第25話 アリスサイド08——光属性のアリス姫が闇落ちした理由——

 だが……肝心のわたしの足はまるで動いてくれない。

  

 わたしは恐怖のままその場に立ち尽くすだけであった。


 一度は死を覚悟したはずなのに……それなのに……。


 わたしは情けないことに生への執着と死への恐怖でただ震えることしかできなかった。

  

 そして、ケルベロスは、わたしの情けない態度を獲物が抵抗できないと認識したのか、わたしの方にゆっくりと近づいてくる。

  

 わたしはその瞬間、自分の終わりが否応無しに脳裏に焼き付いてしまう。

  

「こ、こっちだ! お、おい! こっちにこい!」


 と、その時、ライナスが何かを手に持って、両手をバタバタと振り回して、ケルベロスに向かって叫んでいた。

  

 いったい……ライナスは何をやっているのだ。

 

 これではケルベロスの矛先がライナスの方に向かうのは火を見るよりも明らかだというのに……。


 ケルベロスは案の定ライナスのそのあからさまな挑発に対して、ひときわ大きな咆哮を上げる。


 そして、その巨体をライナスの方へと向ける。


 ケルベロスに睨まれたライナスは明らかに動揺しているようで、その足はわたしよりもガクガクと震えていた。


「お、思い出せ! お、思い出せ! け、ケルベロスは……み、3つの頭の内の右が……そ、そうだ! た、確かバグで致命的に弱かったはず……い、今の俺でも

そこをつければ……い、いや……でもゲームの画面で右って……リアルじゃどっちなんだ……い、いや……そもそもこんなデカい顔に攻撃なんて……」

  

 ライナスは恐怖のあまりなのか、理由のわからないことを口走ってさえいた。

  

 そう……ライナスは、どう見てもわたしと同じように……いやわたし以上に、ケルベロスに対して、怯え、恐怖にふるえている。


 当然だ。

  

 どんな人間だって、こんな魔獣を前にしたらただ怯え震えるしかできない。

 

 そう……仕方がないことなのだ。 

 

 今のわたしのように……

  

 それなのに……それなのに……ライナスは動いた。


 自分のためではなく、わたしの……他人の……奴隷の命を助けるために……。


 驚くべきことに、ライナスはわたしのことを救うために、ケルベロスの標的になろうとしている。

 

 この事実は疑いようがない。

 

 真実ライナスはわたしの……奴隷の命を救おうとしている。

 

 自分の命を賭して……。


 どうして……なぜ……なの……

 

 なぜ……なぜ……そんなことを……あなたはできるの……。


『アリス、その人間のことを本当に知りたいのならば、その人間が真に追い込まれた時の行動をみなさい。人は口先では何とでも言える。どうしようもない時にどう行動するか……それが人間の本質なんだよ』



 父様に言われた言葉が脳裏に宿る。


 この数ヶ月ずっと頭からこびりついて離れないあの光景とともに……。


 わたしは……あの時……あの時……動けなかったのに……。


 父様と母様とみんなが帝国の手によって処刑された時……わたしは動けなかった。


 わたし一人ではどうにもならないから、仕方がなかったのだ。


 それよりもわたしが逃げることが……王族の血を絶やさないことが王国のためになるから……仕方がなかったのだ。


 違う! 違う! 

 わたしは結局自分の命が惜しかったのだ。

 

 わたしはあの時、動くべきだったのだ。

 

 近衛の手を振りほどいて、地下水路から這い出て、帝国兵の前に立つべきだった。

 

 たとえ、無駄死になろうとも、わたしは動くべきだったんだ!

 

 処刑の瞬間、わたしは父様と目が合った。

 

 あの目は……。

 

 父様はわたしの本心を……本質を見抜いてしまったのではないか……。

  

 自分の命を優先する臆病で愚かなわたしの本質を……。

   

 そして、わたしは今も動けない……。

  

 民を守る義務がある王族なのに……。


 ライナスは動いた。

  

 何の躊躇いもなく……。

  

 あなたは……あなたはいったい……

  

 わたしは混乱する心の中でただそう叫んでいた気がする。

  

 その後、何が起きたのかわたしはおぼえていない。

  

 ケロベロスの大きな咆哮とライナスの叫び声だけが聞こえた。

  

 そして、わたしは血だらけで倒れているライナスの体に子供のようにただ必死にしがみつくことしかできなかった。


 ーーーーーー

 当初の想定より長くなってしまいましたが、ひとまずアリスサイドの過去編はここまでです。

 次回はお待たせしましたが、ライナスサイド(現在)になります。

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