第6話 ラブレター
翌朝、学校に行くと、今日は上履きに画鋲が入っていなかった。しかし――
「な、なにこれ?」
代わりに予想外の物が下駄箱に入っていた。それは手紙だ。
え、うそ。もしかしてラブレター? だとしたらずいぶん古典的な……いや、そんなわけはない。私に恋愛感情を持つ人間なんて、この世にいるはずがない。
その場では開けず、教室に行って自分の席に行く。席に着いた後、誰もこちらを見ていないことを確認して、机の上よりも低い位置でさりげなく手紙の封を開ける。
中には、折りたたまれた便箋が一つ入っていた。便箋を開いてみると、角ばった男らしい字でこのようなことが書いてある。
放課後、体育館裏に来てください。あなたに伝えたいことがあります。
……これはまさかほんとにラブレターなのか?
いや、絶対からかってるだけだ。そうに違いない。
バッグの中に手紙を入れる。その後、教科書やノートを机の中に入れているところで、立華が教室に入ってきた。
立華はクラスメイトたちに朝の挨拶をされながら、こちらまでくる。
相変わらず人気者だ。私なんて、挨拶どころか見向きもされないのに……。
「おはよう」
今日も朝から晴れやかな笑顔を見せつけてきた。朝からよくそんな爽やかな顔ができるな……。私は朝、だるくて笑みを浮かべる気にならない……。
「おはよう」
「あれ、なんかいいことあった?」
「え、なんで?」
「だって、いつも仏頂面のモカちゃんが、今日は少し期待に満ちた顔をしてる……」
え、私そんな顔しているのか? まさかあの手紙に期待しているのか?
……いや、そんなはずはない。あの手紙は単なるイタズラだろう。期待なんてしていない。
「べつに、なんでもないよ」
「そっか」
立華はそれ以上追及せず、今日の宿題や英単語のテストについて話しはじめた。
期待なんてしていない。していないんだから。
放課後。決して期待していないし、十中八九イタズラだとわかってはいるが、万が一イタズラでなかったら相手に悪いので、いちおう体育館裏に向かった。
立華には、今日も一緒に帰るように誘われたが、用事があるので先に帰るように言っておいた。立華は怪訝な顔をしていたが、それ以上追求してこなかった。
校舎を出て、隣の体育館に向かう。五年前に建て替えられたらしいので、外も中もかなり綺麗な建物だ。体育館の入り口の前まで行くと、外周を回って裏まで行く。
そこに、一人の人物がいた。女子だった。しかも――
「き、鬼頭さん……」
「ア、アハハハハハハハハハッ!」
私を見るなり、鬼頭さんは大爆笑した。
「アハハ、ハハ、いやー、ほんとに来るとは思わなかったわー。まさか告白されるとか思っちゃった? マジうけるわー」
クソ、クソ。どうせイタズラだってわかってたけど、クソ!
「おまえみたいなクソブスが告白なんてされるわけないでしょー? 自分の顔を鏡でよく見ろよー。アハハハハッ!」
「……べつに告白されるなんて、思ってなかったわよ」
「おー、怖い顔。そして醜い顔。ただでさえ醜いのに、余計醜くなっちゃうよ?」
「…………何の用?」
憎しみを搾り出すように言葉を吐き出す。
「アハハ、何の用……か……とぼけてんじゃねぇゾッ!」
突として、鬼頭さんは私の胸倉を掴んできた。そして、みぞおちを同じ女子とは思えない力で殴られる。
「ぐっ、ゲホッ、ゴホっ!」
い、いきが、いきが、くるしい。
「おまえさ、先生に画鋲のことチクッたろ?」
「……ち、違う。私は先生に言ってない。それは立華が……」
「立華ちゃんのせいにしてんじゃねぇヨッ! ムカつくナァッ!」
鬼頭は私の左肩を殴った。バンッという鈍い音が響いた後、激痛が肩に広がる。そして、胸倉を掴まれていた私は、体育館の壁に向かって放り投げられる。壁に背中を叩きつけられ、私は地面に尻もちをついた。
「ち、違う。ほんとに私は言ってな――」
「言い訳言ってんじゃねェっ!」
胸を蹴られた。私はたまらず両腕で胸や顔を隠す。鬼頭はそんな私を蹴って蹴って蹴りまくる。
「ふざけんなヨッ! どうしておまえなんかが立華ちゃんと仲良くしてるんダッ! クソがっ! クソがっ! ムカつくんだよォッ!」
蹴られる。蹴られて、蹴られて、蹴られまくる。
鬼頭さんの細いけど筋肉質な足が、何度も私を襲ってくる。
痛い。イタイ。
イタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイッ!
「……はぁー、疲れた。今日はこのへんにしといてやるよ」
イタイ。イタイ。イタイ。イタイ。
「あ、もう立華ちゃんとは関わるなよ。これから先、立華ちゃんに話しかけるな。話しかけたら、次はもっとひどい目に遭わすから」
そう言い残して、鬼頭さんは去っていった。
私はしばらく泣き続けた。泣き止んだ後、手洗い場に行って顔を洗って、スーパーに行って帰った。
夕飯を作るのが遅くなったので、父に怒られた。
最悪だ。
*
次の日になった。昨日暴力を振るわれたところがアザになっている。痛みとそれによって蘇る昨日の嫌な出来事を引きずりながら、今日は登校する破目になった。
教室に入ると、珍しく立華が先に来ていた。
「おはよう」
「おは――」
立華に挨拶を仕返そうとして、やめる。鬼頭が、立華の三つ前の席からこちらをうかがっていたのだ。
話しかけたらどうなるかわかってんだろうな、という目で私のことを見ているのだ。
私が目を逸らし、黙っていると、
「……モカちゃん?」
立華が眉尻を下げて、か細い声を出す。
「モカちゃんどうしたの?」
私は立華を無視する。鬼頭さんは愉快そうにニヤけていた。
「モカちゃん……どうして返事してくれないの?」
心が少し痛むが、私は立華を無視し続けた。やがて、ホームルームが始まる。
休み時間も私は立華を無視した。
「モカちゃん、昨日のドラマ見た?」
「……」
「モカちゃん?」
「……ねぇ、どうして無視するの?」
「…………」
お昼のときも立華を無視した。
「モカちゃん、いっしょに食べよ」
「…………」
「モカちゃん?」
「…………」
私が相変わらず無視していると、鬼頭さんを含むクラスの女子たちが立華の元に来た。
「立華ちゃん、どうしたのー?」
「あ、なぜだかね、モカちゃんが私に返事をしてくれないの」
「なにそれー、ひっどーい。そんなやつ無視して私たちと食べようよー」
「あ、でもね、きっと、なにか理由があるだろうから……」
「立華ちゃん優しすぎー。そんなひどい人ほっとけばいいのにー」
「ひどくないよ。モカちゃんは優しいよ」
「えー。そんな無視してるのにー。私たちと食べようよー」
「ごめんね。私はモカちゃんと食べるから……」
それを聞いて、鬼頭さんは憎悪を湛えた目で私を見てきた。他の女子たちは苦虫を噛み潰したような顔をしている。
バカ。立華のバカ。ほんとバカなんだから。私なんてほっといて他の人と食えばいいのに……。
「一緒に食べてもいい?」
立華が儚さを感じさせる笑顔で問うてきた。私はそれでも無視をする。
「食べてもいいよね?」
「……」
立華は自分の机を私の机にくっつけだす。
「食べちゃうよ。モカちゃんも食べようよ」
立華は弁当箱を開けて食べだした。
「モカちゃんは食べないの?」
私はそっぽを向いてやりすごす。立華はそんな私を見て、困ったような笑みを浮かべた。
「最近ね、カリーパクパクってアーティストにはまってね。衣装も歌詞も変わってるけど、なんだかかわいくてね――」
私が無視しているのにも関わらず、立華は一方的に話しかけてきた。
……なんだかいたたまれない気持ちになってきた。さすがに少し罪悪感を覚える。
でも、それでも私は無視を続ける。
もう、このままこれからも無視してしまおう。私と立華は本来別世界の人間であるはずだ。一緒にいちゃいけない。これが良い機会だ。このまま無視し続けて、立華とは疎遠になろう。
そうした方が、面倒事が少なくなるし、イライラすることも減るだろう。お互いにとって、その方がいいはずだ。
だけど、なんでだろう。なんだか、少し寂しい気持ちがした。私は立華と一緒にいたいのだろうか。立華と一緒にいたら、周りから残酷な比較をされるし、嫉妬されるし、嫌な事だらけなのに……。
出し抜けに、グゥ、というマヌケな音が鳴った。立華が食べるのを止めて、目をぱちくりとしている。
顔がほてってきた。そう、音の発生源は私だ。私のお腹が鳴ったのだ。
「くす、くすくす」
立華は口を押さえて、上品に笑いだす。
「モカちゃんはかわいいなぁ」
喜色満面になる立華。
……かわいいなんて言われたの初めてだ。
いや、私の顔じゃなくて、仕草について言ったんだろうが……それでも私はなぜだかドキドキしていた。
いや、なんでドキドキしている……おかしいでしょ。
「モカちゃん、おなか空いてるんでしょ? 意地張ってないで食べようよ」
意地なんて張ってない。これには理由があって……。
……いや、もうやめだ。なんかバカらしくなってきた。後でどうなろうが、知ったこっちゃない。さすがにお腹減ってきたし。
「うん。食べるよ」
私が口を開くと、立華は破顔した。その顔が本当に可憐で、この世のどんなものよりも美しいんじゃないかと、思ったほどだった。
「よかった。喋ってくれて!」
「ごめんね。今まで黙ってて」
「ううん、いいよ、気にしてない」
「そっか。よかった」
「ねぇ、なんで私のこと無視してたの?」
「それは……ごめん。ちょっと言いづらい」
「あ、いいよ、べつに。こうしてまた私に話しかけてくれたしね。さ、早く食べよ。急がないと昼休み終わっちゃう」
私と立華は、くだらないことについて話し合いながら、弁当を食べた。鬼頭さんが悪魔のような形相で私を時折見ていたが、もうそんなのあまり気にならなかった。
放課後――
「モカちゃん一緒に帰ろ!」
いつものように、立華は私を誘ってきた。昼までの顔が嘘みたいに、今は曇りのない顔だ。
「う――」
私が返事をしようとしたそのとき――
「ごめんねー、立華ちゃん。モカさんは私とちょっと行くところがあって、立華ちゃんと一緒に帰れないみたいなんだー」
鬼頭が忽然と現れて、私の腕を掴みだした。しかも、すごい強い力で。
い、いたい……。
鬼頭が私の耳に口を近づけて、来ないと殺す、と囁いてきた。
私の体中から嫌な汗が出てきた。
「え? なにそれ? どこ? 私は行っちゃダメなの?」
立華は目を丸くして喋る。
「ごめん。それは秘密なんだ。二人じゃないとダメなんだ。ごめんね」
「え、そ、そうなの、モカちゃん?」
私のことを疑惑に満ちた目で見る立華。鬼頭さんが、さらに私の腕を握る力を強める。わかってるだろうな、とでも言うように……。
痛い。痛いよ。
「う、うん……そうなんだ」
笑顔をなんとか繕う。
「え、そ、そうなんだ」
立華は納得していなさそうな声を出して、不思議そうに私と鬼頭を見る。
「よし、じゃあ、行こうか、モカさん」
「う、うん……」
いまだ怪訝な顔をしている立華を置いて、私と鬼頭は教室を出て行った。
鬼頭についていくこと数分、また体育館裏に来てしまった。
「てめぇ、立華ちゃんに話しかけるなって言ったよなぁ?」
私を壁際に追い込んで、鬼頭は威圧的な表情になる。
「そ、それは、だって」
「言い訳なんて聞きたくねぇんだよっ! あーもうムカつくなァッ!」
鬼頭が大きなモーションで私の下腹部を殴ってきた。
イタッッッ!
イタイ……。イタイよ……。
「あー、ムカつくムカつくムカツつくぅッ!」
私は顔以外をメッタメタに殴られる。
イタイ、イタイ、イタイイタイイタイイタイイタイ。
「ど、どうして、そんなに私と立華が仲良くすると怒るの?」
痛みに耐えながら、なんとか声を出す。
「ああ!? ムカつくんだよっ! 私だってもっと立華ちゃんと仲良くなりたいのに、どうしておまえみたいなクソブサイクがいつも一緒にいるんダッ! アーッ! クソ! ムカつくムカつクゥッッッ!」
イタッ! イタイイタイイタイイタイ!
殴る力がどんどん強くなってきている。
もう、なんなのよ、この人。ここまで立華に執着して。立華のこと好きすぎでしょ……。
急にパンチの雨が降り止んだ――と思ったのも束の間、足を思いっきり蹴られる。私はあまりの痛みに足を押さえてうずくまった。鬼頭さんは容赦なく、そんな私にキックの嵐を浴びせてくる。
イタイイタイイタイイタイイタイイタイ、イタイ……。
「クソッ! ムカつくムカつくムカつクムカつくムカつくゥッ!」
鬼のような形相で私を蹴り続ける鬼頭さん。私はもう悲鳴を上げる気力すらなかった。
「何をやっているの!? 鬼頭さん!」
――立華の透き通った高い声が聞こえた。一瞬、幻聴かと思った。しかし、
「え、り、立華ちゃん……」
鬼頭さんが瞠目しているのを見て、私も振り返る。角を曲がって体育館の裏側に差しかかったところに、立華はいた。立華は目を鋭く細めて、こちらに走り寄ってくる。
「モカちゃん大丈夫!?」
「りっ、か……」
立華は姿勢を低くして、うずくまっている私の目線まで合わせてきた。立華の大きな瞳に、死にそうな顔をしたブサイクな私が映っていた。
「これはどういうことなの!?」
キッ、と鬼頭を睨む立華。
「あ、えと、こ、これは……その、違うんだ」
「なにが違うの!?」
「あ、えと……」
「ひどい……私の友達にこんなひどいことをして……許せない! どんな理由があろうと、絶対に許せないっ!」
「あ……」
崖から落とされたような表情になる鬼頭。立華は私に手を伸ばしてきた。一瞬、立華が救いの女神かなにかに見えた。
「モカちゃん、大丈夫? 立てる?」
「……うん」
私は立華の手を掴んで立ち上がる。
「鬼頭さん。もう二度と、私とモカちゃんに関わらないで」
そう吐き捨てて、立華は私の腕を掴んでこの場から離れていく。鬼頭さんは全く動かず、呆けた顔で突っ立っていた。
「大丈夫? モカちゃん。保険室寄ってく?」
「いや、いい。大丈夫」
「ほんと?」
「うん」
「ねぇ、どうしてあんなことされたの?」
ほとんど立華が原因だよ、と言いたかったが、やめておく。そんなこと言えるはずがない。
「いや、なんでだろう……わかんない」
「そっか……。まったく、ひどいことをする人がいるねっ!」
立華は怒りを足に込めているようで、地面を踏む力が少し強くなっている。
「明日、このことを先生に言わないと……」
立華の声は憤怒を帯びていた。
止めないと……。ありがた迷惑だし、どうせ不毛な結果に終わる。
「いいよ、言わないで」
「なんで!?」
「どうせ先生はまともに取り扱ってくれないだろうし、それに、たぶんもう、鬼頭さんは私に暴力を振るうことはないだろうから……」
立華に糾弾されたときの鬼頭の顔を思い出す。
「でも……こんなのひどいよ」
「いいの。大丈夫だから。ほんとに」
立華は不満そうな顔をしていたが、それ以上なにも言ってくることはなかった。
その後、私たちは手をつないで帰った。
次の日から上靴に画鋲を入れられることはなくなった。鬼頭から暴力をふるわれることもなくなった。たまに、憎しみに満ちた目で見られるけど、それだけだ。
少しの間、平穏な日々が続いた。といっても、相変わらず私のことをクラスメイト達たちは良く思っていないようで、しばしば虫を見るような目で私のことを見てくるが……。
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