第5話 ヒロインがいつのまにか闇魔法をマスターしているんだが……


「ご主人様……それはいったいどういうことでしょうか……まさか……わたしを捨てるというのですか? わたしがどんなに求めてもずっと応えてくれずに……新しい女たちばかり、この地に集めていたのはやはり……」


 俺はアリスの異常な殺気に足を震わせながら、なんとか言葉を続ける。


 だ、大丈夫だ……あ、アリスは誤解をしているだけだ。


 アリスに施された奴隷紋を放置する訳ではない。


 ちゃんと奴隷紋を解呪した上で、アリスを解放すると説明すればわかってくれるに違いない。


「ち、違う。あ、アリス……安心してくれ。奴隷紋はしっかりと解呪するよ。そ、そのための術者も実は手配しているんだ。けっこうお金はかかったけど、それくらいの蓄えはあるし。だから——」


「ご主人様……この紋を……ご主人様とわたしとの神聖なつながりを消すというのですか……。失礼ながら……説明を……説明を……詳しい説明を求めます。説明次第ではわたしは——」

 

 アリスが言葉を発するとほぼ同時に、アリスを中心とした半径数メートルの空間が歪み始めた。

 

 そして、空間の色は消し去っていき、漆黒の闇が侵食をはじめる。


 アリスの足元の床はまるで巨大な重みに耐えかねたように、グシャリと崩壊していく。


 こ、これはまさか……最終形態のラスボスが使う闇属性の極大呪文グラビティブレス……。


 俺が以前に見たのはゲーム……しかもドット絵の荒い描写だ。


 今目の前に顕現しようとしているのは、超高画質4K……どころか実写——8K——だ。


 いやあ……あのラスボス専用の極大呪文を8Kで見られて、質感をもってこの体で味合うことができるなんて……。


 まさにゲーマー冥利につきるなあ……。

 

 ……って……現実逃避している場合じゃないぞ。

 

 あんな凶悪な魔法をマトモに受けたら、ラストダンジョン近くの主人公パーティーだって瀕死になる。

 

 むろん奴隷商人の俺は即死間違いない。

 

 ……というか、そもそもアリスって光属性だろ……。

 

 少なくとも1年前までは光属性しか使えなかったはずだ。

 

 ゲームでもアリスはどんなにレベリングしても闇属性の魔法の習得はできなかったはずだ。

 

 それが……なんで闇属性の……しかもその最高峰の魔法を使えるんだ……。

 

 しかもラスボスでも発動に数ターンくらいかかったよな……。

 

 なんか「銀河の法則が乱れる……」的な中二病心をくすぐる煽り文が出てきて……。

 

 だからその間、バフを施したり対策をかけて耐えるというのが定番だ。

 

 それなのに、なんでアリスはこんな即時に発動ができる——。

 

 まてまて……そんなことは今はどうでもいい。


 それよりアリスを止めないと、このままでは俺の命は……いやそれどころかこの店……街が——。


 俺は半ば頭がパニックになっていた。


 頭の中には無数の考えがごちゃごちゃといったりきたりするだけで、何も有効な手は打てなかった。


「わたしがこの数年間どれだけご主人様のことを求めてきたか……それなのに……ご主人様はいつもいつもわたしを無視して……この場所に新しい女ばかり連れてきて……」


 アリスはただブツブツと何かを言っている。


 そして、虚ろな目をして、その瞳をただ宙に向けている。


 そんな状況であっても、皮肉なことにアリスの美しさは色褪せることはない。


 俺は破滅の美に見出されたかのようにアリスから目を離せなかった。


 アリスの周りの漆黒はどんどん濃くなり、空間の歪みはますます広がっていく。


 もはや床は完全に闇に溶け込み、アリスは宙に浮いているように見えた。


「フフ……そうよ。こんな店があるから、余計な女が集まってくるのよ……無くしてしまえばいい……そうすればまたあの時みたいにわたしはご主人さまと二人きりで……フフ……」

 

 アリスは虚空を見ながら、何かを言っているようだが、俺の耳にはもはや届かなかった。

 

 俺はもう半ば諦めていた。

 

 何でもすぐ諦めてしまうのは俺の悪い癖であるが、しかたがない。

 

 努力して何かを手に入れようとしても、報われないがことが多すぎて、そういう習い性が染み付いてしまった。

 

 それは転生してもそうそう治るものではない。


 ……二度目の人生も報われなかったな……。


 俺の脳裏に走馬灯というには短すぎる5年間の月日が頭を駆け巡ってくる。


 その映像にはいつもアリスがいた。


「まあでも……ずっと好きだったアリスと一緒にいられたのだからよかったか……」


 アリスのような美人が俺の側にいてくれた……。


 しかし……それはアリスの意思に反した強制したものだ。


 だから、そんな奴隷商人である俺が報いを受けるのはある意味で当然のことなのだ。

 

 俺は目を閉じて、最後の時を待つ。

 

 が……いつまで経っても何らの衝撃も体には感じなかった。

 

 おそるおそる目を開くと、そこにはアリスがいた。

 

 アリスは、なぜか呪文の詠唱をストップしていた。


 俺の祈りが神……いや異世界だから女神なのか……に通じたのか……。


 俺はその時はじめて一度も会ったことがない女神の存在を信じかけたくらいだ。


 た、助かったのか……。


 俺はそう思った瞬間、思わずその場に崩れ落ちて、膝をついていた。


 そして、情けないことにそのまま腰が抜けてしまったらしく、俺は尻もちをつく。

 

 ふと見上げると、アリスが、とても驚いたような表情を浮かべて、目を大きく見開いてじっと俺を見ている。

 

 両手を口元にあてて、気のせいか頬も朱色に染めているように見えた。

 

 アリスの外見は先程とまるで変わっていない。

 

 だけど、俺には別人に見えた。 

 

 虚ろで漆黒に染まった瞳は、青い海の水をたずさえたように潤んでいた。

 

 いったい全体何がアリスの心情をこうまで変えたのか。


「……ご、ご主人様……今のお言葉は——」


 しまった……いつのまにか心の声が漏れてしまったらしい……。


「い、いや……その……誤解だ。あ、アリス——」


「……ご主人様……ああ……信じておりました……やはりご主人様はわたしのことを——」


 アリスはそう言うと、なぜかしゃがんで、俺の側ににじり寄ってくる。


「ご主人様……わたしは……わたしは……ご主人様のことをずっと……」


 そして、アリスは尻もちをついている俺の上にのしかかり、その細く滑らかな指を

 

 俺の肩に置いて、肌にそわせてくる。


「ああ……いけないとはわかっているのです。王族であり正妻となるわたしが、いずれ帝位につくご主人様と……正式な婚姻前にこのようなはしたないことをするのは……ですが……ですが……もう我慢できません……」


 アリスの目が怪しく光っているように見えた。


 恍惚感に満ちたような表情をして、アリスはわけのわからないことを口走っている。


「ああ……ご主人様……どうか誤解なさらないでください……わたしはいつもはこんなことをする女ではないのです。ただ今は闇魔法を使った反動で少し……火照っているだけなのです……フフ……」


 一転して、アリスは再び異常な状態になっていた。


 アリスは一体何をしようというのだ。


 もしや……あっけなく俺を殺すのではなく、今までの恨みを晴らすべく拷問でもしようというのか……。


 恐怖を感じながらも、それでいて俺は同時に奇妙な興奮状態にあった。


 なにせ密着したアリスの肢体は、滑らかでしなやか……それに、豊満な胸の感触が全身の肌越しに感じてしまう。


 そして、アリスの金髪が、俺の顔にかかり、かぐわしい芳香がする。


 恐怖と興奮という強烈な感情にかき乱されて、俺は頭がクラクラとしてきた。


 アリスがその青い眼差しを俺に向けて、

 

「ああ……ご主人様……やっとわたしはご主人様とひとつに——」


 と、突然アリスが俺の目の前から消えた。


 俺が、一体何が起きたのかと、目をパチクリとさせる。


 そして、あたりを見回すといつのまにかアリスは俺の背後に立っていた。

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