5.ランチのお誘い

昼近くに目を覚ました私は、ポリポリと背中を掻きながらベットから立ち上がった。

どうやって帰ったのかわからないが、メイクを落とさず、スーツを脱ぎ散らかした状態で布団に潜り込んでいた。


玄関の鍵もドアチェーンもきちんとかけていたことにほっとする。



シャワーを浴びて、部屋の掃除をすることにした。

ようは断捨離だ。



彰のTシャツ。

私服が何枚か。

パジャマ代わりのジャージ。

ワイシャツ。

ネクタイ。

パンツ。

靴下。

シェービングクリーム。

ヘアワックス。

歯ブラシ。

剃刀。

マグカップ。

お茶碗と箸。

本。

雑誌。


茶碗類以外はすべて彰の荷物を置いておくために用意した3段ボックスの引き出しに入れていたので、あっという間に断捨離は終わった。とはいえ、他の人のものを勝手に捨てるわけにはいかない。

歯ブラシと剃刀は捨てるとして、他のものは段ボールに詰めた。

ガムテープで封をして玄関の隅に置いたら、下駄箱にあるスニーカーを思い出して、それも段ボール箱の中にぶち込んだ。




汗をかいたので再びシャワーをあびる。

見た目は変わらないのに、心なしかすっきりとした部屋でスマホをひらく。



前野君からLINEがきていた。

ランチのお誘いだった。


もう、3時だ。

『ごめん、今LINE見た』

と打つと、すぐに返事が来た。


『お腹空いた』

『食べてないの?』

『はい。迎えに行きくから、ごはんにつきあってください』


そういえば、私もお腹空いてるかも。

今日は飲みものしか飲んでなかったし。

最近食欲がなかったから、食べたいとか思うことがなかったなあ。

久しぶりの空腹感かもと思いながら、お腹を摩って、食べたい物を考えた。

・・・。おいしいお蕎麦とか、食べたいな。



『お蕎麦ならいいよ』


自分が食べたいものをリクエストした。

前野君、若いからな。お蕎麦とかよりお肉とかがっつりしたものの方が好きかもなあ。

なんて思っていたら、

『いいですねー。行きたい店とかありですか?』

と予想外の返信。


『おいしければ、どこでも!いい店知ってる?』


ないならネットで探せばいいか。


『ありますよ。一軒おススメのおいしい蕎麦屋』

予想外の返信、再び!


『おお!行きたい!』

『長ズボンとブーツかスニーカーは持ってますか?』


え?

長ズボンって。

きっと綺麗なパンツではなくて動きやすい服ってことよね。

お蕎麦屋さんよね?どこに行く気だろう?


『ある・・・けど、どこに行くの?』

『おいしい蕎麦屋。場所はお楽しみってことで。暖かい恰好してまっててください』


『了解』

『30分後につきます』


よくわからない。頭の中に?を飛び交わせながら時計を見た。

30分か。急がなきゃとメイクを始めた。

ボトムはスキニージーンズ。トップスは黒のニットで袖がふんわりしたパススリーブになっているものを選んだ。

コートは・・・。


「暖かい恰好でってことは、寒いところに行くのかしら?」

いやいや、寒いと言っても雪国じゃない。

お蕎麦だし、室内・・・よね?


ああ。わからない。


ピコン。


『到着』


『ねえ、コートってどんなのがいいかな?』

『暖かいの』


暖かさ重視か。

まあ、暑ければ脱げばいいか。


ショート丈のグレーのダウンコート。ストール。キャスケット。斜めかけのポシェット。

髪型は緩く編んで一つに結んだ。

ロングブーツとスニーカーでまた悩み、ブーツがピンヒールだったから、足首まである定番のスニーカーを選んだ。

多分動きやすい方がいいのかなと思ったからだ。

もう、部屋まで呼んでどれがいいか選んで欲しいくらいだ。

ぶつぶつ言いながらも、どこに連れていかれるのかと、わくわくしている自分がいた。



エレベーターから降りると、前野君はマンションのエントランスの柱に寄りかかって立っていた。


前野君も同じような服装をしているから、これであってるんだろうなとほっとする。


私服を見るのは初めてだったけれど、足の長い前野君が履いているブラックジーンズがかっこいいなと思った。


エントランスの自動ドアを開けてゆっくり近づくと、前野君が私に気付く。

すがっていた壁から離れながら、スマホをダウンコートの内ポケットにしまった。


「お待たせ」

「俺の方こそ、急に誘ってすみません。予定、大丈夫でしたか?」


互いに近寄り、隣に立つ。


「うん。片付けしてただけだから」

「ああ、年末の大掃除?」

「うん。そんなかんじ」

彰の荷物の断捨離とか説明したくなくて、話を終わらせた。


「ねぇ、動きやすくて暖かい格好って、これでよかった?」

二、三歩さがって、両腕をばっと広げ、服装を見せた。


「凄くいいです」

前野くんが私をきゅっと抱き締めた。

「え?!」

びっくりして固まる。

「かわいい」

すぐに体を離し、にこっと微笑まれた。

じゃ、行きましょうかと、自然に手を繋がれ、外に出た。


一瞬の出来事だったとはいえ、前野君の距離感の近さに動揺する。

先週ツリーの前で会うまではこんな感じじゃなかった。

用事があるときしか話さなかったのに、彼の変化に驚いた。



手を引かれながら、私の心は心臓がバクバクしていた。


近くのコインパーキングに連れていかれ、私は度肝を疲れた。


「これ、愛車」

ポンと座席に手を置いたそれは、大きなバイクだった。


「え?これ?」

「うん」

「だから、動きやすくて暖かい恰好だったんだ」

「そう。ストールとキャスケットはとんでっちゃうからここに入れておいていい?」

うんと頷き、ストールをはずしながら

「二人乗りってタンデムっていうんだっけ?」

と尋ねる。


「そう。タンデムの経験は?」

「初めて!二人乗りとかドキドキしちゃう!」

「楽しんでもらえるよう、頑張って運転します。はい、これ被って」


フルフェイスのヘルメットを渡された。

ヘルメットって重いんだと思いながら被る。・・・あれ?

「ねえ。入らないよ。頭、大きいのかな?」

「ふっ。大丈夫、それ俺のだから絶対入る。ここを持って・・・ずぼって感じで被ってみて」

「ここを持って・・・ずぼ・・・入った!」

「そりゃ入るよ。ちょっと上向いて」

「ん」

カチッ。

顎のとこを止めてもらう。


「重いんだね」

「安全を考えるとねー。はい、この手袋付けて」

「はい、またがって。何かあったら背中叩いてね。ヘルメットが当たるけど気にしないでね」

はい、はいと返事をする。

「手はここを持つか、恐かったらお腹に手を回す。どれにする?」

「お腹でもいい?」

「いいよ。しっかり持っててね」

「うん。こう?」

「もっとしっかり、こうやって」

右手で左手首をぎゅっと持たされた。


「じゃ、行っきまーす」


ブオン!!


大きなエンジン音がして、バイクは発進した。


体に感じる振動、傾き。

スピード。

流れていく景色。

風。

ゴンゴンとぶつかるヘルメット。

前野君のしっかりとした体つき。


うわー--------!


初めてのバイクの後部座席。

どきどきが止まらない。



しばらく走ってバイクは止まった。

郊外にあるお蕎麦屋さんの駐車場だった。

バイクに乗っていたのは30分弱くらいだったらしいけど、すごく長くも、一瞬だったようにも感じる。


「楽しかった!」

前野くんの言われるまま、肩に手を当て立ち上がってからバイクをおりる。ヘルメットを脱いですぐ、興奮して言った。

「あはは。よかったー」

外したヘルメットと手袋を渡すと、キャスケットを被せて、ストールを巻いてくれた。

「寒くなかった?」

「うん。大丈夫」

「本当だ、手が温かい」

そのまま手を繋がれ、お蕎麦屋さんの扉をくぐった。


「ここ、ツーリングの途中で寄ることがあるんだ」

「前野君はよくバイクに乗るの?」

「たまにかな。学生の時はみんなと毎週どこかに行ってた」


前野君おすすめのお蕎麦はとてもおいしかった。

お腹が空いていたせいか、二人とも無言でそばをすすった。


食後のお茶を飲みながらやっと会話を始めた。


「バイク乗ったことある?」

「車の免許取るときに原付乗った」

「あれは乗ったのに入るの?」

「入るっしょ。楽しかったし」

「はは。楽しい程乗らせてもらったんだ?」

「うん。教習所をひたすら時間が来るまでぐるぐると。10人くらいで一列に並んで走ったような気がする。あと、わざとバイクを倒して起こす練習とか」


優しい雰囲気のお蕎麦屋さんの空間はゆっくりしていて、話が弾んだ。


ご主人自身もバイクが趣味らしく、ツーリング先でとった写真が壁に飾られていた。

ここで休憩して再びバイクに乗るんだそうだ。



「もう3,40分くらい走ったところにおすすめの場所があるんだけど、行ってもいい?」

「うん。いいよ。どんなとこ?」

「気象台。これから行けば、日が沈むの見れるよ」

「うわっ!行ってみたい」




駐車場で再びヘルメットをかぶる。うまく顎のところを止めれなくて前野君に止めてもらう。

「ありがとう」

「どういたしまして」

そういえば、このヘルメットは前野君のだって言ってたな。

「ねえ、このヘルメットって前野君の?」

「うん。俺の」

「それなら、前野君がかぶってるのは誰の?」

「これも俺のだけど、兄貴とか友達とかも被るから。

安心して、それは俺しか被ってないから。

他の男が被ったメットなんて倖さんに被せたくないしね」

確かに知らない人が被ってるのは嫌だな。

「なんかね、このヘルメットいい匂いがするよ」

というと、前野君は目を丸くして、顔を赤くした。

「う・・・」


返事をしない前野君は手袋を渡してくれた。

「これも前野君の?前野君って手が小さい?ぴったりなんだね。・・・あれ?手、大きかったよね?あれ?」

手を繋いだ時、前野君の手は私の手をすっぽりと覆うくらい大きかったと思い出す。


「それは俺のじゃないよ。俺のじゃ、ぶかぶかだよ」

「そうだよね!」

私にぴったりサイズの手袋をじっと見る。


「彼女さん、怒らないかな?」

と呟くと、慌てて、

「それ、倖さん用にさっき買ってきたやつだから!」

と言われた。


「わざわざ?」

うんと頷く。

「それに彼女いないから。彼女いて他の女の子を誘ったりとかしない」

「あ。そうなんだ。前野君も律儀なんだね」


ふと彰のことを思い出してしまい、頭を振る。

ヘルメットが重くてうまく動かせない上にフラッとしてしまった。

「何やってるの?」

と笑われた。


バイクに乗せてもらい、出発する。


今度もドキドキしたけど、前野君の背中にしがみついていると、彼の背中が広いこととか、見た目より体ががっしりしていることに気が付いた。

それが、男性だということを意識させ、バイクに乗っているドキドキとは違うドキドキを感じた。




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