第5話 無意識な偽善者
二年生になってから一ヵ月以上が経った。この頃には、立華はクラスの人気者になっていた。当然だ。立華は美人だし、勉強も運動もできるし、性格も良い。これで人気が出ないほうがおかしい。
まったく、神は二物を与えないんじゃなかったのか? 二物どころか三物も四物も与えているじゃないか。
神様はスペックの割り振り方がひどいと思う。
立華に対して、私の評判は日に日に悪くなっているような気がする。実際、この前こんな陰口を叩かれていた。
先週の金曜日の朝、私が教室に入ろうとしたとき、中からこんな会話が聞こえてきた。
「あのさー、立花立華さんといつも一緒に行動してるやついるじゃん。あいつまじキモくね」
「あー、私もそれ思ってた。超キモイよねー」
「あいつ、名前なんていうんだっけ?」
「たしか、たちばなもかって名前だったはず」
「うわ、立花さんと同じ苗字かよ。あんなのと同じ苗字とかかわいそー」
「立華ちゃん、なんであんなのと仲良くしてるんだろー。私なんてアイツの顔まともに見ることすらできないよ。見た瞬間あまりのキモさにゲロ吐きそうになるもん」
「あんなのにも優しくするなんて、立華ちゃんはほんと優しいよねー」
「ねー」
廊下まで聞こえてるっつうの。
さすがにそれ以上聞くのは嫌だったので、教室に入った。入った瞬間、既に教室にいた生徒たちの視線が私に集まった。そして、ソイツラは私からすぐ視線を逸らし、今度はドラマや音楽などについて話しはじめた。私に関する話題はパタッと止まった。
まったく、虫のいいヤツラだ。
だが、こうなることはわかっていたので、あまりショックは受けていない。二年生になってクラスが変わって、私を知らない生徒が大半を占めていたおかげで、これまでは安静な生活を送れていた。だけど、そろそろまた虐げられる日々が始まるのだろう。
実際、私に対して侮蔑の目を向けてくる人が、徐々に増えてきているような気がする。
それは立華の存在が影響しているところもあると思う。立華は人気者だ。にもかかわらず、ブサイクで根暗な私とばかり仲良くしている。そんな私に対して、クラスのみんなは憤りを覚えているようだ。
しかし、立華はそのことに全然気付いていないようで、常に能天気そうな笑顔で私にからんでくる。
こういうところ、ほんとムカつく。
ところで、中間試験が迫ってきていた。テスト三週間前から、私は勉強漬けの日々を始めている。
高校に入ってから、中学のとき以上に勉強している。この高校はかなりの進学校なので、中学のときとは違って頭が良い人だらけだった。だから中学のとき以上に勉強しないと、平均点も取れないのだ。一年のころ、中学と同じ感覚で勉強して、赤点ギリギリ回避くらいの点数を取っていた。それからはかなり勉強量を大幅に増やしている。
時が経過し、中間試験が終わって、テストが返却される時期になった。私はどれも平均点くらいだった。あれだけ勉強したのに……。
立華はというと、全ての教科が90点以上だった。しかも、私と比べるとはるかに勉強しないで、その点数を取っているみたいなのだ。
これは最後に残った数学のテストが返された日のことだ。私と立華はテストを見せ合った。平均点は62点。私は64点で、立花立華は98点だった。
「モカちゃん頭良いね!」
立華が私のテストを見て言う。
嫌味か、コイツ……。
腸が煮えくり返りそうになるが、なんとか押さえる。
「あはは、全教科90点以上の人がなにを……」
「たしかにそうなんだけど、でも、私はさ、すっごい努力してこの点だから」
「そうなの? どれくらい勉強したの?」
「テスト一週間前から毎日二時間はやってたなぁ。休日は五時間ぐらい」
私はテスト三週間前から毎日五時間は必ず勉強していた。休日は十時間勉強した。それで、これだ。
ほんと、笑っちゃうよ。
同じ人間なのに、どうしてこうも違うのだろう。
*
次の日。登校すると、校舎の一階に人が密集していた。特にある箇所に人が集中している。少し気になり様子を窺っていると、どうやら成績上位者の名簿が掲示板に貼り出されているようだ。
そういえばそんな時期か。立華はどれくらいの順位なんだろう。今まで興味なかったけど、ちょっと見てみるか。
掲示板の方に近づこうとするが、人が多すぎて前の方にいけない。しかたがないので、少し離れたところで我慢する。ここからだと、下位の辺りが人の姿で隠れて見えなかった。でも、上位十人辺りはここからでもはっきりと見える。そして、嫌でも目につく。一位の横に書かれている立花立華という名前を。
テストの点数から上位なんだろうなと予想はしていたが、まさか一位とは思っていなかった。しかも、二位とかなり差をつけている。二位の城ヶ崎浄という人が合計八百二十一点に対し、一位の立華は八百七十六点だ。
ちなみに私は合計六百二十二点だった。この二人に比べると全然たいしたことない。比べること自体おこがましいレベルだ。しかも、私は人一倍努力してこの成績なのだ。ほんと嫌になる。
「この立花っていう人、毎回一位だなー。すげぇなー」
「知ってる? この人すごい美人なんだよー。私一年のころ同じクラスだったんだけど、運動神経も良いの! それでいて性格も良い人なんだー」
「なにそれ、完璧すぎでしょ」
人ごみの中からそんな会話が聞こえてきた。どうやら私が知らなかっただけで、立華は成績において有名だったみたいだ。
他人の成績なんて今まで全く興味なかったからなぁ。
いまだ盛り上がっている集団を尻目に、私はここから去ることにした。
教室に入ると、既に立華は自分の席に座っていて、大勢の女生徒に囲まれていた。
「立華さん、上位成績者の名簿見たよ! すごいね!」
「え、なにそれ」
「成績上位者の名簿が掲示板に貼ってあるんだよ! それで、立華ちゃんが一位だったの!」
「え、そうなの!?」
「うん。すごいね! 立華ちゃんは!」
「そんなことないよー。人一倍勉強してるだけだよー」
立華はクラス中の女子たちに話しかけられていた。私は立華の隣の席なんだが、なんだかあそこに行きづらい。私が来たら、みんなきっと嫌な顔するんだろうな……。
しかたなく、教卓の横らへんで彼女たちがあそこから去るのを待つことにする。
待っている間、立華の周りにいない男子たちも、立華について話しているのが聞こえてきた。
「いいよなー、立華さん、美人で頭も良いなんて」
「なー。付き合いてぇなー。告白しようかな」
「おまえには無理だ。高嶺の花すぎる」
「うるせぇ。まぁ、事実だけど」
……立華はモテモテだな。当然か。あんだけ美人で頭も良くて性格も良いんだから……。
五分後、チャイムが鳴って、ようやく彼女らが立華の元から離れた。私は溜息を一つ吐いた後、自分の席に向かう。私が席に座ると、それを見た立華がなぜか安心したように一息吐いた。
「どうかした?」
「あ、いやね、モカちゃんといると落ち着くなーって」
「え、なんで?」
「いや、だってさぁ、なんかみんな私のことすごい褒めてきて……。嬉しいけど、私ほんとはそんなに褒められるほどすごい人間じゃないから、なんだか困っちゃうよ」
「……そうなんだ」
立華がすごい人間じゃないとは、私も思わないのだけど。
「モカちゃんは、私のこと特別視しないから好きだよ」
立華は苦笑する。立華はそう言うが、実際のところは私も特別視しているし、だれから見てもアンタは特別な人間だと思うが。
わかっていないのだろうか。自分がどれだけ恵まれている人間か。
こういうところ、ほんとムカつく。
「モカちゃんと一緒にいると安心する。モカちゃんがこのクラスにいてくれてよかった」
微笑む立華。男性が見たら、一瞬で恋に落ちそうな顔だ。
それにしても、なんで私はさっきから少しドキドキしているんだろう。こいつのことが好きなんだろうか。そりゃあ、確かに立華は美人だけど、コイツは女なのに……。
いや、さすがにそれはない。コイツに対しては、妬みしかない。……いや、ちょっとだけ、友達として好意は持っているが……ただそれだけだ。
昼休み。いつものように立花立華が弁当箱を取り出して、私に机をくっつけようとしてきた。そのとき、
「ねぇねぇ、立華ちゃん、一緒にご飯食べない?」
一人の女性徒が立華のところにやってきた。たしか鬼頭さんという人だ。短髪で背の高い女性だ。
鬼頭さんはチラッと私のことを見た。邪魔者を見る目だった。
……嫌な目だ。今まで何度もそのような目を向けられてきたので、慣れてはいるが。
「いいよー。あ、じゃあ、モカちゃんもいい?」
鬼頭さんが私を疎んじていることに気付いていないようで、立華は平然と私を誘ってきた。
バカ。ノウテンキ。アホ。勉強はできるくせに、こういうところは無神経なんだから。
「え……」
鬼頭さんが嫌そうに顔を歪める。
「どうしたの?」
それでもなお、相手が私を嫌がっていることに、立華は気付いていないようだった。
たくっ、ほんとこいつは……。
「あ、私はいいよ。一人で食べるから」
「え、なんで?」
立華がキョトンと私を見つめてくる。
クソ……。バカ。アホ。
「ほらほら、立華ちゃん、橘さんもそう言ってることだし。一緒に食べよ!」
鬼頭さんは嬉しそうに立華の手を取る。しかし、立華はその手を振り払った。
「……うーん、じゃあ、私も遠慮しとく。モカちゃんと二人で食べるよ」
「え……」
鬼頭さんが呆けた顔になった。そして、私をジロッと横目で睨んでくる。
っ……。
「あ、あのさ、私は一人で食べたいんだよ。立華」
私はもはや必死だった。だが――
「じゃあ、私も一人で食べるよ」
「なっ……」
鬼頭さんが目と口を大きく開いた。私も驚いていた。
立華……なんなの、あんたは。
「わ、わかった。ま、また機会があったら誘うよ」
鬼頭さんは苦笑いして去っていく。去り際に、憎悪を湛えた目で私を見てきた。
……ただでさえ嫌われているのに、恨みを買ってしまった。
「立華……どうして?」
「え、だって、いつも一緒にご飯を食べていたのに、私だけいきなり他の人とご飯を食べるのは悪いよ」
慈愛の女神のような顔で微笑む立華。なんだその顔は……ふざけるなよ。
「でも、立華はいいの?」
「いいよ、べつに。さ、そんなことよりも早く食べよ」
いつものように机をくっつけてはいないが、私たちは隣同士の席のまま、ドラマや音楽などのくだらないことについて話し合いながら弁当を食べた。
こんなの、一緒に弁当を食べているのと同じだ。
鬼頭さんが、私のことを時折睨んでいるのが見えた。鬼頭さんだけじゃない、他の女子たちも。女子だけじゃない、男子も私のことを睨んでいた。
立華のバカ……。ありがた迷惑なんだよ……。
放課後、また不幸が起きた。
「立華ちゃん一緒に帰ろ!」
鬼頭さんを含む女子の集団が、立華の元にやってきた。
「あ、ごめん。私、モカちゃんと帰るから」
「え……あ、そ、そうなんだ。残念」
誘ってきた女子たちが、悲しそうな顔を立華に向ける。しかし、去るときに汚物を見るような目で私を一瞥してきた。
……クソ。何やってんのよ、立華。また苛立たせてしまったじゃない。
「じゃ、帰ろっか」
私にいらん怒りを買わせている自覚がないんだろうか。立華は相変わらず天真爛漫な笑顔を私に向けてくる。
まったく、無知とはなんて恐ろしいんだろう……。
明くる日。学校に行って、昇降口で革靴を上履きに履き替えようとしたとき、上履きの中に画鋲が入っているのが見えた。
……ついにきたか。
高一の頃、いや、それ以前からも上履きに画鋲をよく入れられていた。だから、いつかくるだろうと覚悟はしていた。していたのだが、久しぶりのことだったからか、思っていたよりもショックを受けていた。
その日はそれ以上なにかされなかった。これぐらいなら何度も経験があるので、その日はまだよかった。
しかし、翌日になるとイジメがエスカレートした。
今朝も上履きに画鋲が入っていた。しかも、量が増えている。昨日は一つしか入っていなかったのに、今日は二つ入っている。
朝から憂鬱な気分にさせる。一体誰がやってんだ?
その日はそれだけじゃなかった。三限目の休み時間、立華とトイレに行って帰って来た後、四限目の教科である現代文の教科書を出そうとしたとき、教科書がなくなっていることに気づいた。
おかしい……昨夜と朝に今日必要な物がカバンに入っていることは確認しているし、ちゃんと机の中に現代文の教科書を入れたはずだ。
どうしよう……教科書を探す時間も借りる時間もない。そもそも他クラスに教科書を借りられるような仲の人なんていないが……。
チャイムが鳴ってしまった。
ああ、もう手遅れだ……。
仕方がない。教科書無しで授業をやり過ごすしかない。
なんか嫌な予感がする……。たしか、一年の頃にもこんなことがあったような……。
授業が始まってから数十分後、嫌な予感は的中した。
「よーし、じゃあ、橘茂花、ここ読んでくれ」
クソ……よりにもよってこんなときに……。私はなんて不運な女なんだろう。
私の席から右に一つと前に三つ離れた席にいる鬼頭さんが、私のことをチラッと見てきた。その目は愉快そうだった。
クソ……あいつか。ひょっとして、画鋲もあいつか?
「どうした? 橘茂花? 早く読め」
先生が早く読むよう促してくる。
どうしよう……どうしよう……。
「モカちゃんモカちゃん」
隣の席から立華が小声で話しかけてきた。
「な、なに?」
「はい。教科書、忘れたんでしょ?」
先生に見えないように、立華は手を自分の腰よりも下のほうに持っていって、教科書を渡してきた。
「え……、あ、ありがとう」
私も手をおしりよりも低い位置に持っていって、教科書を受け取る。
「あ、三十ページの一番最後の段落の始めからだよ」
立華はぼそぼそとした声で、ページ数まで教えてくれた。それから私は読み始める。私が読んでいるとき、チッという舌打ちがかすかに聞こえた。鬼頭さんのだろうか?
一年の頃と同じようになるのかと思った。立華がいてくれてよかった。このときは、心底立華に対して感謝した。
四限目が終わって昼休みになると、私はすぐさま教室のゴミ箱を見た。ビリビリに引き裂かれた本が中に入っていた。破られた紙を取り出していると、私の名前が書いてある破片を見つける。教科書の裏面の隅だったところだ。
あーあ、また新しく買わないといけないなぁ。まぁ、今回は現代文の教科書だけだったからまだマシか。
「どうしたの? モカちゃん?」
透き通った声が後ろからかかる。振り返ると、いつのまにか立華が後ろにいた。
「い、いや、なんでもないよ」
コイツにこのことが知られたら、またいらんことをしそうな気がする。
「そう? 早くご飯食べようよ」
「う、うん」
立華は眉を曇らしていたが、それ以上追求してこなかった。
*
イジメはさらに激しさを増す。翌日、上靴の画鋲は増えていた。一気に三倍の六個になっている。
これ、どんどん増えていくのかなぁ……。
「モカちゃんおはよう!」
ビクッと体を大きく震わせてしまった。立華が後ろから声をかけてきた。
こんなときにかぎって……今日はいつもより少し学校に来るのが早い……。
「……どうしたの? そんな上靴の中をジロジロと見て?」
立華に上靴の中を覗きこまれた。
「それ……画鋲……」
しまった。見られてしまった。
「ひどい……だれがやったの?」
立華の顔つきが険しくなる。
怒っているところを初めて見た。
「べ、べつに誰かにやられたわけじゃないよ、たぶん」
「じゃあ、どうして上靴に画鋲なんて入っているの?」
「それは……」
「だれかにやられたんでしょ?」
「い、いたずらだよ、ただの……」
「画鋲を上靴に入れるのがイタズラ? イタズラですませられるレベルじゃないでしょ!」
立華が声を荒げる。普段の声からは想像もできないような声だ。
「私、クラスのみんなに聞いてみる。誰がやったか探すよ」
「い、いいよ、そんなことしないで」
「よくない」
「しないでいいって」
「なんで!」
「このぐらい平気だからさ」
「うそ。こんなことされて平気なわけない」
立華は大股で歩いていく。私は慌てて走り、立華の腕を両腕で掴んだ。
「おねがい。やめて。おねがいだからさ」
「……わかったよ。そこまで言うならやめるよ」
「うん……ありがとう」
「なんで礼を言うのよ。礼を言う必要なんてないじゃない。モカちゃんはもっと怒るべきだよ」
「……そうだね」
「まったくもう。次入れられてたら、その時は絶対一緒に犯人探すよ」
「……うん」
うんと言ってしまったが、どうしようか。絶対明日も入れられてるし……。あーあ。
次の日。立華と時間がかぶらないように、早めに登校する。上靴の中を覗くと、やっぱり画鋲が入れられていた。それも7個。昨日より一つ増えている。
それにしても、もう入れられているのか。いったいいつ入れられているんだろう。昨日の帰りだろうか、それとも今日の朝か?
教室に行くと、まだ鬼頭さんの姿がなかった。鬼頭さんが犯人だとしたら、昨日入れたことになるのか……。
しばらくして、立華が教室に入ってきた。私の隣までスタスタと軽やかな足取りで来る。
「おはよう」
私にピカピカと光ような笑顔を見せてきた。相変わらず、朝から爽やかなやつだ。
「おはよう」
「画鋲入れられてた?」
「ううん、今日は入れられてなかったよ」
「ほんと?」
「ほんと」
「そう。ならよかった」
私はうそをついた。だって、立華が犯人なんて捜したら、余計私への不満が強くなるだろうから……。
「よーし、おまえら席につけー」
担任の先生が来て、ホームルームが始まる。先生は来週に行う球技大会について話す。その日、男子はサッカー、女子はバレーをやることになっている。正直どうでもいい話だったので、私は先生の話を適当に聞き流して、これからも続くであろうイジメについて考えていた。
どうしようか……いつまでも立華に隠し続けられないだろうし……。でも、立華に言ったらまた余計なことをしそう。どうしたもんかな……。
「よし、球技大会については以上だ。あ、それと、今日はもう一つ言わなければならないことがあった」
先生が話題を変えるようなので、いったんイジメについて考えるのは止めて、先生の話に意識を向けることにする。
「あー、昨日、橘茂花さんの上靴に画鋲が入っていたようなんだが。だれか心当たりあるか?」
え!?
え、うそ。どうして先生がこの話を……。まさか。
私は立華を見る。立華は苦笑して、
「勝手に行動してごめんね。モカちゃんにはああ言われたけどさ、やっぱりこのままじゃいけないと思ったんだ。だから、昨日の帰りにそのことについて先生に言っておいたんだ」
「そ、そうなんだ……ありがとう」
礼を言ったが、内心では怒りが噴火していた。
クソ。余計な事をしやがって。ありがた迷惑なんだよ。
いったいこれからどのような展開になるんだろう。私は不安だった。今のところは先生の問いかけに対して、誰も手を挙げなかった。みんな、なんの反応も示していない。
「ほんとに誰もやっていないのかー?」
先生が猜疑に満ちた声で言うと、手を挙げるものがひとり出てきた。鬼頭さんだ。
「せんせー、他クラスの人がやった可能性もあると思いまーす」
私はこのとき確信した。あいつがやったに違いない。
「たしかに……それもそうだな。だが、もしこの中にやったという人がいるなら、もうこれからはやめろよ。以上だ」
「え、そんだけ……」
立華は小さな声をこぼす。
それについては私も思った。あまりにもあっさりしすぎている。
「じゃ、ホームルームはこれで終わりだ」
そこで、ホームルームは終わってしまった。先生はとっとと去っていってしまう。
「え、そんな……もっと詳しく探るべきだよ。どうして……」
立華が苛立ちや不満を含んだ声音で呟く。
私もあっさりと終わらせた教師について憤りを感じていたが、それと同時にまぁこんなもんだよな、とも思っていた。
イジメなんて先生にとってみたら、めんどくさいものでしかないだろう。私も先生と同じ立場だったら、生徒のドロドロとしたイジメなんて関わりたくない。
「先生は真面目に取り組む気があるの……?」
立華が授業が始まるまで、ずっと先生への不満を口にしていた。
帰りのショートルームが終わると、立華はすぐ教壇にいる先生の方に行った。
「先生、もっと画鋲を入れた人を探るべきじゃないですか?」
立華がそう言うと、先生は明らかにめんどくさそうな顔をした。
「あー、でもな。みんな手を挙げていないしなぁ。他のクラスについては、それぞれの組の担任にその件について触れてもらうよう、先生が言っておくから。まぁ、これでまた画鋲を入れられるようなことがあったら、もうちょっと細かく調べることにしよう」
先生はそれだけ言うと、そそくさと歩き出した。
「あ、先生!」
立華は引きとめようとしたが、先生は止まらず、逃げるように去っていってしまう。
立華はそんな先生の後姿を見て、歯ぎしりをした。
「もう……なんなの。先生なのに……」
悔しそうな立華。それに対して私は、先生の態度に呆れや失望を感じてはいるが、あまり大げさに扱われなくて安堵もしていた。
今までの経験だと、イジメが発覚して先生が大げさに扱えば扱うほど、イジメは惨たらしいものになったので、これでよかったと思っている。
たしかにイジメを取り上げることで、表面上のイジメ――殴る蹴るなどの目に見えやすい暴力的なイジメは減った。しかしその代わりに、無視されたり、悪口を言われたり、体育などで一人だけグループに入れられなかったりといった、目に見えにくい陰湿なイジメが激増したのだ。私としては、この陰湿なイジメの方が辛かったのだ。
「先生だって、忙しいんだよ。あまり責めないであげよう」
私がそう言うと、立華は目を柔らかく細めた。
「……モカちゃんは優しいね」
……べつに善意で言ったわけじゃないんだけどな。これ以上、立華に面倒なことを起こしてほしくないから言ったにすぎない。
「そんなことよりさ、早く帰ろうよ」
立華は私の言葉に頷いた。
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