人魚

「なあ、人魚ってどういうもんですかい?」

松助(まつすけ)はこう言った。

「ん?」

唐突に聞かれたので、思わず夜凪は聞き返してしまった。

松助は夜凪が足しげく通う商店の下働きだ。よくこうして話をする仲。

夜凪の家の縁側である。「使いのついでに」と立ち寄った松助に茶を出してやり、なんとなく世間話をしていたところだった。

「どうしたんだ、藪から棒に」

「いや、なんか見世物小屋が来てるらしくてよう、人魚の木乃伊(ミイラ)とかって代物を見せているらしいんでい」

「人魚の木乃伊?」

そうでさあ、と松助が頷く。無遠慮にも聞こえかねないが、松助いわく「生粋の江戸っ子でい」との事で、いつもこんなふうだ。

「――俺、人魚がどういうものかよく知らないんで。夜凪さんなら知ってるかと思ったんでい。教えてくれますかい」

松助の目には好奇心がありありと表れている。

「人魚か」

夜凪は饅頭を食べながら答えた。

「人魚ってのは、水妖(みずあやかし)、つまり水のあるところに棲む、物の怪の一種といわれている。人魚は海だな」

「へえ」

「人魚の血と肉は不老不死の秘薬といわれている。地域によって謂れが違うらしいが。赤子の産声に似た鳴き声をあげるとか、魚の身体に人の頭を持つとか、まあ、いろいろと言い伝えがある。――俺が以前訪れたところにも、似たような話があってね」

「ふうん。どんな話なんですかい?」

「聞きたいかい?」


そうだな……俺はたまたまその土地に立ち寄ったんだよ。

そこは漁村だった。けっこうちゃんとした村でね、小さいけど旅籠もあって、なかなか居心地は良かったね。

で、そこの村にはな、村人が一丸となって先祖代々、それはそれは大切にしている宝物があった。

――ああ、松助さんが予想してる通り。それ、人魚だったんだよ。

俺がいた日は、運よく村の祭りの日だった。

その祭りでは、人魚を御神体のように扱って、海の神に感謝するんだと。

で、人魚をお披露目する。その祭りの最中に。

人魚は箱に入って、紙を貼って封印してあった。紙はどう見ても昨日今日貼ったものじゃなくて、潮風と陽射しに焼かれたのかだいぶ色が変わっていた。

――中を見たんだ。俺。だってお披露目だからね。

人魚。見たよ。

不思議だったねえ。

だって、まるでついさっきまで生きて海を泳いでいたみたいに瑞々しかったんだから。

聞けば、何十年もずうっと箱の中だったらしい。不思議だろう。

しかも人魚は、正確な時期が解からねえほど昔、網に偶然かかったものだそうだ。

それを箱に入れて、こうして年に一回だけ外に出す、ってのがその村の決まり事で、勝手に誰かが持ち出したり、すり替えたりできるような代物ではないそうだ。

なのに、人魚は瑞々しかったんだ。

――え? 人魚に人の頭がついていたのかって?

それが残念なことに、解からなかった。

だって、首から上が無かったんだから。当然だよなあ。

そういや一部分だけ、それっぽいところがあったけどね。

ああ。……切り口の一部分が、どう見ても人の肌だった。

うん、魚の鱗じゃなくて。もちろん、鱗を剥がした跡でもなかった。

実際に触ってみたわけじゃないから、なんともいえないけどな……。

それに、鉈か何かで切り落としたかのように、すっぱりと無かったんだよ。人魚の頭。

まさか誰かが食べたのかねえ。

でも、人の頭の形をしているものを食べるの、嫌だよなあ。

それとも、誰かが埋めて供養でもしたのかね。

え? 何で人魚が箱の中で瑞々しかったか、って? さあ……?

でもね、俺、思うんだけどね。

人魚ってのは、不老不死の力――つまり、決して朽ちる事のない力を持っているんじゃないか、って。

だから、首を落とされても、瑞々しく。

そして、その「朽ちぬ力」に人は惹かれるのではないかね。

嫌だなあ。本気にしないでくれよ。今のは、俺が勝手に思っていることだってば。

でも――そうすると、ちょっと疑問が生まれるよな。

その村が、どうして人魚の首を断ってわざわざ箱に入れておいたか、ってことだ。

それで、これも想像なんだけどな。

聞いてくれるか?

いやね……やっぱり、意味があったんじゃないかな、って。そうしておく必要があったんじゃないかな、って思うんだ。

例えば――人魚は災いの前兆だったのではないか。

人魚が現れると、村に災いが起きる。

だから、その首を断ってしまった。

死なないはずの人魚を、殺しておく為に、首を断ってわざわざ箱に入れた。

年に一度箱から出してお披露目するあれは、祭りではなくて、お祓いだった。

なんて、……考えすぎかね。

どう思う?



松助は、やばい話を聞いてしまった、とでもいうような表情をしている。それに気づいているのかいないのか、夜凪は話を続ける。

「……そう考えると、おかしいなって」

「な、何がですかい?」

「その、見世物小屋にあるっていう、人魚の木乃伊だけど」

「え?」

夜凪はさもおかしそうに笑いながら、こう言った。

「だって、朽ちぬはずの人魚が、どうして木乃伊になるんだい?」

「――あ」

確かに、木乃伊になるからには、からからに干からびて朽ちないといけない。

「それに――実は俺、見世物小屋でも見た事があるんだよね。人魚の木乃伊」

その時にちょっと、と付け加え、夜凪はいたずらっぽく、ちょいちょいと松助を手招きし、耳元で内緒話のようにささやいた。

「見世物小屋の人魚ってな、実は、作り物なんだってよ」

「え!」

「猿の上半分と鯉の下半分とを縫い合わせて、からからに干して――表面を削って」

「ほ、本当ですかい」

「ああ。見世物小屋の奴に、こっそり教えてもらった」

おかしいよねえ、と笑っている夜凪を見て、松助は知らず詰めていた息を吐き出した。

なんだか――どこからが本当で、どこからが嘘なのか、解からなくなった。

松助は、ぐったりと息を吐き出して立ち上がった。

「……俺、店に帰りやす」

「そうか? 茶のお代わりはもういいか?」

「もう結構でさあ」

さいなら、と言い、ぐったりと店に帰っていく松助を見送る。

松助は覇気のない様子で夜凪の家から出て行った。

その様子を見て、

「――まずかったかね」

夜凪はこっそりとそう呟いた。


数日後。

海沿いにあるどこかの村が、大津波で壊滅した、という事件があった。

近隣の村々に広まった噂によると、その村では最近「村の宝が失くなった」と騒いでいたらしい。

しかしその「宝」が何なのか、その内容も、知識もその村の中だけの秘蔵だったので、村が壊滅した今、それを本当に知る者は誰もいないのだった。

そう――真相を知る者は、誰もいない。

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