第3話 巫女の血族

 氷漬けの終身刑を受けたはずの自分が、なぜ今になって解凍を赦されたのか。

 イルキュイエから事情を聞く折、彼女は不意に告げられた言葉に、大きく目を見開いた。


 “エスピアスの巫女”

 それは家族と辺境伯家当主しか知り得ないはずの、彼女の血筋に関わる秘密。

 代々守られてきたはずの秘密を、彼がなぜ知っているのか。余計な混乱を覚えながら、フィファニーは小さく首を振ると、静かに言葉を紡ぎ出す。


「何処でその名を聞き及んだのかは存じませんが、エスピアスの巫女は、代々我が家の長女に受け継がれる才能です。私には姉がおります故、巫女の血は……――」

「しかし実際に、巫女の血はあなたに宿っていたのですよ、フィファニー。姉上とは一卵性の双子だと聞きました。故にこのような事態になったのかと。ともかく、順を追って説明させていただきますね」


 にこりと微笑み、彼女が持つ固定概念をやんわりと押しのけたイルキュイエは、驚く彼女を見つめると、その先を提示する。





 彼がエスピアスの巫女という、特殊な才能の話を知ったのは、今から六日ほど前のことだった。

 無礼を承知でいきなり宮殿を訪れた辺境伯は、緊急事態だと謁見を所望。偶然父王と共にいたイルキュイエも同席し、彼らはプロフェンス辺境伯と向き直る。


 そこで彼の口から語られたのは、辺境伯領・エスピアスの森と、そこに隣接するノクトリーの森との間に設けられた結界が、弱まっているとの話だった。

 魔物が住むというノクトリーの森は、王国がいつでも危険視し、もし不穏な動きがあれば即座に軍を投入できるよう、強力な軍隊をプロフェンスの下に置いている。

 だが、王国の歴史を紐解いても、森の住人たちが国に侵入してきたのはたった一度。

 甚大な被害をもたらしたその侵入は、ひとりの巫女により治められ、女性はその後、森の守護者として生きたという。

 これがホワード男爵家の直接の祖先であるとのことだったが、イマイチ状況を把握しきれていない彼らに、辺境伯は重い口調でこう告げる。


「ノクトリーの住人たちが結界を越えないのは、ひとえにこの巫女との契約……。しかし今やそれも、瓦解がかいの危機なのです」

「どういうことぞ?」

「ええ、実は、当時魔物との抗争を収めた巫女は、ノクトリーの森すべてを焼き払おうとする王を説得し、彼らの居場所を守ることにも尽力しました。そして、魔物たちに「自分の血がこの王国で生き続ける限り悪さをしないこと、境界に結界を形成し、侵入を阻むこと」を約束させたそうです」

「……!」

「それ以降、巫女の血と才能はホワード家の長女に宿り続け、彼女たちはエスピアスの森にある碑石に手を添えることで、代々その血を証明してきました」


 出来る限り淡々と簡潔に、彼は家に伝わる秘密の話を紡ぎ出す。

 この秘密は本来、王家にすら漏らしてはいけない最重要の秘密だった。

 時代を経て魔法や異能に対する偏見は徐々に改善しつつあるものの、結界を形成できる異能の巫女の存在が王国に知れれば、きっと忌避の対象になる。

 そして、もしその血筋が嫌われ絶えるようなことがあれば、森の魔物たちは容易く境界を越えてくるだろう。

 そうなれば幾つもの諍いが起こり、幾つもの命が散る。


 三代前の当主は、その可能性を見越してかの家と縁付きを行い、爵位の獲得と両家の蜜月関係をより強固にした。

 今の代にしてもホワード家の長女・フルーニーが巫女の才能を継ぎ、たとえ双子の妹が幽閉されようとも強固な結界は揺るがない。そう思っていたの、だが……。


「ですが、妹のフィファニーが幽閉されて以降、年を経るごとに結界の力は弱まり、フルーニーとせがれの間に生まれた女児にも、結界を形成できる見込みはなし。この数年で幾度か魔物の侵入を許した経緯も踏まえ、我々は巫女の血が妹の方に宿っていたのだと気付いたのです」

「……! フィファニー。我が息子を攫った魔女か……!」

「ええ。で、ですがこのままでは国が……」


 緊急事態だと現れ、今まで王家にすら秘密にされてきた結界の話に、戸惑いを覚えながらも聞いていた国王は、フィファニーの名に大きく顔を歪めてみせた。

 あの誘拐事件で、ショックを受けた自身の妃が幾度も寝たきりを繰り返していることから、攫いの魔女の話は王侯貴族の間で禁忌とされ、この十七年、誰一人口にすることはなかった。

 だが、今になってその名を聞かされるなんて……。


「父上、フィファニーの攫いは冤罪ですよ」

「……!」


 すると、明らかな嫌悪感を出し、フィファニー解放を望む辺境伯に睨みを利かす父王を見つめ、イルキュイエははっきりと口を開いた。

 この十数年、彼はこの話を父にしたくて何度も機会を模索してきた。

 だが、すべて拒否され続けてきた彼女の冤罪を立証できるチャンスは、今しかないだろう。

 遂に得た機会に一歩身を乗り出し、イルキュイエは辺境伯を見遣りながら、告げる。


「父上、フィファニーをどうか解放してください。プロフェンス殿の言葉を鑑みるに、このまま彼女の命が絶えれば、国そのものが危険に曝されます。そして彼女は罪を犯していない」

「なにを……」

「なぜならあのときの私は、まだ。どうして彼女に私が「王太子」だと判断できましたでしょう?」

「……!」





「――……そうして、プロフェンス辺境伯と私の話を聞き、父王は、これまで魔物の侵入を防いできたあなたの解凍を決定。しばらくは王家の監視下に置かれることでしょうが、これでずっと一緒に居られますよ」

「……っ」


 柔らかな陽光が差し込む宮殿の一室にて。

 優雅にダージリンを嗜み、解凍を赦された経緯を簡潔に話すイルキュイエに、フィファニーは手のひらを握りしめると、ショックを受けたように俯いた。

 森に存在する精霊たちに語り掛け結界を保つ力、それが代々受け継がれてきたエスピアスの巫女の才能なのは知っていたけれど、それがまさか、姉ではなく自分に宿っていたなんて。

 王家に知られてなお、解凍して然るべきと判断されるほど、結界の維持が重要なことは理解できたけれど、やっぱり、信じられない。

 それに……。


「あの日から、十七年……」

「どうしました、フィファニー? また少し顔色が優れないですよ?」


 彼女にとって何よりショックだったのは、過ぎ去った月日のこと。

 あのとき五歳だったイルキュイエが、こんな立派な王太子になっているのだ。頭では分かっているつもりだった。

 だが、当時十七歳で凍らされたフィファニーが十七年後に目覚めたということは、彼女は今年で三十四になるということだ。

 あまりにも行き遅れ老嬢ろうじょうの出来上がりに、涙が出てきそうになる。


(ああ……分かっていたつもりだったけれど、若々しい青春時代をすべて凍って過ごしただなんてあんまりだわ……。殿下に出会いさえしなければ、私だって結婚して、幸せに暮らしていたはずなのに……!)


 眠りつく直前、一瞬心を過った恨みが再び湧き上がってくるような感覚に、思わず両手で顔を覆ったフィファニーは、しばらく心と葛藤し続けた。

 もちろん、あのときのフィファニーに男の子を助けないなんて選択肢がなかったのも事実だが、今年で齢三十四だなんて……!

 細胞凍結のおかげで(というのも癪だが)、見た目は十七歳のままに見えるけれど、これはもう、早々に辺境伯領に帰って、一人虚しく余生を送るしかないではないか。

 夢見た結婚、華やかな生活、それらがすべて塵芥となった現実に、辛くなってくる。


「フィファニー? 大丈夫ですか?」

「ひゃっ!」


 だが、どうにか心を持ち直し、すぐ右から聞こえてくる声に顔を上げた彼女は、じっと自分を間近に見つめるイルキュイエの美貌に、小さな悲鳴をあげてしまった。

 向かいのソファに座っていたはずの彼は、いつの間にか自分のすぐ傍に腰を下ろし、キラキラ煌めくような紺碧の瞳で、一心にこちらを見つめている。


「フフ。急なことでまだ思考が追いつかない部分もございましょう。しかしご安心を。これからは私が傍にいます。先程は「しばらくは王家の監視下」と話しましたが、叶うことなら永遠に私の監視下でいて欲しい……」

「え」

「結婚してください、フィファニー。助けられたあのときから、私の心はあなたのものだ。そして素敵な才能を持つあなたを虐げる者など、もうありはしない。どうか、これから先は私の傍で……」


 すると、顔を上げ、目を瞬くフィファニーの両手を握りしめたイルキュイエは、愛おしそうに彼女を見つめ、唐突に切り出した。

 確か氷壁ひょうへきの塔でも、目覚めがしらに求婚された記憶があるけれど、まさかまた、その言葉を聞くことになるなんて。

 しかし、ある意味元凶とも言える王太子殿下の求婚に、フィファニーが心をときめかせるわけもなく。

 沈黙の末、するりと手を解いた彼女は、真面目に頭を下げて言った。


「お断りします」

「……!」


 途端イルキュイエは、ショックでまた子犬のようにいじけてしまったが、一方、顔を逸らしたフィファニーは、聞いた話の内容に疲れてしまったのか、瞼が重たくなるのを感じながら思考を巡らせる。


 正直、一回りも年下の彼の求婚になんて応えられるわけがないし、巫女の血故解凍された事実はあっても、「攫いの魔女」というレッテルが消えることは一生ないだろう。

 そんな行き遅れの老嬢である自分に、殿下を関わらせていいはずがない。


 それにもう、フィファニーは静かに暮らしたいのだ。

 巫女の役目まで放棄しようとは思わないけれど、殿下を助けただけで終身刑となるこの国で、目立つ行為は慎みたい。

 どうせこんな自分に真のもらい手などいないのだろうし、領地で暮らす平和な日々があれば、それ以上望みはしない。


 奪われた時間は、何をしたって返ってはこないのだ。

 だから、せめてもう、自分に関わらないで欲しかった。

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