2.イケメン前野君と懐かしの八重樫さん
「それでいつになったら言うんですか?」
「え?」
晴久は私たちが付き合っていることを隠すつもりはないと言っていたけれど、職場では名字の「倖さん」と呼んでくれている。
これでは元彼の時と同じになってしまうと分かっているけれど、やっぱり恥ずかしい。
それに、同じ部署同士で付き合うのはなかなか周りが気にしてしまうと思うから。
「おいおいってことで」
返事を濁したところで、私から一番遠くにいる男性が声を発した。
「一人遅れるって連絡が来たから先に始めちゃおっか」
その人は男性側の幹事らしく、名前は
「広報の高松です」
だそうだ。その隣が、細いフレーム眼鏡の
「経理の葛西です」
さん。うん。なんか経理っぽい。
1席開けて、その隣が、
「営業の榊です」
「営業の片桐です」
みんな私と同じ営業部。
で、私の目の前が
「営業の前野です」
はい。先月から私の彼氏になった人です。
女性陣ににこっと柔らかい笑顔を振りまくイケメン。
女性陣、キュンってしてるよ?ちらりを女性陣の様子をうかがう。
あー。向こう側4人。胸の前で手をぎゅっと握っている。
私と隣の松本さんは営業部だからこのイケメンにきゅんとはしていないだろうと横を見る。
あ。だめだ。
胸の前で手をぎゅっと握りしめている。
「広報の桜庭です」
「秘書課の柏木です」
「秘書課の森です」
「企画の梅田です」
皆さん、美女だらけ。
メイクもばっちり。服装はみんな淡い色合い。
髪型はゆるふわだったり、つやつやのストレートだったりの違いはあれども皆さん綺麗にされている。
自分の服装に視線を落とす。
白シャツに紺のニット、黒のワイドパンツに黒いハイヒール。
仕事でいつも着ているものばかり。
「営業の松本です」
松本さんもぱっちりした目がかわいらしい子。
いつもとあまり変わらない服装だけど、ボトムはしっかりスカートをはいていた。
「営業の倖です」
せめて、化粧直しをもっと丁寧にして来ればよかった。
どうせ飲んだら化粧崩れちゃうからと適当な化粧直しをしていた1時間前の自分を叱咤してやりたい。
男性陣は年齢の幅が少し広いのかな。
よく見ると、男性陣もみんなかっこいい人ばかりだ。
今日のコンパの顔面偏差値はかなり高い。
多分、仕事もできる人達なんだろうなあ。
とりあえず、営業にいるメンバーは営業成績が高く、性格もいい人が揃っている。
松本さんが言う通り、ハイクラスが揃ったんだと思う。
その中でも、晴久がダントツにかっこいい。
きっと今日もモテモテになることは間違いない。
そう考えると、もやっとする。
「私、この『3種のクラフトビール』って言うのが気になってるのよ」
好きな3種類のビールを少しずつ飲めるというお奨めマークの付いた写真を指さした
「面白そうですね」
「でしょ?」
気付けば営業部の5人が集まって試飲会が始まっていた。
盛り上がる中、秘書課二人もこちらに
「面白そう~」
「何呑んでるんですか~?」
と輪に入っていた。
ふと気が付くと、秘書課の柏木さんが晴久の横に座っていた。
代わりに、晴久の横に座っていたはずの片桐さんが柏木さんの椅子に座っている。
柏木さんは晴久の頼んだ3種類のビールを味見と称して、飲んでいる。
私はそれにイラっとしていた。
「わ。これ、おいしい!前野君も飲んでみる?」
柏木さんがにこっと微笑んで晴久に尋ねた。
「いえ。大丈夫ですよ。
あ、それ、生ハムとかスモークサーモンに合うってありますよ」
「へえ、詳しいんだね」
「全く詳しくないですよ。さっきもらった説明に書いてあるだけですよ。
でも、榊さんは詳しいらしいですよ。ですよね?」
突然話を振られて驚きなら榊さんは返事をした。
「え?ああ、取引先にクラフトビールの好きな部長がいてね、いろいろ教えてもらったことがあるんだよ」
「へえーそうなんだー」
榊さんが柏木さんに話しかけ始めた。
晴久が私に向かって2つのビールを指さした。
「倖さんはどっちが飲んでみたい?」
3種のビールのうち1つのグラスは柏木さんに奪われている。
「前野君はどちらも飲んだの?」
「飲んだよ。一つは辛口。もう一つは爽やかな味かな。どっちにする?」
「どっちがどっちかは教えてくれないんだ」
「言ったら面白くないじゃん」
「ん-。じゃ、こっちもらう」
「はい」
と渡され、クンっと香りを嗅ぐ。
当たり前にビールの香りがした。
ごく。
「にがっ」
めちゃめちゃ苦い。
「これ、辛口のほうだ!」
「あたりー」
「あ。でも、なんか、すごくいい香り」
「飲んだ後の香りが濃いよね」
晴久が私が飲んだグラスを手に取って口をつけた。
ごく。
間接キスだ・・・。
「苦いけど、癖になる。肉、食べたくなる」
「あ、わかる」
「こっちも飲んでみる?」
「うん。飲みたい」
晴久にもらってごくりと飲む。
「ほんと、爽やか~。ビールなのに白ワインっぽい味がする」
「白ワイン?」
「うん。あれ?しないかな?」
ごくごく飲んでいると、
「俺も、飲みたい」
と言うのではいと渡す。
「うん。あ。白ワインぽいってなんかわかる!
同じビールなのに全然違うね。
他の種類も飲んでみたくない?」
「じゃ、違う種類頼んでみようか」
「うん」
ふと前を見ると、秘書課の柏木さんがこちらを睨んでいる。
目が合うと、にっこりとほほ笑まれて、
「お二人、仲がいいんですね」
と言われる。
お美しい微笑み過ぎて、むしろ恐い。
「ふ、普通ですよ。営業で一緒だから話しやすい…みたいな」
平静を装って微笑み返す。
柏木さんの視線に耐えれず、目をそらしてまたビールを飲んでいたら、
「わりいー、遅くなった」
遅れてきた男性社員が顔の前で手を合わせ、ごめんのポーズをしながら現れた。
あ。この人・・・。
見覚えのある爽やかな笑顔。
癖のある深いブラウンの髪。
穏やかな雰囲気。
もしかして・・・八重樫さん?
「遅えよ。もうみんな始めちゃってるからな」
「ごめん、ごめん。帰りがけに電話が入っちゃって」
「もういいのか?」
「ああ。ただの確認事項だったから」
八重樫さんは男性幹事の高松(?)さんとにこやかに話をして、ネクタイを少し緩めた。
「はーい。こちら遅れてきた海外事業部の八重樫さんでーす」
「遅れてすみません。八重樫です。よろしくー」
高松(だっけ?)さんとにこにこ話をした後、名前だけの自己紹介をした八重樫さんは周りにぺこぺこと手を合わせたまま軽いお辞儀をした。
やっぱり八重樫さんだったと懐かしくなる。
「すみません。ビール一つ」
と八重樫さんは爽やかにおしぼりを持ってきてくれた店員さんに声を掛けた。
「種類は何にいたしましょう?」
「え?一択じゃないの?」
「ここ、ビールの種類が豊富なんだ」
「へー。面白そう。んっとねー・・・・」
八重樫さんはにこやかに話していて、相変わらず人当たりが良さそうだった。でも、昔より年を取ってて、「仕事できる」感が増していた。
八重樫さんはかつて営業部にいた先輩で、私は八重樫さんのサポートで書類を作ることが多かった。
基本的な書類の作成方法は指導係の先輩に教えてもらったのだが、細かいことはやっていくうちに慣れるからと言われて指導が終わった。
分からなくて聞くたびに嫌な顔をされるが、分からないので質問するしかない。
次第に気まずく成ってしまい、途方に暮れていたところを八重樫さんが助けてくれたのだ。
分からないところを丁寧に教えてくれ、仕事の面白さを教えてくれたのも彼だった。
彼のおかげで今は人に質問される側になるくらいにまで、仕事を覚えることができたのだ。
そんな思い出に心を馳せていると、ポンとテーブルに置いていた手に晴久の手が重なった。
「え、何?」
数回瞬きをして、思い出から無理やり戻された心に戸惑う。
「何じゃないよ。ぼーっとして、何考えてるの?」
晴久が重ねた手に力を込めた。
その手からそっと離れようとした時、晴久の背後から柏木さんが睨んでいることに気付く。
まあ、合コンで気になってる人が他の人の手を握っているのを見たらイラっと来る気持ちは分からなくはない。
とはいえ、こうもあからさまな態度を取られるのも癪に障るのよね。
さっきから晴久にロックオンしちゃって態度もあからさまで、いらっと思う。
離しかけようとした、重ねられた手をそのままにする。
「八重樫さんはね、新入社員の頃お世話になった人なの。だから懐かしいなって思って」
と晴久に教えていると、
「あー!倖ちゃん?倖ちゃんだよね?」
と声がした。
八重樫さんが私の存在に気が付き、声を掛けた。
久しぶりに聞く『倖ちゃん』。
八重樫さんだけが使う呼び方。
「・・・倖ちゃん?・・・」
晴久がぼそりと呟いた。
そっと晴久の手をどかして
「ご無沙汰してます、八重樫さん」
ペコリと挨拶をする。
「えー。ほんと久しぶりだね。
昔みたいに『ガッシー』って呼んでくれてもいいのに」
「昔から呼んだ覚えないですけどね」
「わはは。相変わらず鋭いー」
「八重樫さんは相変わらず軽口ですね」
「ひでえ。ねえ、倖ちゃんよかったらこっち来ない?久しぶりに話したい」
その一言で、
「ちょうどいいわ。席替えしましょうよ」
と柏木さんが言って席替えが決まった。
柏木さんはさっさと席替えしてたじゃん!と思いつつ、グラスと食べかけの取り皿を持って席を移動した。
私は八重樫さんの隣になり、晴久は秘書課の柏木さんともう一人の子と、企画課かどっかの女の子の3人に取り囲まれるように連れて行かれた。
「倖ちゃん、同じ会社にいるのになかなか会わないもんだね」
「そりゃ、八重樫さんが海外行ったり来たりしてるからですよ」
「それが仕事だからねー」
席に座るなり話しかけられた。
ふと、八重樫さんの香水の香りを感じた。
あ、、、懐かしい。
昔と一緒だ。
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