バスタブの海

杉村雪良

バスタブの海

 海というものは、想像上の存在だった。少なくとも私にとっては。

 週明けに出社すると、同じチームの同僚がすぐに寄ってきて、ある案件の検証期限が二週間も早まるらしいと言った。

「冗談だろ? そんなに早められる訳ないじゃないか」

「俺もそう思うんだが」同僚は肩をすくめる。「部門長会議で話しているのを聞いたやつがいるらしい」

 私と同僚がため息を吐いていると、チームリーダーと部門長がやってきて、農作物ベルトコンベアのピックアップ機構の案件が2週間前倒しにされるということを告げた。我々は説明を求めたが、「クライアントの希望だから」の一点張りだった。

 それまで我々のチームに、いや部門全体に、ほとんど残業はなかったのだが、その週は毎日非常に遅い帰宅となった。金曜日に二十八番街のバーで一杯飲まなかったのは、今の会社に入って初めてだった。


 その案件だけではなかった。それから、徐々にいくつかの仕事が前倒しになり、その度に予定が再考され、何日かの残業を余儀なくされた。

 並行して扱う仕事は三件までという不文律があり、それ以上は営業がスケジュール調整をしていたのだが、いつの間にか四件以上の案件が入るようになった。チームの皆が部門長に抗議したが、のらりくらりとかわされ、手ごたえはなかった。後から聞いた話では、新たに着任した役員が生産性向上と売上増加にやっきになっているということだった。そのおかげで我々と営業に相当な無理がもたらされたということなのだが、当時は我々はそんなことも知らされず、ただ右往左往するだけだった。

 そのうち、別の部門からスタッフが二名うちのチームに配置換えされてきた。人手を増やすのでなんとか間に合わせてくれという訳だった。新顔二人は、以前はそれぞれ別の部門の工程管理をしていて、非常に有能だという触れ込みだった。

 一人は男性で、周りの仕事を手伝うと言っては今のやり方に文句をつけたり啓蒙書に書いてあるような理想論を語るばかりの人間だった。

 もう一人は女性で、全く仕事をせず、出勤するなり部門長の部屋に行って、退勤時間になるまでほとんど出てこなかった。

なぜこんな有能な二人が配置されたかはわからなかったが、上の方の人間の息がかかっているという噂もあった。


 連日それまで経験したこともないような遅い時間の帰宅になった。店はほとんど閉まっていて外食もできず、自分で料理をする気にもならなかった。朝まで空いている鉄道員共済の売店でスナックを買って食べるか、あるいは何も食べずに寝るかのどちらかだった。

 土日は確保していたが、それでも遊びに行ったりする気は起こらず、ほとんど家で寝ていた。たまに食料を買い出しに行くとそれだけで休日分の体力を使い果たしてしまった。それよりは次の週の体力を確保するほうが重要に思われた。

 

 本屋の前を通りかかった時に、ウィンドウに飾られている一冊の雑記が目に入った。何の雑誌かはわからないが、表紙が海の写真だった。植生から、どこか南国のビーチということだけがわかった。私とは関係のない場所だ。

 しかし私の頭によぎったのは、南国ではないにしても海はすぐ近く、車ですぐにたどり着く場所にある、という事実だった


 次の瞬間には車を走らせていた。レンタカーだ。あまり車に乗る機会がなく運転に自信はなかったのだが、海への情熱がそれを上回った。

 革靴で浜の砂を踏みしめると、乾いた音がした。生まれて初めて見た海だった。視界全部を空と水が占めるという経験がこれほど衝撃的なものだと初めて知った。風が肌を撫でるたびに、頬に塩を置いていく。鼻から潮の香りが遠慮なく入り込む。

 波の音は思っていたよりも大きかった。何重にも重なる波の音が繰り返し私の耳を襲うその度、頭の中に潮水が満ちて、全てを洗い流してどこかに運んでいくのだった。頭の中は潮の香りでいっぱいになっていった。

 海は暴力的なまでに私の中に入り込み、私はそれに従うしかなかった。

防波堤に座って、日が暮れるまで海に身をゆだねていた。

 

 翌日から、仕事中ずっと海のことが頭に浮かんだ。もしずっと海にいられたら、どれだけ心が晴れるだろう、と自然と考えていた。

週末だけでは足りない。毎日海と触れていたい。だが、毎日通うには遠すぎる。


 とても単純な方法を思いついた。海水を閉じ込めて持って帰ればよいのだ。そうすれば、いつでも潮の香りを感じることができる。波はないかもしれないし水平線は見えないかもしれないが、あの素晴らしい海という存在の一端をいつも近くに感じることができるのであれば、きっと意味はあるだろう。我ながら素晴らしい思いつきだ。

 次の週、私は水筒を持ってまた海に出かけた。先週来た時よりも明るい気分だった。海の水を持ち帰るという目的があるのだ。晴れやかな気持ちでレンタカーのハンドルを握ることができた。

 海にたどり着き、波打ち際に足を濡らしながら水筒を浅い水に沈める。水は水筒の中に回りながら入ってゆく。くすんだ色だったが、それだけに水が命を持った存在であるかのように思えた。

 水筒を抱きかかえてレンタカーに乗り込む。頬に子供の頃のような熱を感じたまま帰宅する。その生命の源をバスタブに注ぐ。

 バスタブの底にうっすらと海が現れた。それまで疲れた体を洗浄するだけの空間が、少しばかりの水を流し込んだだけで特別な場に変わった。潮の香りはごくわずかにしか感じることはできなかったが、そこにある水からは確かにあの大海原と同じ香りがした。水筒に入るだけのわずかな水で、これだけの変容が現れたのだ。

 次の週には、ポリタンクを購入して海へ出かけた。六往復すると、私の小さなバスタブは海でいっぱいになった。


 仕事から帰宅してアパートメントの玄関ドアをあけると、既に空気が外と違う。浴室の方からかすかに漂ってくる空気が、海のそれと同じ香りを運んでくる。いつもの面白みもない古いコンクリート造りのアパートメントの一室が、とてもわくわくさせるものに変わっている。廊下を歩くとどんどんその香りが強くなる。浴室のドアを開けると、ふわっと風が外に抜け、香りが一気に溢れ出す。

 白いバスタブを海水が満たしている。空気の微かな動きを感じているのか、水面はわずかに揺れてさざ波立っている。ほとんど透明だがわずかに濁っている。そこから肌に絡みつくような塩と砂の香りが湧き上がっている。波の音が聞こえるようである。

 一日の終わりに風呂場に座り、海水を眺める。何かが起こるわけではない。ただそこに海水があり、私はそれで満足する。その香りは独特で、強くしかし優しく鼻腔をくすぐる。海の雄々しさを感じさせる。


 製品の工程管理がうまくいかず、文句ばかり言っている新人に嫌味を言われた日も、家に帰って小さな海をじっと見ていると、ささくれだった心が平らになってくるのだった。女性の同僚が取引先ともめていたので代わりに謝って丸く収めてやったら、上司には私がもめて同僚が仲裁してくれた話として伝わっていた日も、私だけの海のそばに座って潮の香を嗅いでいるだけで、許せるような気がしてきた。

 苦々しく思う日も、不安で仕方ない日も、バスタブの海の前に座る。風呂場は狭く、腰を下ろせば顔の前にバスタブの縁がある。揺れる水面がすぐ目の前だ。水面は暗い風呂場とそのわずかな照明を反射してゆらゆらと青く黄色く輝く。立ち上る香りは何日たっても逓減することはない。その潮の香りを嗅いでいると、実際に海の傍に立っている気がしてくる。目を瞑ると、ずっと向こうまでその水面が続いているような気がしてくる。

 いや、海水の風と香りは実際に感じていることであり、そうであるならばそこはすでに海なのだ。


 チームの一人が会社を辞めた。仕事のやり方が変わったことに一番不満を言っていなかった男だった。辞めてどうするのかは口を濁していたが、競合他社に移るという噂だった。そのことは別に気にならなかったが、十年来一緒に仕事をしてきた仲間がこんなことで去っていったということが悔しかった。仕事の愚痴を言い合いながらバーで酔いつぶれたことや、難しい案件で助けられたことが思い出された。


 平日は帰宅してから寝るまでの三時間、休日は家にいる間ずっと、我が家の中にできた海の前に座った。食べ物は持ち込まないことにしている。食べ物のにおいが潮の香りを阻害するからだ。一度腹が減ってそのまま倒れ込みそうになったが、なんとか這い出してキッチンで水を飲み、ニシンの缶詰を食べた。その後また海に戻った。

 海の前に座って瞼の奥に水平線を感じながら、香りを味わう。海水から直接感じる香りも落ち着くが、風に乗ってやってくる香りもよい。海の香り、と一言でいうが、実に多彩で芳醇なものである。海の底から漂ってくる香りと表面から立ち上る香りも違う。波打ち際で細かく泡立つ潮の香りとはるか遠くから寄せてくる香りとではやはり異なる。これだけ毎日海の香りを嗅いでいると、そのあたりまでわかるようになってくる。

 また、香りには砂の香りが混ざっている。目を瞑るとそれがよくわかる。海水は砂と絶えず接してきた。砂の香りをその身に移しているのは当然である。

 海の香りを大きな球で例えると、幾層にもなった潮の香りがまずあってその中に渇いた硬質な砂の香り、ぬめっとした海藻の香りが内側にまばらに隠れている。


 有能な友人が会社を辞め、仕事のろくにできない新人は居座っている。労働組合が重い腰を上げ、労働状況についてはいくぶん改善の兆しが見られた。しかし以前より残業が多いことには変わりはない。


 海の香りには自然物だけではなく、人間の匂いも混ざっている。海を訪れる人間も海の一部であり、当然のことだ。もしかしたら目を開けて嗅いだのでは感じ取れないかもしれない。それぐらい微細だ。人間だけではない。海洋を渡る船舶の匂い、世界のどこかで流出した重油の匂い、海底深くまで注ぐ月明かりの匂い、数えきれない種類の匂いが、球状の潮の香りの中に閉じ込められ、海面を伝って私へ届く。

 

 世話になった部門長が退職することになった。仕事のいざこざとは関係なく純粋に年齢によるものだったが、一抹の寂しさがあった。しかしそのおかげで、長年我々を率いてきたチームリーダーが部門長に昇格することになった。同世代の中で大抜擢であった。我々はお祝いを開こうと言ったが、チームリーダーは、それならお祝はもう一つある、といった。私がチームリーダーになるということだった。

 思ってもないことだった。給料が上がる以上に私にはうれしいことがあった。人事に口を出せるのだ。チームリーダーの責務がどれくらい大変かはわからないが、役に立たないチーム員を何とかしてくれと上に正式に掛け合うことができる。それに、あまりにも無茶な仕事は、受ける前に物申すことができる。


 私は家に帰ると早速海の前に座り海に報告した。海はその香りで、私にお祝いを言った。バスタブの中の海は小さいが、その時の私はまだそれに気づいていない。


終わり

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バスタブの海 杉村雪良 @yukiyoshisugimura

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