第9話 なぜかヒロインが主人公をワンパンしているのだが……

「ええ。そうです。アリス姫、さあ……一緒にこの男を——」


 ルシウスが持ち前の美しい顔に白い歯をキラリと浮かべて、爽やかな微笑を浮かべている。

 

 ついに最後の会話が終わってしまった。

 

 俺が絶望に震えながら、アリスとルシウスを見ていた。

 

 次の瞬間……二人が俺の視界から消えた。

 

 は、速い……いったいどこに……く、来るのか!

 

 防御したところでどうにもならないが、それでも本能的に俺は、二人の攻撃に備えて身を固くする。

 

 その瞬間、耳をつんざく爆音がこだました。

 

 俺は反射的に両手で体を守り、その場にうずくまる。

 

 いったい何が……。

 

 俺は警戒しながら、あたりを見回す。

 

 と……俺のすぐ真横にアリスがいた。

 

 い、いつの間に……な、なんて速さだ……

 

 瞬間、俺の全身は硬直した。

 

 動きたいけど、動けなかった。

 

 それほどにアリスは見たこともないほどに怖い顔をしている。

 

 死……その一文字が俺の脳裏を支配する。

 

 そして、俺は無意識にギュッと目をつぶる。

 

 それからどれくらいの時間が流れたのか。

 

 たぶん現実には数秒ほどだったのだろう。

 

 だけど、俺には数十分にも感じられた。


「よくも……よくも……奪ったな……わたしとご主人様の絆を……神聖な絆を……」

 

 ……何も起こらない。


 かわりにアリスの怒りにみちみちた言葉だけが聞こえる。

 

 俺はおそるおそる目を開ける。

 

 そこには予想通りアリスと……ルシウスがいた。

 

 だが……ルシウスは……店の壁にめりこんでいた。


 いつのまにか、店の壁は瓦礫とともに無惨にも崩壊していた。


 そして、ルシウスの顔は赤く……血に染まっていた。


 彼の顔だけでなく、全身もズタボロになっていた。


 光輝いていた鎧は粉塵まみれになり、関節もあらぬ方向に曲がっている。


 ルシウスの表情も一変していた。


 先ほどの自身満々な表情から、驚愕と恐怖に満ち満ちた顔へと……。


「ひぐぅ!!…ああ……う、腕がぁあ!! あ、アリス姫ぇ!!……な、なぜこのようなことをするのですかぁ!!」


 ルシウスはそう絶叫している。


 アリスはといえば、そんなルシウスのことを殺気に満ちた視線で見つめている。


 あれは俺ではなくルシウスに向けたものだったのか。


 では……これはアリスがやったのか。


 しかし……奴隷紋は確かに解呪されていたはず……。


 いったいなぜ……。


 俺の疑問をよそに、アリスは倒れているルシウスの目の前まで近づく。


 ついで、無言のまま前かがみになって、ルシウスを覗き込む。


「……安心しました。まだ息があるようですね。つい感情にまかせてしまったけれども……意外と頑丈でよかったわ」


 そうつぶやくと、アリスはルシウスの喉を無造作に片手で掴む。


 次に、アリスはそのまま軽々とルシウスの身体ごと持ち上げて、無理やり立たせてしまう。


「い、痛いです!! や、やめてくださいぃ!」

 

 ルシウスの先程よりもさらに悲痛な甲高い絶叫があたりにこだまする。

 

 先ほどの影響で、耳がいささかバカになっている俺の鼓膜越しにもその声は聞こえた。


 言い換えれば、ルシウスにとっては、それほどの痛みだったのだろう。


 それにしても……ルシウスの声……だいぶ声質が変わった気がする。


 妙に女性っぽいというか——。


「……返しなさい。わたしとご主人さまの絆を……」


「何をいっているんですか!! あれは……奴隷紋……あなたを縛るものですぅ!……なぜぇ……こんなことを——」


 と、次の瞬間、なにか大きな音が近くにこだました。


 俺が目をみはると、ルシウスのすぐ近くにあった瓦礫の山がいつのまにか消えていた。


 パラパラと粉塵だけがあたりを舞っている。


 俺にはほとんど見えなかったが、アリスの拳がわずかに動いていたように見えた。


 まさか……アリスが……やったのか……拳だけで……。


 俺は思わず戦慄してしまう。


 あの拳を俺が受けたら——。


「い、いやぁ!! は、離して!」

 

 と、ルシウスがそう絶叫すると、近くの床に倒れていた聖剣が不意にまばゆい光を放つ。

 

 アリスはその光に一瞬たじろぎ、ルシウスはその隙を見て、アリスの拘束から脱出する。


 そして、落ちている聖剣の元へと駆け寄り、その切っ先をアリスではなく、俺に向ける。


「奴隷紋は確かに解呪したのに……なぜなの……あ、アリス姫……あなたはこの男にいったい何をされたというのですか……」

 

 聖剣を手にしたためか、こころなしかルシウスの態度は幾分か冷静さを取り戻していた。


 しかし、顔は相変わらずこわばったままだ。


 余裕がないせいか、口調もだいぶ素が出ているように見えた。


 少なくとも最初の時のように演技がかった口調ではもはやない。


 声も高くまるで女性のように聞こえる。


 これが地声なのだろうか。


 余裕をなくした分、ルシウスは先程よりもあからさまに俺に敵意を……いや殺意を向けていた。


 今にも斬り掛かってきそうな勢いである。


「5年間もこんな男の奴隷生活を強いられたのだから、アリス姫……かわいそうに……あなたは、きっとこの男に精神を狂わされてしまったのですね。

それにこの聖剣の反応……間違いなく彼女は闇に取り込まれている。こんなになるまでアリス姫を虐げるなんて……許せない!」


 俺に対する義憤のせいか、聖剣の影響なのか、いずれにせよルシウスは再び意気を取り戻しているように見えた。


 

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