が休まることはなかった。

 それは使用人たちの間にも伝わっており、ずっと緊張状態にあったのだ。


「私たちまで緊張感をなくしてどうするんですか」


 温かく二人を見守っていたリゼと料理長の前に、冷ややかな目でレイが立つ。


「でもレイ、アルフィー様のあんなお顔、また見られるなんて」

「……そうですね……」


 レイもミリーがアルフィーの心の氷を溶かしていることを頭ではわかっていた。


「……油断はできません。ミリー嬢が裏切ったら、今度こそアルフィー様の心は閉じきってしまうでしょう」


 そう言い捨ててその場を立ち去ったレイに、料理長もリゼも眉尻を下げて見合った。



「うーん、今日も美味しかったあ!」


 朝食を終えると、ミリーはアルフィーと別れた。

 アルフィーは仕事のため執務室に籠もるという。

 命を狙われてから登城は免除され、この屋敷で書類仕事を片付けているらしい。

 今日も王城からアルフィー宛に山積みの書類が届けられていた。


「おはようございます!」

「あ、ミリー様おはようございます!」


 一番に向かったのは洗濯場。アルフィーからは使用人に任せればいいと言われたが、申し訳ないので自分でやっている。


「今日もいいお天気ですねえ! あ、手伝います」

「いつもありがとうございます、ミリー様」


 洗濯場を仕切るマーサはこれまたロカール家に古くから使えるカーダイル家の者で、年は60を過ぎる。リゼの祖母らしい。彼女はよく「腰が痛い」と言っていたので、ミリーは自分の洗濯ついでに、干す作業を引き受けていた。


「はい、これ」

「ありがとうございます!」


 洗濯物を干し終えたミリーが、マーサからマカロンをもらい、笑顔になる。

 ミリーはすっかりマーサと仲良くなった。


「お礼を言うのはこっちだよ。娘にメイド長を任せてからは、坊っちゃんが心配で王都に来たけど、そろそろ引退したほうがいいのかと考えていたんだよ」

「そうだったんですか」


 マカロンを頬張りながらミリーが話を聞く。


「でも今はあなたが来てくれたおかげで、まだまだ頑張らないとと思えたよ。ありがとう。それに、坊っちゃんの子供をこの腕に抱くまでは私も引退できないわ」

「頑張ってください!」


 マーサの言葉の意味を理解しないミリーは、にこにこと返した。


(近い内にお嫁さんでも嫁いでくるのかな?)


 マーサと別れたミリーは屋敷内をぐるりと巡回する。これも日課になってきた。

 行く先々で使用人の手伝いをして回り、すっかりみんなとも仲良くなった。

 侯爵家の使用人は少数精鋭だが、やはり人手が足りないので、ミリーの手伝いは喜ばれた。


(確かに信頼のおける使用人さんたちばかりだから、屋敷内は安全なのかな)


 屋敷の外は私兵で固められていて、賊が侵入できる綻びはない。


(でも油断はできないわ。侯爵様を守るためにも、不測の事態に備えておかなくちゃ)


 屋敷の端から端まで見て回ると、中庭にあるガゼボに腰を下ろす。


(あ、侯爵様のお部屋が見える)


 最上階にある窓を見上げ、この数日を思い返す。


(侯爵様にお嫁さんが来るなら、普通に食事できるようになったほうがいいわよね? いつまでもわたしが毒見できるわけじゃないし)


 きゅう、と胸が軋み、ミリーは騎士服の胸元を掴んだ。


「お腹……すいたのかな?」


 この感覚が何なのか、ミリーにはまだわからなかった。

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