第4章 モラハラ夫が、思いやりある敏腕営業マンになるまで
4-1 モラハラ夫は、家では「食いつくし系」のようです
俺の名前はヨアン。
種族はインキュバスで、仕事は営業。
ここ最近勢いが落ちている「ロングロング・アゴー」の会社に見切りをつけて、現在はベンチャー企業である「セントラル・クリエイト」で営業として働いている。
「えっと、あ、ヨアンさん? はあ……こんにちは……」
「こんにちは。今日も君は可愛いね? 昨日はデートだったの?」
「いえ、そうじゃないですけど……」
俺は出来る限り爽やかな笑顔を意識して、※ゲームショップの店員である女性に声をかけた。
(※『ビデオゲームを専門に取り扱う販売店』のこと。若い読者の方々には信じられないかもしれないが、かつては日本にもこの手のゲームショップが数多く存在した)
彼女はイグニスと同じ狼系の獣人で、俺が店舗に営業に行くと大抵は店にいる。
「今日は暑いね。ジュースでも買ったげようか?」
「いえ……いいです」
俺は種族の特性もあり、女の子が大好きだ。
だからこうやって、可能な限りフレンドリーに接するようにしている。
女の細かい変化に気づくのがモテる男の秘訣だ。
俺は彼女のことを上から下まで舐めまわすように見た後、気づいたことを尋ねてみた。
「あれ、もしかして毛皮切った? 失恋でもした? 俺は前の毛並みの方が可愛かったし、好きだったんだけどね」
俺のアドバイスを受けて、彼女もやはり嬉しいのか、少し顔を伏せた。
「あ、いえ……。あの、私が毛皮を切ったのは、気分なので……」
「そうなの? まあいいや。ところで、セントラル・クリエイトのゲームの売上はどう?」
「えっと……。はい、『臆病ものたちの隠し砦』はやっぱり売れていますね。それ以外は、あまり……」
「あっそ。まあしょうがないか。……あ、そうだ。君にプレゼントがあるんだった」
得意先には、喜んでもらえるように手土産を用意することも忘れないようにしている。
俺は、最近有名なケーキ屋さんで売っていた、チョコレートケーキを取り出した。
「はい。これ今流行ってるんでしょ? いつも俺たちのゲームを店に並べてくれるお礼だよ?」
「え? ……あの、その……」
そう言った彼女はどこか困惑したような顔をした。
全く、そんなに照れられると、こちらまで恥ずかしくなるな。
女なんて所詮、人気店の甘いものさえ渡しておけば手なずけられるから楽なもんだ。
俺は彼女が喜んでくれたと確信し、ほくそ笑んだ。
それにしてもこの子も可愛いな。そう思った俺は思い切ってデートに誘うことにした。
「ねえ、もしよかったら来週末、一緒にデートしない? 俺、美味しいオニオンサラダの店とか知ってるからさ」
「え? ……あ、いえ、私はちょっと、そういうのは……」
彼女はちょっと顔を伏せながら、そう答えた。
まあ、そう言うなら無理に誘う必要もないかと思い、俺は残念ながらも諦めた。
「それならいいや。それじゃあまたね?」
「……はい……」
俺はそう言って、店を後にした。
俺は会社に戻るなり、上司のクーゲル課長に呼び出された。
元々彼女はイラストレーターとして所属していたが、最近では自身の才能に限界を感じたらしく、営業部で※社員として働いている。
(※『セントラル・クリエイト』では、『名義貸し』という形で、フリーのクリエイターを所属させているほか、ヨアンや以前のミケルのように、一般的な仕事を行う社員が存在するという二重のシステムを採用している。
また、
『クリエイティブな仕事が出来なくなったものにも、新しい人生設計を』
『社員として働くものにも、クリエイターへの道筋を』
というニルセン社長の考えのもと、この両者の立場は、いつでも行き来可能になっている)
「ねえ、ヨアン。……正直に答えて。ちゃんと仕事やってる?」
「え?」
クーゲル課長は、俺に対して不満そうな表情を浮かべながら、売上表を見せた。
「ヨアンの担当箇所なんだけどね。はっきり言って売り上げが最下位みたいなんだ。……こう聞くのはあれだけど……ヨアン、ゲームショップで変なこととかやってない?」
これは心外だ。
俺は仕事についてはまじめに取り組んでいるし、特に女どもには、話題になっているプレゼントも用意してあげている。
寧ろ、他の社員よりもまじめに仕事に取り組んでいるつもりだ。
そう思った俺は、不満を明らかにしながらも答える。
「そんなことありませんよ。俺は前の会社以上に、気合入れてやってますんで」
「じゃあ、ヨアンの担当している店舗の売り上げは、なんでこんなに悪いの?」
「そりゃ、たまたま土地が悪いんでしょうね。或いは、企画側が考えるゲームがつまんないんじゃないですか?」
「……私はそうは思わないよ。ミケルもほかの人の作品も、どれも名作だと思うけどな」
そう言いながらも、クーゲルは首を傾げた。
彼女はクリエイターあがりということもあり、あまり現場のことが分かっていない。
だから、たまたま俺の担当した個所が「外れ」だということを理解できていないのだろう。まったく、社会でまともに働いたことのない奴は、これだから困る。
「まあ、とにかく。今月の目標を何とか達成できるように頑張ってね?」
「へいへい。頑張りますよっと」
俺は適当にそう言うと、クーゲル課長に背を向けて自分の机に戻る。
しばらくして、その日の業務を終わらせた。
俺は家に帰る道すがら、酒場で普段親しくしているサキュバスの従業員に声をかけた。
「やあ、久しぶり。これから出勤?」
「うん。ヨアン君は?」
「俺はこれから帰るところ。妻が待ってるからさ」
「そうなの? ……あのさ、たまにはうちにも遊びに来てね?」
俺は時々、残業と称して酒場に行って、彼女たちと一緒に酒を飲むのを楽しみにしている。
普段妻にも十分に優しくしてやっているし、これくらいは当然許されるはずだ。
そして俺は家に着いた。
「ただいま」
「おかえりなさい、あなた」
俺の妻はハーフリングで、かわいらしい容姿をしている。
彼女のように体の小さな種族は、俺の言うことに逆らうことはない。
だからこそ、扱いやすいと思って結婚した。
「なあ、飯出来てる?」
「ええ。もちろんですよ、あなた?」
そう彼女が言うと、テーブルに夕食を並べてくれた。
大皿にハンバーグがいくつかのっており、そしてサラダとパンが置かれていた。
「それじゃ、今からお酒を出すから、ちょっと待ってね?」
「お、うまそうだな!」
妻が席を立ったタイミングで俺は早速フォークをハンバーグに刺した。
「うん、美味いな、これ!」
美味しい料理が出た時には、そうやって褒めてあげるのが夫婦円満の秘訣だ。
俺はそう言いながら、次々にハンバーグを口にした。
「おまたせ、あなた……あれ?」
妻が戻ってきたときには、俺は大皿にあったハンバーグを食べきり、パンを食べていた。
「おお、美味かったよ、このハンバーグ」
「え? あ、うん……」
俺は正直野菜は好きじゃないから、サラダは全部妻にくれてやろう。
そう思って、俺はサラダの入った皿には手を付けていない。
「あと、このパンも美味かったよ。半分はお前のだろ? ここ置いとくな」
「え? あ、うん……」
「じゃ、ご馳走様。俺はあっちでゲームやってるな」
そして俺は、食卓からソファに移動した。
「ねえ、あなた……。私のご飯は……その……」
「あん? サラダとパンがあるじゃんか。早い者勝ちだろ、こういうのって」
「え? ……そうだね……」
まったく、この世界の厳しさを妻は分かっていない。
まあ社会で働いてない奴には、こういう競争社会の怖さを理解していないから困る。
妻が俺の皿を流しにおいてからパンをかじっているのを見ながら、『夫婦はいつも会話することが、円満のコツ』と言う言葉を思い出した俺は、今日職場で起きたことを話した。
「実はさ、俺今日疲れてんだよね」
「え?」
「なんかさ、上司が俺のこと仕事できない奴とか言ってくんだけどさ。ありえないだろ?」
「仕事が出来ないってどういうこと?」
「俺が担当した個所だけ売り上げが悪いとか言ってきてさ。そんなのただ単に地域によって差がでているだけだっつの! たく、クーゲル課長、そう言うのが分かってないんだよなあ……」
そう言うと、俺の妻は少し首をかしげた。
「そうなんだね。……けど、何か他の人と違うやり方をしているとか、思いつくことはないの?」
「はあ? んなもん、あるわけないじゃん。ていうか何お前? 俺が仕事してないと思うの?」
「そ、そう言うわけじゃ……」
まったく、社会に出てない奴に説教されることほどむかつくことは無い。
俺は少し不機嫌な表情をすると、彼女は自分の間違いに気づいたらしく、頭を下げた。
「ごめんなさい、余計なこと言って」
「だろ? だから俺が悪くないのに、クーゲル課長、うるせえんだよ……」
そう言いながら、俺は今日の新聞を開く。
営業マンたるものどんな時も日々の時事情報を取り入れなくてはいけないからだ。
そうしていると、妻の方がまた声をかけてきた。
「あのさ、私実はさ。今日お店で買い物したんだけどね、学校での同期にあったんだ」
「ふーん」
「それでさ。その子が最近ね。『催眠アプリ』っていう……」
だが、俺はここで大事な用事があったことを思い出し、手を止めて立ち上がる。
「あっと、悪い。そういや、明日ちょっと用事があったの思い出したんだわ。俺ちょっと出てくるわ」
「え?」
そう言えば、今日帰りがけに出会ったサキュバスは、来週が誕生日だった。
その為のプレゼントを買っていないことを思い出した。
きっと、新しいプレゼントを送れば喜んでくれるに違いない。
今のうちに買っておいた方が良いだろうな。
「すぐ戻るから、後片付けよろしくな?」
「え? あ、うん……」
俺はそう言うと、プレゼントを買いに家を出た。
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