第6話 事件の概要を精査しよう

 波乱に満ちた面会を終え、ようやく当初の目的へと戻って来たフィファニーは、宮殿の西にある資料室までの道のりを、イルキュイエと随分距離を取りながら進んでいった。


「フィファニー、ここが資料室です。そろそろ機嫌を直していただけませんか」

「……」


 原因は、先程の面会における堂々たる睦言。

 もっとも、すぐにイルキュイエの執事が現れ、彼を引っぺがしてくれたおかげで、それ以上のことにはならなかったものの、本当に、思い出しただけで顔から火が出てしまいそうだ。


「フィファニー、寂しいです。離れられるとくっつきたくなります」

「……」

「もう二人きりのとき以外、しませんから」


 すると、重厚な扉の前で立ち止まり、三メートルも距離を取られるフィファニーに、イルキュイエは手招きをしながら懇願した。

 婚約者の存在に動揺し、つい嫉妬と独占欲に走ってしまったけれど、本気でそっぽを向かれるのは悲しくて。もちろん、だからと言って挫ける気はないし、旧婚約者あの虫対策は徹底するつもりだけれど、どうすれば彼女は、自分に心を向けてくれるのだろう。


(もういっそ、誰の目も届かぬところに閉じ込め……)

「はぁ。大人げないわよね、私」


 拗らせた「好き」のまま、あらぬことを思い浮かべ、懸命に手招く彼の一方、フィファニーはため息を吐くと、小さな声でひとりごちた。

 正直、この件に決着がつくまで、彼から逃れられないのは分かっている。

 だけど、拒否の姿勢はしっかりと貫いておきたい。それが結果、彼のためにもなる。老嬢ろうじょうの自分は身分的にも不釣り合いなのだ。

 それに、彼を助けたせいで私は……。


「……。分かったわ、今行くからそこにいてね、イル」

「はい!」


 心の中にある幾つかの葛藤。それらを終えたフィファニーは、気を取り直すと、千切れんばかりにしっぽを振る彼の元へ勇み足で歩いて行った。

 そして観音開きの扉を開け、多くの書架が並んだ室内へと入り込む。


「ここにある資料たちは右から順番、年代別に収められています。今世紀の出来事は、左から三棚目、まだ空きの目立つあの辺りですね」


 すると、反省などどこ吹く風、彼女の手を引いたイルキュイエは、簡潔に資料室の状況を説明した。

 二階分吹き抜けの高い天井に彼の声が木霊し、響く靴音が緊張感を昂らせる。

 そして、辿り着いた目的の書棚には、背表紙ひとつひとつに西暦が振らた資料が並び、とても探しやすい仕様となっていた。


「これが調書と現場検証結果ですね。当時まだ魔法は畏怖と忌避の対象でしたので、あなたのせいと決めつけた警察の調書も、幾分杜撰ずさんなものです」


 すると、心なしか悔しげな口調で当時の資料を抜き出したイルキュイエは、慣れた手つきでページをめくると、フィファニーに手渡した。

 流麗な細い字で書かれた調書には、当時の状況がおおよそ記載されている。


「……朝七時、世話役の目の前で王太子殿下が風に攫われる事態が発生。すぐに騎士団精鋭部隊が集められ、魔女の元へ出兵。翌朝、魔女宅で王太子を保護……。私がイルを見つけたとき、辺りは日暮れだったのに。そんなにも長く風に乗っていたの?」

「それは……正直に申しますと、私の記憶は曖昧です。当時の私には事態が呑み込めず、気付いたときには地面の上に転がっていて。夕日と、徐々に暗がる森に涙していたところをあなたに救われました」

「そう」

「しかし、私がもっと状況を把握していれば……。あなたが捕らえられたときだって……」


 口元に手を当て、状況を把握すべく考え込むフィファニーを見つめ、イルキュイエは感謝と後悔を混ぜたような口調で呟いた。

 十七年間解凍を待ち侘びていたという彼にも、きっと思う部分があるのだろう。

 だが、あの殺気立った現場で、大人たちが五歳児の話を聞いてくれたかどうかは甚だ疑問。

 彼を助けた時点で、自分を待つ運命に変わりはないような気がしていた。


「ともかく、状況は分かったわ。確かに丸一日あれば、王都からエスピアスの森まで馬を全力で使えば到着できる。時間軸は、間違っていないようね……」


 と、落ち込んだ様子の彼に苦笑を返しながら、フィファニーはあの日のことを思い出そうとひとりごつ。

 皆にとっては十七年前の出来事も、彼女にとっては数日前の出来事だ。イルキュイエと違って、あの日のことは鮮明に覚えている。


 だが、資料を見てなお、分からないことは多かった。

 特に分からないのは、真犯人はなぜ、攫ったイルキュイエを森に放置したのかということだ。

 本来、王族の誘拐とあらば、犯人はそれを足掛かりに金銭か何かを要求したことだろう。もしくは彼の命が目的だったのなら、森に放置などせず、直接手に掛けた方が早い。

 それとも、誘拐は単なる囮で、真の狙いはフィファニーにあったのだろうか?

 実際、騎士団の到達があと二時間遅ければ、フィファニーは少年イルをプロフェンス辺境伯の元に連れ、素性の相談をしていた。

 その辺りの時間を上手く計算し、フィファニーを捕らえるためにすべてを仕組んでいたのだとしたら、目的は一体……?



「……そう言えば、あなたの世話役の女性は、どうして私を魔女と断言したのかしら? ミチェラさん。面識はないはずだけれど……」


 と、当時の資料を見ながら時間軸を再確認したフィファニーは、ふと気になっていたことを口にした。

 あのとき、騎士団精鋭部隊と共に現れたミチェラは、最初からフィファニーを「魔女」と呼んでいた。

 しかし、そう呼ばれるような粗相をした記憶はないし、そもそもフィファニーはデビュタントをしてまだ一年。幾つかの社交行事に顔を出せども、そこまでは交友関係は広くない。

 それに、エスピアスの巫女の話は、当時家族と辺境伯以外、誰も知らなかったはずだ。

 にも拘らず魔女と断言し、エスピアスの森へ向かおうと進言した根拠は、一体どこにあるのだろう。


「ええ、それは私も疑問でした。しかし彼女はあの日以降、心労で倒れてしまい、話は聞けないまま世話役を辞めてしまったのです」

「まぁ」

「とはいえ、あれから時も経ちました。現状把握がてら面会できないか、後ほど執事に確認させますね」


 すると、首を傾げるフィファニーに同意を見せ、彼は入口の方に目を配る。

 そこにはいつの間にか、先程まで姉や辺境伯を見送っていたはずの執事がいて、御意にとばかりに頷いていた。

 いつもながら気配のしない彼に、フィファニーは驚いた様子だ。



「お姉様たち、お元気そうでよかったわ」


 それはさておき、執事の登場に帰宅した姉たちを思いながら、フィファニーは何気なく呟いた。

 あの日、エスピアスの屋敷で一泊すると告げた会話が、最後のやりとりになるなんて、誰が想像していただろう。

 もっとたくさん話しておけば、なんて後悔は移送中、何度も思ったものだが、知らないうちに妹が氷壁の塔に送られたと知った姉たちの気持ちを思うと、心が苦しくなる。


「大丈夫ですか、フィファニー?」


 すると、家族との再会に、喜びと、一抹の申し訳なさを滲ませるフィファニーに、イルキュイエは優しく髪を撫でながら囁いた。

 もう二度と会えないはずだった彼らに対し、募る想いがあるのだろう。


「ええ。お姉様もエドガー様も幸せそうだし、ヴェイリー様にも会えたのだもの」

「ん……そう言えばエドガー殿と姉君は随分仲が良いのですね。辺境伯家とは家族ぐるみの付き合いなのですか?」


 だが、努めてそれを隠しながら笑顔で言うフィファニーに、イルキュイエは話題を変えるように問いかけた。

 辺境伯家の軍隊を取り仕切るエドガーは、トロルのような(と言ったら失礼だが)相貌の持ち主だ。柔らかく快活なフルーニーとはどうにも対照的で、そんな二人が親密でいることに疑問を感じていたらしい。


「エドガー様はお姉様の旦那様よ。元々立場上、辺境伯家とは仲が良かったのだけれど、私の両親が流行り病で亡くなってからは、プロフェンス様が親代わりでね。一緒に過ごすうちに惹かれ合ったみたい」

「え、あのご子息とですか?」

「ええ。何か問題でも?」

「……」


 と、イルキュイエの何気ない問いかけに、フィファニーは笑顔で説明した。

 正直、最後に会ったときは婚約関係だったものの、先程の面会で結婚し、既に子供もいるのだと教えてくれた。

 一方、フィファニーの回答に、イルキュイエは目を見開くと、素で問い返してしまった。

 人の好みを否定するつもりはないし、彼女があれを義兄と認めている以上別に良いのだが、醜夫好みというのは、なんだかもったいなく感じてしまう。


(ん? ではフィファニーも、ああいうのが好みなのだろうか)


 しかし、ここである重大な可能性に気付いたイルキュイエは、小首をかしげるフィファニーに、ハラハラした様子でひとりごちた。

 もし彼女が姉と同じような感性の持ち主ならば、好みもきっと似ているだろう。

 そしてイルキュイエは容姿に関し、肯定的な褒め言葉をもらうことの多いタイプだ。

 もしかして求婚を受けてくれない理由は、攫いの犯人云々の前に、好みの問題なのだろうか。


「フィファニーもエドガー殿のような容姿の男性が好みですか?」

「えっ?」

「私では満足できない?」


 そう思うと悲しくなりながら、イルキュイエは自分を見上げるフィファニーに問いかけた。

 肯定されたら立ち直れなくなりそうだが、彼女の好みはどんな人なのだろう。


「そうねぇ、お姉様の好みは斜め上ね。多少欠点のあった方がかわいいと思うけれど、私は容姿はあまり気にしてな……いけれど、だからといって求婚は受けないからね、イル」

「……!」


 すると、突然の問いに目を瞬いたフィファニーは、冷静に答えた後で付け足した。

 つまりイルキュイエは、なんとか彼女の対象外を免れているのだろう。

 さりげなく求婚は拒否されてしまったけれど、それが退く理由にはならない。

 慌てて話を打ち切り、また資料に目を落とす彼女を見つめ、イルキュイエは心の中で誓った。


(いいえ。なれば何としても、求婚を呑ませてみせますよ、フィファニー)

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