第4話 食事は大切です

「お腹すいた……」

「さっき食べたばかりですよね!? しかもフルコース……」


 きゅるるとお腹を鳴らすミリーに、リゼが驚きで目を見開く。

 屋敷の間取りを見て回りたいと言ったミリーに、リゼは仕方なく付き合っていた。騎士服に着替えたミリーが見回る途中で、泣きそうな声で言い出したのだ。


(でも、王太子殿下の大切な人に粗相があってはロカール侯爵家に泥を塗ってしまうわ!)


 忠誠心あふれるリゼは、すぐさまミリーを厨房に連れて行くことにした。



「おう、リゼ、どうした?」


 二階を隅々まで見たあと、二人は一階を見て回っていたところで、厨房はすぐ近くにあった。

 料理長が顔を覗かせたリゼに気づいて声をかける。


「料理長、何かすぐに食べられるものはありませんか?」

「何だ、めずらしいな」

「いえ、私ではなく、お客様が……」


 後ろに控えていたミリーがひょこっと顔を出す。


「料理長さん……! さきほどのお食事、とっても美味しかったです! ごちそうさまでした!」

「お、おお……そうか。良かった。しかし、感謝を直接伝えられるのなんていつぶりだろうなあ」


 前に出て、ぎゅっと手を握ってきたミリーに、料理長はまんざらでもないようだ。


「料理長……」


 ひそっと耳打ちしたリゼに、料理長はハッと我に返る。

 ミリーが「王太子の良い人」だということは、使用人の間でとっくに周知されていた。もちろんアルフィーの耳にも入れられている。


「ちょうど侯爵さまにお出ししようとしていたサンドイッチがありますよ」


 大理石のカウンターには、野菜やたまごを挟んだサンドイッチを並べた皿が載っていた。


「サンドイッチ? 先ほどのコースは?」

「侯爵様は執務室でお食事をとられることが多く……今日みたいに準備しても食堂においでにならないことが多いのです」


 首を傾げるミリーに調理長が苦笑いで答える。


「あんなに美味しいのに!?」

「……ありがとうございます。でも、残り物は私たち使用人で美味しく食べさせていただくので、そこはありがたいですかね」


 力いっぱい料理を褒めるミリーに調理長の頬も緩む。


「もしかして侯爵様は、みなさんに豪華で美味しい食事をとってもらいたくて、わざとたまにお越しにならないのでは!?」

「え? いえ、それは違……」

「侯爵様はやっぱりお優しい方だわ!」


 目をキラキラさせるミリーに、料理長も否定できず、へらりと笑った。


 ぐうう。ミリーのお腹が鳴って、リゼと料理長の視線が集まる。


「うう……すみません」


 顔を赤くするミリーに、二人の表情も緩む。


「ミリー様、召し上がってください」

「え、でもこれ、侯爵様のためのものでは」

「いらないと仰ったので」


 ためらうミリーに調理長がサンドイッチの皿を差し出した。


「ミリー様、アルフィー様がお食事をとられないのは日常茶飯事なのでお気になさることはありませんよ」

「……日常茶飯事? お腹がすいたらどうするの?」

「アルフィー様はお腹がすかないそうです。栄養剤でいつも済まされています」


 栄養剤は薬師が薬草から作るもので、主に病気で食事ができない人が使用するものだ。


「そんなの……ダメです!」

「ミリー様!?」


 サンドイッチの皿を持ったミリーは、すごい勢いで厨房を出て行った。

 ぽかんとしていたリゼが慌てて追いかける。


「え、ミリー様!? 早っ……!」


 廊下に出たリゼの目に映ったのは、二階に続く螺旋階段を駆け上がるミリーの姿だった。


「もう……まったく、何なの? あのお嬢様!?」


 ミリーが目の前にいないことで、つい本音が漏れ出てしまった。


「おい、それよりいいのか? あの様子だと、あのお嬢様、侯爵様に突撃するんじゃないか?」

「! それはいけないわ!」


 料理長の言葉に、ミリーを追いかけることを思い出したリゼだったが、すでにその姿は見えなくなっていた。



「侯爵様!」


 先ほどの見回りで間取りを頭に入れていたミリーは、アルフィーの執務室の扉の前に立って、扉をノックした。


「侯爵様!?」


 返事がない。


(まさか空腹で倒れていらっしゃるのでは!?)

「侯爵様、失礼します!」


 勢いよく扉を開け、中に入ると、執務机でペンを握るアルフィーが驚いた表情を向けた。


「何事だ?」

(あれ、お元気そう)


 ではなぜ返事がなかったのか。ミリーは入口で首を傾げた。


「……ソワイエ家では他人の部屋へ勝手に入ることを許しているのか」

「申し訳ございません。侯爵様がお倒れになっているのではないかと思い……。護衛対象になにかあっては遅いので、必要ならば押し入ります」


 アルフィーの冷やりとした言葉にも、ミリーはにっこりと答える。


「僕が倒れる? どうしてそう思った」

「呼びかけてもお返事がありませんでしたので」

「ああ……仕事に集中していた」


 書類に視線を戻したアルフィーに、ミリーは瞬時に駆け寄った。


「ご気分が悪いとかは?」

「な――っ」


 急に距離を詰められぎょっとするも、じっと見つめてくるミリーにうっとなる。


「だ、大丈夫だ」


 ぷい、と顔を逸らしたアルフィーの横でミリーがへなへなと机に突っ伏す。


「よかったあああ」

「……僕を心配して走って来たのか?」


 一つにまとめた栗色の髪が乱れているのを見て、アルフィーは思わず手を伸ばした。


「はいっ。侯爵様がお食事をとられていないと聞いたので」


 ぱっと顔を上げたミリーに、その手をさっと下げる。


(ぼ、僕は今いったい何をしようと……)


「料理長さんが作ってくれたサンドイッチです」


 そんなアルフィーには気づかず、ミリーは机の上にサンドイッチの皿を置いた。


「……いらない」

「食べないと本当に倒れてしまいます! お顔の色だってすぐれないし……」

「僕にはこれがあるから大丈夫だ」


 机の引き出しから栄養剤を取り出し、ミリーに見せる。


「それは、体力のない病人のために作られた薬です。食べられる人はちゃんとお食事から栄養をとらないと……」

「うるさい! 僕はずっとこれで済ませてきたからいいんだ!」


 つい口調が荒くなってしまったことにハッとし、アルフィーはミリーを見た。

 しかしミリーは真剣に考え込んでいて、ぽつりと溢した。


「ずっと……? だから背が伸びないのでは?」

「何だと!?」


 立ち上がったアルフィーは、自身がミリーと同じ身長だと気づく。


「お兄様たちはきちんと食べて、大きくなりましたよ?」

「~っ、お前ら脳筋一家と一緒にするな!」


 ミリーの言葉につい反応して言い返してしまう。


(本当になんなんだ、こいつは……調子が狂う)


 にこにこ笑ってこちらを見るミリーに、アルフィーは頭をガシガシとかいた。


(そうだ)


 言われっぱなしでは悔しいので、少し意地悪してやろうと、ミリーに近づく。


「侯爵様?」


 きょとんとするミリーの顎を持ち上げ、アルフィーが迫る。


「僕はこれから成長するんだ。今に君の背だって追い越すよ」

「きっとそうですわね。そのためにも食べませんと」

(あれ?)


 今まで、女性を黙らせるには効果的だったこの方法がミリーには効かない。

 拍子抜けするアルフィーの顔をミリーがじっと見つめる。


(うわ……まつげ長いな。それに何だか柔らかくて……)


 顎を掴んでいた手はミリーの頬に吸い寄せられるように移動していた。


「……侯爵様?」


 毒気のない栗色の瞳に、アルフィーは思わず唇を寄せそうになった。が。


 ぐううう。


「お腹……すいた」


 その場でミリーがへたり込んでしまったことで我に返った。


 

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