第26話 猫耳幼女に泣かれて不審者扱いをうける

 俺の屋敷は街外れにある。


 もっと、正確に言えば、屋敷は、街を囲む壁の外にある。


 だから、街外れではなく、街の外にあるといってよい。

 

 実際の場所も街よりもむしろ森に近い。

 

 近くには小川が流れていて、辺りには草木が繁茂している。


 のどかな田園地帯といった風景が広がっている。

 

 5年前……転生する前のコンクリートジャングルたる都会のボロアパートに住んでいた俺ならば住むにはもってこいの場所と思ったことだろう。


 が、この世界では、むしろ自然豊かというその特徴は欠点にしかなりえない。


 つまり、人の手が及んでいないということは魔獣が現れるのと同意義だからだ。

 

 ただでさえ俺が拠点としている街は辺境地帯だ。

 

 俺が住む街は、一応は独立した小王国に属する伯領の領都となっている。


 が、とうの主たる伯爵の姿を見かけたことはこの5年で数回程度だ。


 不釣り合いに豪奢な屋敷だけが、街の中心部にあるだけで、主はずっと留守のままだ。


 伯爵もこんな何も無い辺境部に滞在したくないのだろう。


 あたりに何か貴重な資源がある訳でもない。

 

 それどころか街を少しばかり行けば、未踏の大森林が広がっている。

 

 要するにあまり管理されていないし、管理するメリットもない。

 

 半ば放置状態なのである。

 

 そのため、街の近くにも関わらずこの辺りは、魔獣が出没することもある。

 

 さすがに大森林の中に生息しているような危険な魔獣は滅多に出現しないが、それでも魔獣は魔獣である。


 普通に前世で言えば熊レベル……いやそれ以上に危険である。

 

 まあ……たまに非常に危険な魔獣……ゲームで言えば中盤に出てくるようなモンスター——ケルベロス——が出現する場合もある。

 

俺の場合、運が悪い……いやこれまたゲームであれば運が良いのだろうが……ことに、初バトルがそうしたケースであった。

 

 あの時は死ぬかと思ったな……。

 

 と……俺は当時受けた自分の体に刻まれた傷跡をチラリと見て、さする。

 

 同時に過去の記憶を思い出す。


 そういえばあの頃はまだアリスもここらの魔獣程度にも苦戦……いや怯える少女であったな。


 今ではアリスは立派に成長した……いやし過ぎているから、たぶんケルベロスの方がアリスを見た途端に逃げ出すだろうが……。


 そう考えれば、やはり5年という月日は長いものだ。

 

 色々なことが変わっていく。

 

 が……肝心の俺とアリスの関係性だけは変わらない……嫌われたままだ……。

  

 俺はふうとため息をついて、視界を森から街の方へと……そして、思考を過去から現実へと戻す。


 とにかく、このエリアは森に近いのだが、かといって、魔獣を阻む物理的な障害はなにもない。


 せいぜい小さな川が行く手を阻むくらいである。

 

 そんな危険な地区に好きで住むものなどほとんどいない。

 

 よほどの理由がない限り……。

 

 しかし、この地区に住む人々は意外なほどに多い。

 

 俺が自分の居住エリアにこの場所を選んだ……というより選ばせられた……のはやむを得ない理由からであった。

 

 奴隷商人……という生業は一応この王国では合法ではある。

 

 が……法的に認められているからといって、人々が心情的にそれを許すかは全くの別問題である。


 この王国では……いやきっとどこでもそうだろう……奴隷売買に従事している人間は卑賤な者たちと人々からみなされる。


 要するに奴隷商人はよくて下級市民……悪ければ厄介者扱いなのである。


 当然、貴族が住むような街の中心部はおろか、壁の中に住むことすら許されていない。


 そして、俺のように壁の中に住むことができない輩は存外多い。


 その多くは俺のように人々から白眼視される者たちである。


 孤児や食い詰めた者、あるいは獣人といった非人族である。


 そして、どの社会でもそういう人間たちがいきつく先は決まっている。


 中心から外れた辺縁……俺がいまいるような場所に集まるものである。


 まあ……要するにここは貧民街だ。


 俺は周りを警戒しながら、ボロいフードを顔に深くかける。


 そして、匂いを確認する。


 ……うん……大丈夫だ。


 この匂いなら彼女たちの鼻もごまかせるかもしれない。


 俺がこうして周囲を気にするのには理由がある。


 こういう流れ者が集まる貧民街は治安が悪いのが相場である。


 この貧民街も5年前までは治安がすこぶる悪かった。


 が……今はそうではない。


 むしろ街の中心部よりも良いくらいだ。


 魔獣もとある理由からすっかり出没しなくなった。


 だから、今俺が警戒しているのは別の理由である。


 俺がこうもビクビクとしているのは——


「あ……ライナス様」


 俺がいつものように屋敷へと続く道を歩いていると、一人の幼女が駆け寄ってくる。


 し、しまった……さっそく気づかれてしまったか……。


 たしか……この子は、最近流れ着いた獣人の孤児の一人だったな……。


 俺の服にしがみつき、その幼い顔に似合わないずいぶん深刻な表情をしている。

 

 というより、今にも泣きそうな顔をしている。

 

 さすがにこの状況で、素知らぬ顔をして通り過ぎる訳にはいかない。


 「え、えっと……どうした?」


 「……ライナス様……ライナス様どうして最近ここにきてくれないの? やっぱりライナス様もわたしたちがケモノだから、人と違うからキライになっちゃったの?」


 「え……」


 「……わたしを……わたしを……また捨てるの……どこかに売るの……イヤだよ……わたしここにいたい……残りたい……」


 幼女はそう一方的に言うと、大声で泣き出す。


 ところで、俺は子供と動物、それに女性が昔……いや前世から苦手だ。


 俺は感情を表に出すのが苦手である。


 まあ……もっと直接的に言うならばコミュ障だ。


 飲食店でタッチパネルが導入された時は歓喜したし、スーパーやコンビニでは必ずセルフレジを使う。


 電話は大の苦手で、可能な限りネットやメールで用をすます。

 まあ……滅多にかける用事もなかったが……。


 とにかく……そんな男であった。


 対して、子供やペット、それに女性はコミュニケーションを取ること、表情豊かに振る舞うことを重視する。


 だから、そういう者たちと話すと、たいてい無用の誤解を招くことになる。


 前世では犬猫からは無駄に吠えられて、子供には泣かれて、女性からはキモがられたものだ。


 そして、眼の前の猫耳の幼女はその属性をすべてもっている。


 案の定、俺はさっそく対応に苦慮する。


 俺が獣人たちに対して偏見なんて持っているわけはない。


 彼女たちは、もうかれこれ5年間近くここで一緒に生活をともにしているのだから……。


 だが、そういう理屈を言ってもなんとなく通じないような気がする……。

 

 俺はなんとか表情筋を動かして、


「あ、あのな……別に俺は獣人に対して偏見なんてない。だから、ここから追放したりなんてしない」


 そう言ってニッコリと笑顔を作ったつもりであった。


 猫耳幼女は俺の顔をじい〜っと見つめる。


 そして、しばらく見たあとで、その可愛らしい顔を思いっきり歪めて……


「うあぁん! ウソだよぉ!! ライナス様の顔……ウソの笑顔だもん……やっぱりライナス様はわたしのことキライなんだぁ!!」

 

 猫耳幼女の声が一段と高くなる。

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